『ENGEI グランドスラム』

フジの『ENGEI グランドスラム』4時間をしっかり見てしまった…
英語で漫才をやるというナイツと
N国党を揶揄して明日から厄介なことになりそうな爆笑問題
鉄板の面白さだった。
 
この2組を抜いた中ではやはり金属バット。
斜め上から来るようでいて地に足のついたネタの発想力もさることながら、
存在感、間合い、ツッコミの入りぐあい、全てよくできている。
次の M-1 の台風の目になるんじゃないかな。
というかなってほしい。
今のこの勢い、という意味ではアインシュタインもよかった。
 
あと思ったのは、最近よく聞く今はトリオの時代ということ。
ジャングルポケット東京03はウェルメイドな手堅い笑い。
面白いなあというより、作り込んだ場面や演技の巧さで笑うという。
四千頭身ってほんと新世代だった。笑いの構造が違う。
ロバートはまあ秋山がいれば何やってもいいし、ハナコはボチボチか。
 
案外面白かったのが友近と近藤春奈のコンビ。
どれぐらい打ち合わせや事前準備があったのかわからないけど、
芸達者ってこういうことなんだなと。
千原兄弟を兄弟をとして見たのも久しぶりかな。
犬の下半身はどこか、ケンタウロスの下半身はどこか、
というの何気に一番笑ったかもしれない。
 
他、大半はたいして面白くなかったな…
ミキも霜降り明星もバイきんぐもジャルジャルもEXITも。
キングコングの漫才というのは個人的に M-1 以来だったので新鮮だった)
そんな中見るとフットボールアワーのいつもの岩尾のハゲ、
尖った笑いの番組の中で見るとまたそのネタかと笑えないのが、
今日の並びだとむしろホッとするという。
や、フットボールアワーの漫才はうまい。
今回の生放送にひっかけて「もうええわ」を早く出したいというの、おもろかった。
でも昨晩の「金曜のどっち」の未公開トーク集の方が断然笑った。
 
なんにしてもフジテレビのお笑いはFNS歌謡祭と結びつけたりで
IPPONグランプリ以外はなんか無駄が多い。
終わった後の「さんまのお笑い向上委員会」で口直し。
今晩もホトシュールで心癒される。

「terrA 神保町てら」

昨晩はおさんぽの取材で仕事が終わってから神保町へ。
「terrA 神保町てら」という店。
以前バル「Bilbi」があったところ。妻と最初の頃のデートで入った思い出の店。
二階建ての小さな建物で、かつては古本屋だった。
「Bilbi」のあとはパンバル「PANKU」となったが、諸事情で閉店。
その後どうなったのかな、と思っていたら今年6月に「terrA 神保町てら」が開店とのこと。
 
まだ若い夫婦で切り盛りしている。
旦那さんは32歳。若い頃はバックパッカーで旅していて、いつかはゲストハウスを開きたいと。
そのために日本の料理を学ぼうと安定した仕事を捨てて居酒屋に弟子入り。開店資金を貯めた。
山が好き、旅が好き、本が好きということで神保町は憧れの地であったが、なにせ家賃が高い。
しかし縁あってここに決まった。企画書に込めた思いが大家さんに評価されたのかもしれない。
 
店を開く前にふたりでスペインを訪れ、リュックサックを背負って
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の 800km を32日間かけて歩き通したという。
旅で困っているときにスペイン各地のバルで出会った人々の優しさに触れて、
様々な人々が集まるバルのような店にしたいと思ったと、語っていた。
この日店は instagram にアップしたその時の写真を見た、
スペイン巡礼の旅に行ってきたばかりだというお客さんが店を訪れていた。
 
1階はカウンターで6・7人か。
2階は手前に6人掛けのテーブル、奥にソファー席。
このソファーはもしかしたら「Bilbi」の頃からのものかな。見覚えがある。
昭和の時代の大きなテレビや置時計もそのまま。
旦那さんは1階ではワイワイ楽しく過ごして、
2階は自分の家のようにのんびりくつろいでほしいという。
食や文化の交流地点にしたい、ワークショップやギャラリーもいずれ開催したいと。
単なる飲食店ではなく、志があるのはいいことだなと思った。
 
