雑記

日々のいくつかの小ネタ。
 
・オフィスの裏に二郎寄りの大勝軒があって
 外を歩いているとかなり濃厚な豚スープ臭が漂う。
 それまで隣は町中華の店だったのが閉店となり、
 何が入るのだろうと思っていたら焙煎珈琲の店。
 いいんだろうか。僕なら入りたくないけど…
 店内は相当強力な脱臭装置が設置されているのだろうか。
 二郎も好きだけどコーヒーも好き、という人が世の中には多いのか。
 
・オフィスの近く、ちょっと歩いたところに小さなセブンイレブンがあって
 店長のこだわりなのか他の店では手に入らない
 インスタントラーメンや焼きそばがいくつか棚に並んでいる。
 この前までは赤いきつね焼きうどんのでか盛りで、
 今はエースコックの汁無しラー油混ぜそば。
 以前はカップヌードルの謎肉祭りを大量に仕入れていた。
 コンビニって案外カラーを打ち出しやすいな、と思う。
 
・先週からパタッと、家で酒を飲みたいという気持ちがなくなった。
 今年前半、ウィスキーや焼酎をロックで飲みすぎたからかもしれない。
 その分、いびきをかかなくなったらいいかと妻に聞いてみたら
 今にも死にそうなひどい音ではないものの依然としていびきはかいているという。
 そういえば最近よく昼休みに寝ているが、いびきをかいているのだろうか。
 怖くて周りに聞けず。周りに寝ている人は多いが、いびきを聞いたことはない。
 姿勢とか、何か理由があるのだろうか。
 
・ゆで卵をつくるというとき、水から茹でるか、沸騰したお湯から茹でるか。
 冷蔵庫から取り出してそのまま茹でるか、室温に戻してから茹でるか。
 この辺りいろいろな流派があるようだ。
 よく参考にしている「白ごはん.com」だと冷蔵庫から出してばかりのを沸騰したお湯で。
 沸騰してからとすることで毎回決まった時間で同じ固さで作れるから。
 しかし水から派の書いているのを読むと
 温度差の少ないところから始めた方がひび割れにくいとあって、それも信憑性ありそう。
 
・そういえば。先週末の土曜、映画ゼミの20年ぶりの集まりにて
 ゼミで知った、あるいは見た映画のNo.1をそれぞれが前に出て語るというのがあった。
 酔っぱらってたので心もとないけど、一番多かったのはジャック・ドゥミ監督の作品だったような。
『ローラ』とか『シェルブールの雨傘』とか。BGM担当の先輩はサントラも流していた。
 ジャック・ドゥミ監督のこれらの作品は普遍的によいと思うけど、
 僕ら今40代~50代で若い頃映画を見ていた層に特別受けがいいのか。
 フランス映画と聞いてゴダールよりもドゥミ、リヴェットと答えるのがかっこいい、というような。
 
・もうひとつ。このとき、ゼミの先生からも当時別格扱いとされたのが
 ジャン・ルノワール監督の『ピクニック』
 僕も先輩からダビングを重ねたビデオテープを借りて見た覚えがあるんだけど
 何がいいのかよくわからず…
 役者たちの素晴らしい躍動感、光と影の織りなす…、という。
 土曜に予告編がスクリーンに映し出されたとき、

18年

9月11日。
アメリカの同時多発テロ事件が2000年。今年で18年が経過したことになる。
21世紀後の世界を大きく変えた出来事というと真っ先にこのことが思い浮かぶ。
イスラム圏と非イスラム圏との対立。
・セキュリティという目に見えないものに対する考え方。
・それまでにない規模でなされた自爆テロ
・重要な情報はテレビではなくネットから得るのが当たり前になったということ。
アメリカの脆さ、混沌とした社会の歪み、強いアメリカはもはや存在しないということ。
などなど。
 
