睡眠時無呼吸症候群の検査、その後

先月上旬、睡眠時無呼吸症候群の精密検査のため
専門のクリニックに一晩宿泊して、頭や体に計測器具をつけて過ごした。
結果が出るまで一カ月かかるとのことで、昨日聞きに行ってきた。
 
PCのモニターに各種の数値が表示される。
先日の検査入院では平均して1時間に20.2回、無呼吸となっていたという。
熟睡していたのは通常なら10~20%のところが1%、鼾が睡眠を妨げていると。
 
「当院では20回を超える場合はCPAP療法を受けていただくことになります」
毎晩寝るときにマスクをして機械から送られる酸素を鼻呼吸することで気道を確保する。
「本日このあとお時間があれば機械の説明を受けていただいてそのまま持ち帰ることもできます」
「慣れるまで3カ月から1年かかります」
「旅先に持っていくことでホテルで家族と一緒に
 睡眠をとることができるようになったという人もいます」
「機械はレンタル扱いとなりますが、保険が適用され、毎月の額は4,300円ほどとなります。
 故障時の交換やコールセンターのサポートを受けることができます」
同意書にサインをお願いしますと差し出される。
 
えええ……
突然の死刑宣告のような気分。
その時思ったことはこの器具をつけて寝ている間は
みみたがボールを持ってきてせがんでも
自由に起き上がって投げて上げることはできないんだろうなと。
 
なんだかモヤモヤする。
これまでちゃんと説明を受けなかったな……
聞いてみるとこのCPAP療法で体質が改善されるわけではないとのこと。
コンタクトレンズをつけるようになったからといって、
 視力が上がるわけではないのだということと一緒です」
一生この機会につながれて寝るってこと?
しかも毎月4,300円払って?
 
一方で、20回未満だとマウスピースをつくってそれをつけて寝るという治療になる。
そちらは数ヶ月装着していると喉への空気の通りが少し改善されるようだ。
だったらそっちがいいかなと思う。断然。
マウスピースはひとつ作るのに歯医者に行って2万円程度となる。
そちらにしてもいいですか、と聞くと
境目をギリギリ超えたところなのでマウスピースでもいいですよと。
1時間に40回以上無呼吸となる重症の人ならば
命に関わるので迷わずCPAPになるみたいだけど。
 
しかし、マウスピースにすると言った瞬間、先生がムッとして、急によそよそしくなった。
「他の患者さんの時間がありますのでこれ以上の応対はできません」
といったようなことを言われた。
「斡旋する歯医者への紹介状を書くことができますが、
 他の患者さんがいますので今この場ですぐは書けません」
 
しょうがないかと紹介状を後で書いてもらい、
後日また訪れて受付で受け取ることにした。
 
裏のすた丼屋で生姜丼を食べて、歩いてオフィスに戻る。
東京ドームの近くは風が強かった。
なんだかモヤモヤする。もっとモヤモヤする。
なんであんなによそよそしくなったのか。
CPAP導入の準備をしていたのが無駄になったということか。
そんなことじゃないだろう。
以下、うがった見方だが。
 
結局全部流れ作業なんだよな。
簡易検査して精密検査して、CPAP療法になると
器具のレンタルでチャリンチャリンとお金が入ってくる。
確実に儲かる。
 
もしかしたらノルマがあるのか。
カモに逃げられるとわかって時間の無駄と思われたか。
あくまで医療行為だから人をだますようなことはないはず。
しかし……、簡易検査では1時間に10回という精密検査への境目ギリギリを超えて、
一晩精密検査してみると1時間に20回というCPAP両方の境目をギリギリ超える。
これは偶然なのだろうか……
数値の読み方の操作があったりしないか。 
そもそも検査結果をプリントアウトして渡すということもなかったし。
なんだか信用できないな……
 
マウスピースはつくってみよう、しばらく装着して寝てみようと思う。
でもあのクリニックで継続して診断、検査してもらうかというとそれはないな。
ある種の医療の現場ってこんなことばかりなんだろうと思う。

非定住生活への憧れ

人は今の自分にできないことに憧れる。
身の周りの持ち物を極限まで減らして、
あ、この町住んでみたいなと思ったら賃貸物件を探して、
ちょうどいいのがあったら2年ぐらい住んでみる。
季節を2回巡ったぐらいで次の町へ。
そういうのに今、憧れる。
 