それが器のひとつひとつや食材の選び方、調理の仕方に現れている。
最初に出された豆腐は青梅の、品評会で日本一になった豆腐屋に寄るもの。
他は高級料亭に卸しているものを縁あって、ここにも。
新潟の肴豆という枝豆を使用している。
自信作の豚の角煮も新潟産の「甘豚」を。名前の通り、砂糖を入れなくても甘味が出る。
こちらも生産された方とのつながりで。
こんなふうに「縁」というもので成り立っているお店なのだなと。
 
鶏胸肉、モロヘイヤ、オクラの小鉢を食べると底で鯉が泳いでいる。
描いたのではなく、実際に造形して色付けしている。
その小鉢がひとつひとつ違う。台湾の茶器を見つけたのだという。
 
今回最もおいしさにびっくりしたのは鯵のなめろう
旦那さんの故郷九十九里浜では酢を付けて食べる。
小さい頃からそうしていて、それが普通と思ってきたのだと。
新鮮ななめろうは味噌の風味も程よく、あっさり、しっとり。
それが酢を付けるとさらに魚の味が引き立つんですね。
時期によってはカツオのなめろうもあるようなのでまた食べてみたいですね。
 
奥さんが日本酒好きということで東北を中心に全国の様々な蔵のお酒を仕入れていた。
僕も聞いたことないものばかり。
黒板にあったのは
「美酒の設計(秋田)」「楽器正宗(福島)」「文佳人 お化けラベル(高知)」
「赤武 SEA(岩手)」「仙禽かぶとむし(栃木)」「鬼夜叉 遠心分離(新潟)」など。
(オープン当初のラインナップを消さずに残していて、今はまた違うラインナップとのこと)
田酒は「古城の錦」が置いてあったかな。
豊盃は「ん」を飲ませてもらった。これも青森でないとなかなか手に入らないもの。
すっきりしたのを、ということで「美酒の設計」も飲んでみた。
料理もおいしい、酒もおいしいでかなりお金を使ってしまった…
 
今のところ食べログはなし。
お店の instagram のみ。
旅の写真もいいけど、ふたりのイラストにほっこりします。
 
今年一番グッとくる店でした。
長続きしてほしいものです。

『街録』

最近見始めるようになった番組が
NHK BS の『街録』(毎週水曜、23:00-23:30)
町行く人に街頭インタビューをして、その中から5・6人ほど紹介され、
ゲスト3名のトークがそこに挟まる。
テーマは「人生最大のピンチ」「あなたの転機」という感じのものが多いかな。
そしてそこから何を学んだか。
ただ心温まるだけのいい話、というものは出てこない。
 
ゴールデンウィーク頃はまだ500人ぐらいにインタビューだったのが
昨日のは995人だった。
その分視聴率が増えて制作側の体制も大きくなっている、ということなのだろう。
収録場所は銀座が多く、他、巣鴨、大山のアーケード商店街、高円寺。
大阪や京都でやっても面白いんじゃないかと思う。
ドキュメント72時間』といい、『新日本風土記』といい、
このところ NHK がドキュメンタリーから派生させたコンテンツは秀逸なものが多い。
 
土日の銀座を歩いていたら呼び止められて街頭インタビューを申し込まれるかもしれない。
翻ってこの自分にピンチや転機があっただろうか、と考える。
ないわけではない。しかし、それは人に語るに足るピンチやチャンスだっただろうか、
番組で3分から4分ほどの尺に「縮める」ほどの深みや広がりを持っているだろうか、
というと全然そんなものではない。
「高校時代、演劇部の部室に寝転がってたたまたま岡崎京子の『Pink』を読んだときに、
 ああ、僕も東京に出ようと思った」
なんてのは「で?」で終わり。
せいぜい「作品のどこに共感しましたか?」と聞かれるぐらい。
そう考えると、平々凡々な人生だったんだな。
ピンチというピンチがなかった。介護が、とか、病気が、とか、倒産が、とか。
それがいいことなのか、どうなのか。いいことなんだろうけど。
 