あの日のことを思い出す。
今のようなスマホは存在しなかったし、
そんなしょっちゅうデスクトップPCを家で使うこともなかった。
ワープロとかちょっとしたゲームとかそれぐらいだった。
ネットにはつないでいてもそんなに見るものはなかった。
ブログやSNSなんてものもなく、
素朴なテキストサイトに写真が載ったぐらいのがまだ主流だったんじゃないか。
フラッシュアニメが盛り上がっていて、動画の再生なんて一般的ではなかった。
だからPCを立ち上げず、テレビ見つけず、翌朝の新聞も取り込んでいなかったから
全然知ることができないまま出社した。
 
そして会社の先輩から聞いて驚くという。
Yahoo! が勢いのあったころで、そこからニュースを辿って行ったのでは。
その時はビルの倒壊した写真だけを見て、
飛行機が激突する場面の映像を見たのは数日後だったように思う。
海の向こうの、テレビの向こうの出来事。
 
その数年後、ニューヨークにいた寮の同期とサークルの後輩を頼って訪れることがあった。
ワールドトレードセンターの跡地に連れて行ってもらい、
近くの教会に入ると亡くなったレスキュー隊員を偲ぶ写真やぬいぐるみが飾られているのを見て、
初めてこれが現実の出来事だったということを知る。
いや、もちろん知ってはいた。
しかし、自分の中で実感を伴うものになったのはようやくこのときだった。
その後ロスに行った時に入国や出国の手続きがやたらめんどくさいものになって
大きくアメリカは変わったんだなと感じたことを思い出す。
事件後の数年間だけじゃないんですね。
(ここ10年は行ってないので最近はわからないけれど)
その前年、2000年に海外出張でフォートワースを訪れたときはなんというか、牧歌的なものがあった。
 
その後の世界。
各地で自爆テロが頻繁なものとなって、根本的な解決策はない。
イスラム原理主義の国家的な集団がアメーバのように増殖して、
攻撃されて散り散りになってまた別の場所で増える、この繰り返し。
この18年間はなんだったのか、と思う。
この世界はただただ後退し続けただけなんじゃないか……
 

台風15号

昨日朝、最強クラスの台風15号が首都圏を直撃。
JR東日本は前日早々と始発から8時までの運休を発表。
被害状況に応じて順次再開していったが、山手線が再開したのは10時半頃。
常駐先のオフィスに着いて勤怠メールを見ると続々状況連絡のメールが。
駅には着いたものの、人が多すぎて入れないとか。
どうにかホームには上がれたけど車両がいっぱいで乗れないとか
そんな感じで午前休の人が多かった。
 
都内最強と呼ばれた大江戸線も一部遅れがあったようだ。
全駅地下深くで地上に出ることはなく、他の私鉄とつながっていることもない。
僕は8時半に家を出て9時前に乗ったんだけど
取り立てていつもより混んでいたわけではなく。
10時にオフィスに着くとほとんど人がいない。
同じフロアに庶務の方たちの島があってそこだけはいつも通りだった。
恐らくこういうときは社内のあちこちからいろいろな問い合わせがあるのだろう。
11時を過ぎてチラホラと出社する人たちが増えてきた。
 
そういえば10時前に2階の受付を通り過ぎるとき、受付嬢もいたし、
ソファーに座って待っている人たちも何人かいた。
10時から打ち合わせだったのだろう。
開催するかどうか連絡が取れず、なんとかタクシーで来たものの
当の打ち合わせ相手が出社していない、そんな人もいたのでは。
 
昨晩まだ風の弱いうちに植木鉢を玄関の中へ。
いくつかは蔓のように伸びた枝が窓枠に絡みついていたり、
隣の鉢から伸びた枝がさらにそこに絡み合っていたりで動かせず。
大丈夫だろうか、と思っていたが朝見たら無事だった。
鉢植えが珍しいのか、みみたがずっと玄関に座って眺めている。
蚊に刺されないよう、蚊取り線香を付けた。
 
朝、玄関を出てみるとタイル張りの地面が泥だらけで植木の葉っぱがワサワサと。
物置横に置いていた小さなビニールハウス、
数年前に買ってボロボロになっていたのが遂に骨組みが折れてグシャグシャに。
今度の燃えないゴミで出すかと脇に寄せておいた。
中に入っていた植木鉢はひとつだけ倒れていた。
 