例えば昨晩、酒場放浪記を見ていたら東武スカイツリーラインで北千住から一駅、
京成線の駅にも近い、便利な町と紹介されてどんなところだろうと。
東京23区の北東部はよくわかってないし。
初めて下りて商店街を歩くときもそうだ。
江古田の駅は昔ながらの商店街に
新しい店がほどよく溶け込んで住みやすそうだった。
 
その際たるものはテレビでよく取り上げられる
新橋のキューブ型の部屋が積み重なって近未来的な「中銀カプセルタワービル」
黒川紀章が設計した、メタボリズム建築の傑作。
部屋によっては新進気鋭の建築家がリフォームしているという。
基本1R。賃料は6~7万。
ここに夫婦一部屋ずつ借りることができたら面白そう、とは思うが、
いや、都心の仕事場として借りてみたい。
 
実際には本もCDも増える一方で床に積み上げたまま片付けられず。
とてもじゃないけど気ままに引っ越しなんてできるわけがなく。
ここが終の棲家となるか……
 
本もCDも断捨離して、服も夏冬5着ぐらいに減らして、
家具も必要最小限で。
物置にしまいっぱなしのいつか使うかもと買ったBBQセットや
いつか役に立つかもと買い替え前のプリンターなど、すっきり処分。
引っ越しをせずともそういう暮らしに憧れるのであるが。
サハラ砂漠に旅行した時の大きな karrimor のリュックサックなんかも。
結局その後眠ってて場所をとる思い出の品、みたいな。
そういうのばっかりなんだよなあ。
 
キャンピングカーが流行っているようでたまに見かける。あれが究極か。
イギリスやイタリアなんかでは川に浮かべた船で生活している人もいますね。
先日読んだヴァージングループ総帥リチャード・ブランソンの伝記においても
彼は若い頃の一時期、豪華なクルーザーに住んでたみたいで。
今もアジアのいくつかの地域で浮島の上に家を建てて住んでいる人たちがいる。
一か所に定住するというのは人という動物にとって正しいことなのかどうか、
時々そんなことを思う。

01/14-01/19

01/14(火)
 
3連休明け。
妻が先週買ってきたカーネル・サンダースの伝記を読み始める。
会社に着いて、熊本からもらってきたみかんを食べる。
 
打ち合わせが3本、レクチャーが1本。
そのうち1本は入れ間違えて仕切り直し。
昼、弁当。昼寝。
 
定時で帰る。
弁当の用意。親子丼をつくる。
夜は妻がリンガーハットで買ってきてくれる。
皿うどんの太麺。
鑑定団、迷宮グルメ。
その後、ヒャダインのサウナの番組をまた途中まで見てしまう。
小峠がゲスト。
23時半前に布団に入る。
 
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01/15(水)
 
寝ている間に雨で目を覚ます。朝も雨。
駅前のロータリーがつぶされて、駐輪場になる。
駐輪場が足りないとニュースでやっていてまた拡張。大丈夫だろうか。
 
開発を担当した部分がうまく動かずということで午前中と定時後対応。
夕方の打ち合わせ、今後の進め方について。
手ぶらで行ったらやはりうまくいかず。
 
昼、弁当。昼寝。
20時前まで仕事して帰ってくる。
妻の方が若干早かった。
夜は妻のつくってくれたおにぎり、みそ汁、ポテトサラダ。
ポテトサラダにこの前試しにつくってみたホットオイルをかけてみるが全然辛くない。
那須のイタリアンの店のマスターが合うハラペーニョを見つけるのに1年かかったと言っていたが、
その意味がわかった。
 
弁当の用意。鯖のみりん干しを焼く。
街録を見て寝る。
カーネル・サンダースの伝記を読み終える。
 
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01/16(木)
 
以前中古で見つけたヴェネディクト・エロフェーエフ『ヴァルプルギスの夜』を読み始める。
エロフェーエフは『酔いどれ列車、モスクワ発ペトゥシキ行』で修論を書いたんだけど、
あんなのでよく通ったなと今でもヒヤヒヤする。
 