ほんとに僕にはピンチがなかったのか。
トイレ関係しか思い浮かばない。
仕事上、これは間に合わないとか自分の作業ミスで障害が起きたというのはあるけど。
センターの床に置いてあったサーバを作業中に蹴ってしまったら
それがファイアウォールでお客様のサイトが閲覧できなくなったとか。
でも、そこから何を学んだかというと「気を付けよう」ぐらいの話で。
困難を乗り越えて何かを得た、成長した、という最低限の物語の型がなければならない。
そう考えると僕の人生は、ピンチがなかったというよりも学ぶことのなかった人生なんじゃないか、と。
 
いや、でもなんかあるはずだよな。
もっと探してみる。
でないと銀座に行けない。

『めご太郎』

帰りの新幹線は駅で買った嶽きみ天ぷらをつまみに、青森の地酒かリンゴの酒か。
だいたいは成田本店で買った地元のミニコミ誌やタウンガイド的なものを読んでいる。
今手元に残っているのを本棚から出してみると
『青森のいで湯めぐり』(グラフ青森)
『rakra別冊 北の酒場本』(ラ・クラ編集室)
『TEKUTEKU別冊 弘前酔連 vol.2』(TEKUTEKU編集部)
 
今回、読んだのがとても面白かった。
青森市出身で横浜で『ハマ太郎』という地域情報誌を出している夫婦による
特別編『めご太郎』(「めご」は津軽弁で「かわいい」という意味)
サブタイトルに「帰省するつもりで訪れる青森市
 
寿司屋だと「三九寿司」や居酒屋の「六兵衛」「ふく郎」といった店が取り上げられている。
全然知らなかった…
僕もそんなに青森市に詳しいわけではないし、全てのガイドブックに目を通したわけではないけど、
旅行ガイドには載らない知る人ぞ知る名店なのだと思う。
地元の人からの口コミで訪れるようになった、足で稼いだ取材。
 
「青森に帰ったとき、私が訪れる場所 青森市編」というコーナーにて
池永理絵という方が、帰省すると言っても3・4日でほとんど実家で過ごして、
昔からの店はなくなって今もよく行くのは成田本店、
A-FACTORYの2階でシードルを飲んで帰る、いつも同じところばかり、とあって、
あーわかるわかるというか、俺も全く同じように過ごしているなあと。
こういう皮膚感覚に訴えてくる地域情報誌、初めてです。
 
堤町にあった「柳原遊郭」の記事も興味深かった。正直、知らなかった。
東京の吉原や京都の島原に並ぶと称された大きな遊郭であったのが1910年、火事で焼失。
旭町の方に移転するも1958年の売春防止法で廃業したという。
旭町に遊郭があったという話はこの前読んだ『龍の伝言』の中にあって、つながった。
 
他、夜店通りの入り口にあった老舗のパン屋「栄作堂」が閉店したこととか、
青森市は実はソース焼きそばのメッカであるとか、
あー懐かしい! え? そうだったの! ばかり。
恥ずかしながら「古書らせん堂」というよさげな古本屋が数年前にできていたことも初めて知った。
(この中では古川に店を構えるとしているけど、最近新町に移転したらしい)
 
面白くて新幹線の中でイッキに読んでしまった。
懐かしいのに新しい。青森市の懐に深く入り込んでここまでその魅力を引き出せるとは。
青森に対するそこはかとない愛を抱えつつ、
普段は横浜に住んでいるという距離感がこの絶妙な肌ざわりを生むのだろう。
第2号に期待。

青森帰省 その4

昨晩は酒場放浪記4本のうち2本を見て寝た。
 
5時に目が覚めて、一昨日・昨日の朝そうしたように
窓を開けて明け方の冷ややかな空気を部屋の中に入れてうつらうつらする。
今日は青森も30℃近くまで上がるようだ。
しかし暑いのも1・2週間だろうか。
昨日の浅虫ではトンボが飛んでいた。
 
7時に起きようとしたところに電話が。
毎年お盆の時期に叔父が夜発って車で一晩かけて青森まで来て、
うちに立ち寄って仏壇に上げる果物を置いていく。
恒例の、今別の海でキャンプをすると。
一緒にいた姪っ子はすっかり大人になって何歳なのかよくわからない。
 
部屋のあちこちを雑巾がけして、机と椅子を折り畳んでしまう。
なつぞらを見ながら朝食。カレーの残り。
高校野球津田学園履正社履正社が圧倒的に強い。
この4日間、グラスに氷を入れて青森の水をグイグイ飲んでいた。
その最後の一杯を飲む。
 