駅へと向かう途中の公園も葉っぱで道が緑色に覆われている。
団地の脇の小公園も大木が一本折れて横たわっていた。
台風一過でもわったとした空気の中を歩く。
この日東京の最高気温は37℃まで上がることになっていた。
今年の夏の暑さもここが最後か。

09/02-09/08

09/02(月)
 
大学のときにどちらかというと間接的にだが、
かなりお世話になった先生の退官を祝う飲み会が国立で来週末。
先生の訳した本を1冊読んでおこうとエルヴェ・ギベール『楽園』を
Amazon から取り寄せて読み始める。
 
9月に入ったが、30℃越えで暑い。
昼、弁当。鯖。ベーコン、ほうれん草のスクランブルエッグ。
きんぴらごぼう。嶽きみ天ぷらの残り。ブロッコリー。こんにゃくのピリ辛炒め。
おさんぽの件だったり、この前書いた小説のことだったり、
妻からあれこれと至らない点を指摘され、落ち込む。
 
帰ってからも食べる気力なし。嶽きみを先週末茹でたのを1本食べて終わり。
弁当の用意はする。ロース味噌漬け焼き。玉子焼き。
月曜で酒場放浪記もあるというのに酒も飲まず。しゃべくりも逆転人生も見ない。
町中華で飲ろうぜの玉ちゃん編は見た。東中野
この前モヤモヤさまぁ~ず2で出てきた「大盛軒」がここにも出てきた。
鉄板麺いつか食べたい。
23時半に布団に入る。
 
いびき治療のため、一度病院に行って検査しようと決める。
いくつか見た中で職場に近い御茶ノ水のところにする。
 
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09/03(火)
 
昨晩なかなか眠れず。
いつも通り7時出社だが、眠い。
朝のうちに設計書修正のワーク。
昼、弁当。昼寝。
午後レビュー2本。
基本設計フェーズは収束方向へ。
 
夕方から雨の予報で、練馬区は大雨警報。
妻が外に洗濯物を干してきたという。
雨雲レーダーを見ると本降りは石神井公園からとしまえんをかすめて、
光が丘は小雨もかすめないようだ。よかった。
妻が先に帰って、僕が駅に着いた頃土砂降りだと。
折り畳みを差して帰る。
家に着く頃には弱くなってきたが、その後また強くなったり。
 
妻がリンガーハットで買ってきてくれた野菜たっぷり皿うどんを食べる。
缶ビール、缶チューハイ1本ずつでやめておく。
妻が風呂を沸かしてくれたので入る。鑑定団。
見終わって弁当を作る。高菜炒飯。
作り終えて寝る。
雨が降って涼しい。
 
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09/04(水)
 
昨日雨に濡れて洗濯し直して室内に干した洗濯ものを畳む。
昨晩エルヴェ・ギベール『楽園』を読み終えて、梅崎春生の作品集へ。
「寝ぐせ」という掌編の次に、「砂時計」
昼、弁当。昼寝。
明日の部内審査に向けて準備。
 
定時で出て帰る。
妻の用事で代わりに豪徳寺に行くかも、だったが妻が行くことに。
まっすぐ帰ってくる。庭の水やり。掃除機。
嶽きみを茹でて食べる。
弁当の用意。鮭のムニエルをつくる。ソーセージを焼く。
この日も酒は飲まず。新聞を読んだりして過ごす。
『街録』を見終わる頃、飲み会から妻が帰ってきてあれこれ話を聞く。
 
寝る前に妻から聞く。
家の前の段差プレートがひとつなくなっている。
誰が何のためにそんなことをするのか。なんだか怖いと。
そういえば先日固定で設置していたセンサーライトの電球が切れてつかなくなった。
関連性があるんじゃないかと思ってしまう。
予備のセンサーライトをAMAZONでオーダーする。
 
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09/05(木)
 
疲れているのか、なんだか眠い。
このところ人生何度目かの
キングレコード『World Roots Music Library』という民族音楽のシリーズのブームが。
廃盤になったのをネットで探し回る。
いくつかデッドストックを抱えているところがあるものですね。
 