終日要件定義の資料作成とその打ち合わせと。
相変わらずのグダグダ殴り書きなんだけど、
毎月半分の稼働でよくぞここまでまとめられましたねと。
当初予定の3月完了とできるか。
どこでギブアップするか、まだがんばるか。
 
昼、弁当。問い合わせメールに返答。昼寝。
19時前にオフィスを出た。外は寒い。
掃除機、洗濯ものを畳むなど。
弁当として高菜炒飯。
その残りと昨晩のポテトサラダ、日清の蕎麦。少し食べすぎた。
お笑い演芸館。清水アキラがもはや笑えるものなのかどうか。
シャンプーハットを久々に見た。よくわかんなくてやっぱいいな。
23時過ぎに布団に入る。
妻の帰りは終電。
1時過ぎに帰ってきて目を覚まして下まで降りていく。
 
月曜、間違ってボディソープの詰め替えをシャンプーに入れてしまったと
火曜になって気づいたと思っていたら……
僕の使ってるシャンプーではなくて妻のコンディショナーだったようで……
しかも高級なものだという。怒りのLINEが。
弁償することになり、家に帰って Amazon で調べてみたら7,000円越え。
不注意から痛い出費となった。
 
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01/17(金)
 
朝起きて、ああ、土曜かと二度寝するところだった。
月曜休みだと日付の感覚がおかしくなる。
 
昼、昨晩の高菜炒飯。
この日は午後ずっと入れ替わり立ち替わり打ち合わせ。
意外なところで話がよくわからないということになり、一瞬切れそうになるのをこらえる。
開発したところの不具合の報告があって諦める。明日の朝来てやるかと。
 
定時過ぎに帰る。
妻が先に帰ってきて、取材先で聞いてきたというレシピで3品。
包まない焼売、竹輪とアボカドとキムチの春巻き、カツオの酢豚風。
どれもうまかった。結構な量だったのに食べきってしまった。
チコちゃん。新日本風土記は大阪ベイブルース
猫歩きは久高島。正月のブラタモリ+家族に乾杯も久高島を訪れていて、
あ、ここ出たなという場所が。
この辺りから眠くなっておんな酒場放浪記で寝落ち。
明日は出社だしとタモリ倶楽部は見ないでさっさと布団へ。
23時半前には寝た。
 
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01/18(土)
 
5時半前に起きて7時出社。
さすがに誰もいないが、後からチラホラと仕事する人たちが。
10時には終えて東京ドームの「ふるさと祭り東京」に行くつもりが、
なかなかすんなりと行かずに12時。
ほんとはもっとやったほうがいいんだろうけどきりがないのでそこで打ち止め。
 
外に出ると雪。ドームまで寒い中歩いていく。
中に入ると熱気がムンムン。想像以上の人また人。
高崎の黄色いカレーや味噌カレー牛乳ラーメンなど食べる。
タイミングよくねぶた囃も見た。
 
外に出ると冷たい雨。新宿でタワレコとDiskUNnionに寄って帰る。
雨が続く。荷物を置いてライフに買い物。
ミニクロワッサン詰め放題に人が集まっていた。
iTunesへのCDの取り込み。
アイロンをかけながらイタリア。
ブラタモリは浜松。なぜ浜松でウナギの養殖が?
汽水湖となったことにその秘密があるんですね。
 
夜も小雨で寒い。お風呂を沸かして入る。
CDの解説を読む。
きじまりゅうたの小腹をみて、お笑い向上委員会。
豪徳寺で選評会議のあった妻が日付の変わった頃帰ってくる。
最近の編集学校の模様など聞く。
気づいたら午前2時。
おしんの再放送をつけっぱなし。
山下真司スクールウォーズよりもおしんのバカ息子こそ今語られるべきではないか。
 
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01/19(日)
 
晴れていて暖かくなったが、9時まで起きられず。走れず。
常備菜の準備。きんぴらごぼうブロッコリーを茹でる。ちくわ炒め。
イタリアを見て、Lazy Sunday へ。
昼は小豆島で買ったオリーヴのパスタでペペロンチーノ。
自動車保険の有効期限が切れて今度は僕の名義で入り直すことになる。
手続きをする。
午後、年末に妻が買った机と椅子が届く。そのための片付け。
配送業者の方が来て設置する。
Lazy Sunday が終わって散歩がてらライフへ買い物。
 