9時半、家を出てバス停へ。
時刻表を見ると今日明日と三内霊園までの臨時のバスが出ている。
さほど遅れずにバスが来る。新青森駅まで乗って行く。
10数分で着く。途中ヤクルトのスイミングスクールの前を通るのが懐かしい。
新聞紙で包んだ花束を抱えたおばあさんたちが乗ろうとして、
行き先が三内霊園ではないと知って乗り込むのをやめる。
 
一時間前に駅に着いて、コインロッカーに荷物を預けて
会社へのお土産や新幹線の中で飲む酒を買う。
青森りんごのチューハイやリキュール、日本酒だと「作田」など。
家で飲もうと桃川が出している「青天の霹靂」の純米大吟醸を買ってみた。
つまみはいつもの嶽きみ天ぷら。
 
新青森駅始発だったので早めに乗ることができた。
発車直前、「座席あってますか?」と確認する男性が。
特急券を見ると新函館北斗駅行きで向かい。
あ、と思っているうちに発車してしまった。
その男性は「何とかします」と言っていたが、その後何とかなっただろうか。
八戸から引き返したか。
 
11:15発。車内販売はなかったが、盛岡までガラガラで通路に立つ人もわずかだった。
道中は成田本店で買った『めご太郎』を読んで過ごした。
缶ビールは1本だけ、日本酒は少しだけ、
あとは缶チューハイをロックアイスで冷やしながらとしたので
氷の解けた水で薄まってあんまり酔わずに過ごした。
予定通り14:30東京到着。
秋田の大雨で出発が遅れた3日前が遠い昔のようだ。
 
東京はもわーんと暑い。
昨日一昨日と少し涼しかったみたいだがそれも幻か。
しかし車内モニターのニュースを見ると東京はの最高気温は33℃と。やはり涼しいのか。
青森が涼しすぎたのか。
 
中央線を新宿で下りて大江戸線に乗り換える。
外国人の女性2人に呼び止められる。
観光客なのだろう。お揃いのゴジラのTシャツを着ている。
もしかしたら昨日までのコミケを見に行ってたのか。
東新宿に行きたいというのでどっちに乗ったらいいかと。
妻が、隣の駅で乗り換えだけど方向が同じなので、じゃあ一駅一緒に行きましょうと。
妻が聞くとジェノバから来たという。
都庁まで下りて、向かいのホームではなく階段を上ってからまた下りてと伝えてみたけど、
うまく乗り換えできただろうか。
 
光が丘に着いて、LIVIN で買い物して帰ってくる。
この4日間、サンダルが合わなくて足が痛かったという妻の荷物を抱えて歩く。
ようやく家に到着。みみたがお出迎え。
4日間いつものペットシッターに来てもらっていたけど、お留守番よくできました。
ネズミのおもちゃが4つ糸の先に付いた釣り竿、遊びすぎて3つが取れてしまったと報告書に。
そのみみた、最初はスリスリして遊ぼうとせがんできていたのが、
妻が疲れて寝てしまうと横で丸くなった。
荷物の片付けが終わって、母に電話する。
次は正月かと聞かれ、
もしかしたら9月か10月に休みが取れたらまた行くかもしれないと伝える。

青森帰省 その3

5時半頃目を覚まして、窓を開けて部屋に風を入れる。
うつらうつらして過ごす。7時に起き上がる。
朝は母の作ったカレー。サラダ。
この日は弘前に帰省していた妻の後輩ちゃんが青森まで来てくれるというので、
浅虫水族館に行こうということになる。
この日は一昨日、昨日と違ってなんだか蒸し暑い。
とはいっても東京ほどではないが。
 
バス停まで歩いて行って駅までバスで行く。
青い森鉄道のホームで待ち合わせる。
2人ずつ向かい合う旅行座席仕様だったので
缶ビールを飲みたくなって買いに行く。
しかし今、青森駅改札内にキオスクがないようで。
いったん改札の外に出て買う。缶ビールと青森りんごの缶チューハイ
頼まれたポッキーも。
 
09:14発、八戸行き。
筒井、東青森、小柳、矢田前。懐かしい路線。
野内を出て長いトンネルを抜けると浅虫温泉
30分もかからない。バスだと1時間近くかかるが、バスだととても近い。
 