昼、弁当。昼寝。
夕方から本社へ。部長、副部長クラスへのPJ状況報告。
大阪と東京のテレビ会議となる。
いろいろ質問を受けるが、思ってたほどケチョンケチョンとはならなかった。
 
18時半に終わって中野坂上から帰宅。
センサーライトが届いていた。
水やり、掃除機、洗濯物。
今晩も嶽きみを茹でて食べる。梨も剥いて食べる。
後は弁当のつまみ食い。それだけにする。
パックの牛カルビ焼き味付け。卵焼き。
 
ダークサイドミステリーがガイアナ人民寺院だったので見た。
世界で最初の、危険な新興宗教カルト。
教祖のジム・ジョーンズを含め909人が集団自殺
23時過ぎに布団に入る。
 
京成線の線路でトラックが立往生、車両とぶつかって脱線。
京成線が不通。
 
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09/06(金)
 
この日は顧客側にPJ状況の報告。
始まるまで落ち着かず、終わってぐったり。
昼、カルビ焼きの弁当。
定時で出て帰ってくる。
やまやで最後残っていた赤星を買う。
庭の水やり、掃除機、洗濯物を畳む。
ジャンクなものが食べたいと夜はカレーヌードルに
卵、フライドオニオン、フライドベーコン、フライドガーリックを入れて食べる。
チコちゃん、新日本風土記はやんばるの森、猫歩きはビクトリア。
おんな酒場放浪記。タモリ倶楽部は寝落ち。
金曜日のどっちを見て寝る。女性雀師とラッパー。
 
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09/07(土)
 
8時前に起きる。大草原の小さな家は「ローラの祈り」
以前だと前篇後編に分かれていたけど今回はイッキにつなげて100分近く。
映画を一本見るようなもの。
なしを剥いて食べる。腹が減ってカップヌードルの味噌。
洗濯物を干してライフに買い物。
 
12時前に家を出る。国立へ。
ロージナでシーフードカレー。
その後谷保駅まで歩いて行って谷保天満宮
戻って来てモスで休憩。
引き続き旭通り、富士見通りを散策。
 
大学の講堂前に集合して記念撮影ののち、
映画ゼミの先生を囲む会。
22時まで飲んで、帰ろうとしたら妻から。
この日編集学校は感門之盟でアフ感に今から来ないかと。
せっかくなので顔を出す。
あっさり終電を逃し、朝まで…
 
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09/08(日)
 
始発で帰ってくるつもりがはぐれた僕が山手線を乗り過ごしたりと。
結局帰ってきたのは7時近く。
シャワーを浴びて寝る。
10時に起きてイタリアを見るつもりが全然起きられず。
結局12時。二日酔いで眠い。
台風15号の影響か、にわか雨。上がると晴れて暑い。
Lazy Sunday を聞きながら、常備菜を。
切り干し大根の煮物。ちくわ炒め。
ブロッコリーを茹でて半分は冷凍。ほうれん草を茹でて小分けにして冷凍。
昼は嶽きみを茹でて食べる。
 
Lazy Sunday が終わって昼寝。
クリーニング屋に昨日着ていたアロハを持っていく。
早めに弁当の用意。鯖を焼く。ベーコンとほうれん草のスクランブルエッグ。
モヤモヤさまぁ~ず2は川越。
先日閉園したデパートの屋上遊園地など。
その後ポツンと一軒家を見る。
以前近所の方から頂いたゴーヤ、最後の一本使い切れなかったのが半分ダメになっていた。
缶ビールを開けるが、飲む気になれず…
 
植木鉢を玄関の中にしまっておく。
夕方から雨が降ったり止んだりを繰り返して、日付の変わる頃から強風・豪雨へ。
Song To Soul を見ていたらアンテナに雨が当たって映らなくなった。
Elton John「Your Song」
今は「君の歌は僕の歌」という邦題をつけないんですね。
日付の変わった頃寝る。

寝台特急の旅

 

妻が興味をもち、JR西日本の豪華な寝台列車
「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」のパンフレットを取り寄せた。
展望車、食堂車、ラウンジカーにザ・スイート、ロイヤルツインで10両編成。
ザ・スイートは一両の車両の中に
バスルーム(バスタブ付)、寝室、リビング・ダイニング、エントランス(プレイべーとバルコニー付)。
食事はもちろん一流の料理人が。葉加瀬太郎がイメージ曲を提供している。
山陰・山陽を2泊3日で回るザ・スイート2名1室、3月~5月で一人あたり127万3千円。
1泊2日のロイヤルシングル、2名1室、6月で25万4千円。
申込は抽選。相当な倍率だと聞いている。
九州だと「ななつ星」も有名ですね。
これも人気がすごくてなかなか乗ることができないと。
 
JR東日本もやってたっけ? と思って調べてみると「四季島」という名前。
3泊4日のコースだと上野駅を出て日光、函館、青森、鶴岡、東三条と回るようだ。
東京駅ではなくかつての寝台特急の発着駅だった上野駅というところが旅情をかき立てますね。
これも普通に100万越え…
 
JR東海ではこういうのやってないみたいですね。
東海道新幹線一本で攻めるという姿勢がぶれない。
 
経営の厳しいJR北海道こそ、やるべきじゃないかと思って見てみたら
来年夏、東急の豪華車両「ザ・ロイヤルエクスプレス」で北海道を走ることになっていた。
そうか、自前で持つよりも提携の方がいい。
 
ターゲットが明らかに高齢者の富裕層なんだけど、
もう少しリーズナブルなプランがあってもいいな、と思う。
ゆうづる」とか昔の寝台特急を復活させて、全然個室じゃないけど、
それで4日間かけて北海道や東北を回るというような。
風呂はなしでシャワーのみ、温泉地に半日ぐらい停車するとか。
食事も各地の駅弁でいい。
 
このご時世だと個室じゃないとこういうの難しいのかな。
4日間の旅でいびきをかく人と一緒になるとか、
延々酒盛りをやってる人がいるというのも嬉しくないだろうし。
自前で鉄道の旅を組んで実行するのがいいか。
 
そういや、あるか。
JR東日本だと「カシオペア」がリーズナブルな寝台特急で。
上野と青森を結ぶ。
シャワーとトイレは共用。
これ、一度ぐらい乗ってみたいな。

国立を歩く

大学の映画ゼミの先生が引退ということで国立でお祝いの会。
店は夕方からだったけど、せっかくなので国立をブラブラして過ごすことにする。
 
本当は元小平キャンパス、一橋学園駅前の「戸隠そば」で牛めしを食べるつもりが、
先日書いた通り3月末で閉店。
直接国立に行って定番の「ロージナ」でシーフードカレー。
店はほぼ満席で例によって定員のオペレーションが全然回ってなかった。
まあそれも懐かしいロージナの風景で。
シーフードカレーは1,400円もして学生時代はオーダーできなかった。
マイルドと書いてあったけどしっかり辛かった。牡蠣も入ってたな。
 
店を出て14時。講堂前の集合が17時だったのでしばらく時間がある。
大学通りをまっすぐ、南武線谷保駅まで歩いていく。
高級住宅街が続く。静かな美しさがあって、いつか住んでみたいと思う。
谷保駅に着いて、なんとはなしに階段を上り反対側へ。
階段を下りて驚く。田舎の無人駅並みに何もない。
店の類が1軒もなく、すぐ住宅地となっている。
南口はこんなだったのか。びっくりした。
 
近くに谷保天満宮があるというので行ってみる。
甲州街道沿いにあった。
この日曇りがちだったけど日が出ると夏の日差し。
林の緑が心地よかった。
お参りをする。チャボが放し飼いされて、あちこちをヒョコヒョコ歩いていた。
 
谷保駅に戻り、大学通りを引き返す。
国立高校では学園祭。
教室では演劇が行われているみたいでその看板が校門の壁にたくさん並んでいた。
それがひとつやふたつではなく、もしかして全クラスでそれぞれやってる?
一方でラーメンの看板も。どれも若いスタイリッシュな感性でカラフル。
気になったので中に入ってみようとしたんだけど、受付が結構並んでいたのでやめにした。
 