駅舎を出てまずは足湯に入る。
思ったよりもかなり熱い。しかしそれが気持ちいい。
足の裏が目を覚ます。
水族館まで歩いていく。鄙びた道を行く。
線路の下に作られた、反対側に渡るための古びた通路を見つけ階段を下る。
小さな川に沿っている。
地上に出ると小高い丘があって展望台があるとのことだったが、蜘蛛の巣が多く引き返した。
通路に下りて渡ろうとするとまだ若い子猫がいた。車や鉄道に轢かれないといいが…
廃業して廃墟となったホテルを通り過ぎる。
 
歩いて10分もかからないところに水族館がある。
駐車場は10時を前にして満車に近く、中に入っても大混雑。
こんなに人気だったとは。
前に来たのは20年以上前の学生時代。
夏休みに水族館の場面が出てくる映画を撮っていて、高校の同級生に車を出してもらった。
あの時はもっと寂れていたように思うが…
 
熱帯の魚に限らず、陸奥湾の魚、白神山地の魚を展示しているのがここの水族館ならではか。
陸奥湾の魚の水槽はトンネルになっているんですよね。
ユウレイクラゲなどここでもまたクラゲに見入ってしまった。
フンボルトペンギンの餌付けが始まるというので見に行く。
親子連れで水槽の前は身動き取れなくなる。
ペンギンたちはイカナゴ、シシャモ、サンマをもらっていた。
 
これだけ混むということはイルカのショーも大変だろうと20分前に着いたらギリギリ席があって、
後から来た人たちは通路で立ち見。
イルカのウォーミングアップののちに一度幕が閉じられ、
そこにマスコットキャラクターのラッコのアニメが映し出されて、また幕が開いた。
幸せなら手を叩こうならぬ、幸せなら鼻を鳴らそう。唄に合わせて鳴き声を上げる。
クライマックスはイルカたちのジャンプ。
後方のスクリーンには祭の映像が映し出されてねぶた囃が。
ここまで和風なイルカのショーは珍しいだろう。
 
僕の気を引くのはきれいな熱帯魚ではなく、
ウツボであるとか鯰のような大きな沼の主のようなものとか。
無骨な変な顔の魚がじっとしていると思わず見入ってしまう。
 
浅虫水族館と言えばラッコだけどこの時期いないのだろうか。
あと、近々マグロの赤ちゃんの展示が始まるという。
 
水族館を出て、海沿いの国道を歩く。
妻と後輩ちゃんが久滋良もちの店に入って買う。
横断歩道を渡って海水浴場へ。
今日は最高気温29℃、青森でも海水浴日和か。
海の家のスピーカーからは福山雅治が流れる。
砂浜にテントを張っているのを多く見かけた。
日焼けしないにはその方がいいか。
バーベキューをやってる人たちも多かった。
やんちゃな感じの若者たちには堂々と刺青の人たちもいた。
 
岸壁を歩いて突端へ。
湯ノ島が近くに見える。モーターボートが向かって行った。
水上スクーターを飛ばす人たちもいた。
目の前にはシュノーケリングの親子。
テトラポッドに寝そべって肌を焼く若者。
 
歩いて海の駅へ。
12時の遊覧船が出たばかりで閑散としていた、どころか誰もいなかった。大丈夫か。
ヨットハーバーでは新品と中古のモーターボートや小型のクルーザーを売っていた。
250万円のクルーザーって安いのかもなと思っていたら、中古だと40万なんてのもあり。
メンテナンスが大変そうだし、
ヨットハーバーに停泊するためのスペースを借りるのもかなりかかりそうだ。
 
国道を隔てて反対側の道の駅のレストランで昼を食べようとしたが、
混んでいてかつそば・うどんがメイン。
イメージが違うなと次の電車に乗って青森駅まで戻ることにした。
缶ビールを買って足湯で飲んだ。こんなうまい缶ビールは久しぶりだ。
駅舎に戻るとテレビでは甲子園が。光星学院智弁学園
これは強敵と思うが、光星学院が初回1点を先制する。
 