国立駅前まで戻って来てバイト時代によく利用したモスバーガーで一休み。
斜めに伸びる旭通りを果てまで行ってみる。
油そばで有名になった裏「三幸」はまだ健在、
表「三幸」は建物の老朽化によるものか立ち入り禁止のようになっていた。
よく通った定食屋「三春」はシャッターが下りて行った。
戻って来て今度は富士見通り。
「ラグー」はまだあったけど「物好奇」は見落としたのか見つけられず。
富士見通りを最後まで歩き通したのはこれが2回目か3回目ぐらいかな。
郵政大学校にぶつかる。
 
今から20年前、この辺りに後輩の一人が住んでいて、アパートの近くに電波系の家があった。
割と大きな、元はきれいな家だったのに窓という窓に「電波を送るな」といった貼り紙が。
あの家どうしただろう、と探してみるが見つからず。
20年もほったらかしになってることもないか。
 
駅まで戻って16時半過ぎ。大学へ。
講堂ではオーケストラがリハーサルを行っていた。
講堂前の階段で三脚を立てて記念撮影をして、「木乃久兵衛」へ。
一人ずつ近況報告をして、先生にお祝いの品を贈呈など。
22時まで飲んで、中央線に乗って帰ってきた。
 
大学通りと交差するさくら通りを歩くのも面白いが、今回は叶わず。
谷保~矢川~西国立と南武線沿いに歩くのも楽しいんじゃないか。
国立市界隈に4年も住んでいたのに西国立の辺り、行ったことなかったな。
次の散歩はその辺りを行ってみようかと。

おにぎりというもの

昨晩テレビをちょっと付けたらケンミンショーの最期の方で、
札幌では飲み会の〆におにぎりが恒例なのだと。
すすきのに十数年か前にオープンした「にぎりめし」という店が24時間営業で、
飲んだ後にこの店で食べるようになったのが始まりなのだという。
 
ご飯は塩味、醤油味を選ぶことができて、もちろん注文を受けてから握る。
「焼きたらこバター」とか「山わさび納豆」とか「さばトロ」とか。
「チャンジャ」は韓国海苔で巻く。
どれもおいしそうだった…
これら具材が全て北海道産、というところが何よりもそそる。
おにぎり以外にもクラムチャウダーといったおかずもあった。
 
テイクアウトもできるし、カウンターのイートインもある。
店の外にもベンチが出ていて賑わっていた。
すすすきののバーに出前もやってて、
客とホステスが一緒になっておにぎりで乾杯。
そういう文化として成り立っている。
 
昨年秋に札幌訪れたわけですが、全然知らなかった…
知ってたら行ってみたかった。
ジンギスカンをほどよく食べて、もう一軒はおにぎり。
 
こういった専門店、東京にないわけではない。
というか、たくさんある。「おむすび権兵衛」とか。
練馬・板橋ローカルだと「小島米店」という店が何店舗かある。
でも全然入ろうとしないのは「北海道産」というところが大きいのか。
 
いや、こういうことか。
おいぎりが主役としての存在感を放っている店構えかどうかなのか。つまり、
「○○のときにおにぎりを食べる」というライフスタイルを提示できているかどうか。
札幌の場合、「飲んだ後の〆はおにぎり」というコンセプトが定着したから皆食べるようになった。
これが「行楽のおともに」だと普段は食べない、となる。
「小腹がすいたら」だと他の食べ物でもいい、となってしまう。
「毎週水曜の夜は家族でおにぎりパーティー」ぐらい言い切ってしまったほうがいい。
 
そういえば、青森では昔から海苔ではなく、
「若生こんぶ」という若い昆布で巻くというのが定番であった。
なので「若生おにぎり」
この昆布さえあれば中に具は入ってなくてもいい、と母も言っていた。
今だとご当地グルメ、B級グルメと呼ばれることになるか。
 
新幹線の新青森駅でも売ってたかな。
「太宰弁当」というのがあって
他に「けの汁」の具や青森名産の姫竹という細長いタケノコを煮たのが入っている。
…僕はこの姫竹、全国的に当たり前であっておでんには必ず入っているものと思い込んでいた。