13:21 青い森鉄道に乗って青森駅前へ。
「帆立小屋」に入って帆立釣りを。
水が濁っていて針を垂らした時のホタテの食いつきもよくない。
前は3分だったのが2分と短くなっていた。夏休みで混んでいるからだろうか。
前はひょいひょい5枚はいけたのに今回は2枚。
しかし網で焼いておいしかった。
ししゃもやイカを追加、帆立フライ、買い焼き味噌も追加してリンゴ酢のハイボールを飲んだ。
A-FACTORY でジェラートを食べて、15:34 の弘前行きに乗って後輩ちゃんが帰った。
僕らもバスに乗って帰った。
 
マンションの近くの酒屋でお盆用の菊を電話で頼まれて買う。
家に着くとちょうど公営学院の試合が終わって、10対8で辛くも買った後だった。
6回に7点取られてひっくり返されたのが追いついて逆転。
やはり智弁学園は強い。
陽の明るいうちに帰ってきて昼寝。
 
夜は朝のカレーの続き。
母が近くで買ってきたマグロの刺身。焼売。
酒場放浪記を見ようとしたら野球の中継で遅れている。

青森帰省 その2

昨晩は焼き鳥屋から帰ってきてからどうにも眠く、
シャワーを浴びたのちにしばらく頑張ってテレビを見ていたが
諦めて22時に布団へ。
最初なんかわからずに見ていた番組が「世界ふしぎ発見!」だった。
今は男性がミステリーハンターを務めるんですね。
竹内海南江は今どうしているんだろう。
何と珍しいことに野々村真がパーフェクト。
恐らく10年に一度の偉業を見てしまった。
 
寝てると気温が下がって寒いかなと思って
母が用意していたタオルケット以外にもう一枚出したが、
夜中目を覚ますとどことなく蒸し暑かった。
トイレに行くと母がラジオを小さな音でつけっぱなしにしていた。
 
7時半に目を覚ます。朝は涼しい。ベランダに出る。
目の前を細長く木々が連なっていて、母曰く昔そこは線路だったという。
朝食。ごはん、味噌汁、野菜サラダ、茹で卵、ハム。健康的な。
僕が使うだろうと新しいマヨネーズを出す。
ベルマークがあったら切っといてと言われる。
光星学院は明日、智弁学園と。
 
ラッセに行くと昨日迎えに来た妹夫婦の前で話すと、
甥っ子姪っ子たちが一緒に行きたいという。
車で家まで迎えに来てもらう。
今年のねぶたが7日で終わって、賞を取った4台が1年間ワラッセに展示される。
9日・10日に入れ替えして今日が初日。
10時前の時点で駐車場がいっぱいという盛況っぷり。
 
甥っ子姪っ子は2階のねぶたの作り方と言った展示のコーナーが気になる。
僕らは先に1階のねぶた展示へ。4台が並ぶ。
ねぶた大賞が竹浪比呂央『紀朝雄の一首 千方を註す』
知事賞が話題の女性ねぶた師北村麻子の『神武東征』
優秀製作者賞が北村蓮明の息子北村春一による『瓊瓊杵尊木花咲耶姫
この3人と北村朝子の父、北村蓮明の双子の兄である第6代名人北村隆で賞を独占。
今、そういう時代なのだなあと。
もう一台選ばれたのは内田龍生『天の岩戸』
第5代名人千葉作龍が制作した竹の骨組みによる小さなサイズのねぶたもあったな。
夏休みということもあって子どもたち向けのねぶた紙貼り体験コーナーもあった。
 
妹夫婦、甥っ子・姪っ子たちとはワラッセで別れて僕らはA-FACTORYへ。
間の広場では小規模の夏フェスなのか、屋台がいくつから並び、
小さなステージが組まれてヒップホップとレゲエを融合したようなバンドがリハーサルを。
地元の若者たちなのかな。
 
A-FACTORYでまずは2階へ、いつものシードルを試飲。600円で3杯ずつ。
今回は kimori のドライとスイート、あと新しく加わったアップルワインを。
ソルトピーナッツやハニーピーナッツなどの缶が出てくるガチャガチャが設置されていて、
ミックスナッツをつまみに飲んだ。
2階の広間ではこぎん刺し体験のイベントを開催していて、妻がやってみたいと。
初心者向けのデザイン見本の中から「猫の足跡」というのを選び、糸は明るい色の青を。
1、2、3と目を数えながら一針一針縫っていく。
昔は麻の布しかなくて目が粗いから着ていても寒く、その目を埋めるために刺したのだという。
6歳の小さい頃から刺していって、嫁入り道具にしたのだと。
この日はこぎん刺し体験ということで麻ではなく刺しやすい木綿で。
針を触らせてもらうと刺繍用なので先端が丸かった。
 
義弟からお兄ちゃん、ラーメン食べたいでしょ?
最近だと「つじ製麺所」がいいよと教えてもらい、行ってみる。
古川の青森まちなか温泉の1階。
カウンターとテーブルで20席ぐらいか。13時、僕らの入った後に満席。
僕はニンニクチップの乗った味噌ラーメンにチャーシューとに玉子を追加。
妻は冷やしぶっかけ中華そばだったか。揚げ玉や山菜が具に乗っている。
これは確かにおいしい。僕の中では「ひらこ屋」「またべい」に並ぶ。
店内はシネマディクトで上映なのか
『誰もがそれを知っている』だとか単館上映系の映画のポスターや
美空ひばりの今年のカレンダー。壁いっぱいにあれこれ張っていて賑やか。
スターウォーズのストームトルーパーをディフォルメしたフィギュアが手ぬぐいをかぶって置かれていた。
 
新町に戻って成田本店でねぶた・青森関係の本をいくつか買う。
千葉作龍『名人が語る ねぶたに賭けた半世紀』
澤田繁親『龍の夢 ねぶたに賭けた男たち』
先日読んだ『龍の伝言』の姉妹作。Amazonで取り扱いなしだったのが新刊で置いてあった。
『めご太郎 帰省するつもりで訪れる青森市
青森市ゆかりの方たちが語る手作りのグルメガイド。
 
さくら野の地下で母に頼まれた食材を買って帰る。
今日はカレーをつくってくれるという。
腹ごなしの散歩と家まで歩くが、日差しが強くて日陰があまりなく、妻の具合が悪くなる。
帰ってきて少し休んだ。
テレビでは八戸三社大祭の山車とそれを制作した男たちの紹介。
ねぶた師は有名になるが、彼らは無名のまま。仕事と掛け持ちだろう。夜通し、小屋の中で。
昔のねぶた師もそれが普通だった。
 
妻の具合もよくなって、歩いてすぐの棟方志功記念館へ。
今回の展示は鯉や鯖、珍しいところではピラニアと言った魚が半分と鷹が半分と。
建物の外に筆塚があるのを知る。
これまで年末年始に訪れることが多かったので気が付かなかった。
とある柵の解説で棟方志功はいいことを言っていた。
「獣を狩るには武器を使うけれど、花だと心で狩る」
 
16時過ぎ、一度家に戻ってホテル青森へ。
高校の同窓会総会の後の懇親会。
2年前が幹事学年で青森から東京に手伝いに来て、東京からも青森に手伝いに行った。
一度ぐらいは客の側で出てみようかと。というか久しぶりに同級生に会おうかと。
まさか青森側の同窓会に出るとは思ってもみなかった。
僕ら43回生は21名出席で円卓をふたつ確保。
しかし会場の後ろからふたつ目の列。
先輩方がどんなに多く出席していることか。
幹事の学年になるまで普通出席しないからですね。
 
行くまではアウェイ感があって大丈夫だろうかと不安だったのが
いざ飲み始めるとどうでもよくなって。
田酒の山廃ばかり頼んで飲む。
2年前の正月、幹事学年を前にして大勢集まったときに
僕は飲みすぎて吐いてしまった。
そのときのことを覚えている人が何人もいて
「岡ちゃん今日は大丈夫かと」飲む前から言われる。
 
近くの居酒屋で二次会。
帰省してクラス会のこの時期、大勢の人数で入れる場所を見つけるのは大変だったと。
さらに5・6人加わったかな。
航行当時仲良かった人もそうでなかった人もこだわりなく盛り上がる。
東京側もまた飲み会を開こうということで幹事を引き受けることにした。
 
2次会が終わって今日は記憶のあるうちに帰るかと思っていたところ、
友人からメッセージが来て合流したいと。
間をつなぐために結局3次会へ。
しかし頃合いを見計らって帰ってきた。
23時前ぐらいか。シャワーを浴びて寝た。