夕方、弁当の用意。ほっけを焼く。ウィンナーの卵炒め。
笑点世界遺産。モヤモヤさまぁ~ず2は大宮。
麒麟がくる」を見る。冒頭で、大河王道の合戦の場面。
地平線の果てまで広がる草原。
ようやく大河ドラマを見ることができるとほっとしたお年寄りも多いのではないか。
吉田剛太郎に堺正章、うまかったな。
それにしても昔の人ってあんなにカラフルな服を着てたのだろうか。
エグスプロージョンの「本能寺の変」何回見ても面白かったなあ。
不祥事がなかったら再ブレイクしたんじゃないか。
 
CD部屋の片づけなどして早めに寝る。
23時過ぎには布団に入った。

ホットオイルというもの

10月頭、那須のイタリアンで買ったホットオイルがおいしかった。
なかなか辛く、パスタにサラダにいろんなものにかけて食べていた。
もちろん、使い切る日が来る。
さすがにこのために那須まで行くわけにもいかず。
店のサイトはあるが、通信販売はしていない。
 
自作してみようかと思う。
ネットで探すが、意外とレシピが見つからない。
クックパッドを見てもオリーヴオイルに唐辛子を入れるだけ、
辛みが出るまで1週間ぐらい待つ、といった感じでなんとも簡単そう。
LIVIN のキッチン用品売り場で卓上用の小さな瓶を買ってきて洗い、乾燥させて、
以前どこかの道の駅で買った袋入りの乾燥唐辛子を1cmぐらいに刻んで中に入れて
オリーヴオイルを注ぐ。
 
1週間経って使ってみたが、全然辛くない。
色は多少赤く色づいたが。
なんなのか。唐辛子の種類が違うのか。
メキシコの激辛ハラペーニョだといいのか。
そういえば那須の店のオーナーは
「ちょうどいいハラペーニョを探すのに1年かかりました」と言っていた。
もしかしたら食材卸しの専門店で取り寄せるものなのかもしれない。
 
あと、種を入れるべきかどうか迷って種が辛いのだから入れるべきとしたものの、
そうすると注ぐたびに種がこぼれ出てくる。
邪魔にはならないが、恐らく製品として売っているものは種が入ってないのではないか。
ホットオイルひとつとっても案外難しい。
 
ホットオイルを使うようになってから、ピザやパスタにタバスコはかけない。
この前テレビを見ていたらイタリア人はタバスコを使わないのだという。
あくまでホットオイルのみ。
 
探せばイタリア食材の店がネット販売を行っていて見てみるも
ホットオイルそのものを売っていて唐辛子は売っていない。
いや、このホットオイルを買えばいいのか。
そう思って見てみると Amazon でも別なのを売っていて。
沖縄の島唐辛子を使ったものもある。
ホットオイルというのではなく、フレーバーオイルで探した方がより適切っぽいことがわかる。
ネットを眺めていると、東京駅のグランスタに「EATALY」というイタリア食材の店があるみたいで。
こっちは高級食材なのかな。今度行ってみるか。
 
イタリアから輸入されたのを買っていくつか試してみるのと、
自分でもつくってみるのと。
両方進めて、これだ! と分かったらまた続きを。
シンプルな分、奥が深そう。

「ふるさと祭り東京」行ってみた

火曜に妻が東京ドームで開催されている「ふるさと祭り東京」に行ったら
思いのほか賑わっていて楽しかったというので僕も今日行ってみた。
全国のゆるキャラ、祭り、ご当地府グルメを集めてPRのブースも出して、という。
たまに吊革広告で見かける。10年以上やってるのかな。
10日の金曜から明日、19日の日曜まで。
 
仕事が終わらず、今日は平日のように7時出社。
最低限片付けて10時には出るつもりが、なかなかうまくいかず……
12時で打ち切りにしてオフィスを出た。
飯田橋なのでドームまでは一駅。
そう思って外に出たら雪が降っている。朝、寒かったもんな。
 
それがいざドームの中に入ると中の熱気でダウンジャケットじゃ暑いぐらい。
グラウンドにはびっしりとブースが並び、人気のエリアは人の行き来もままならぬくらい。
最初に出会ったのがたまたま青森のエリアで、十三湖しじみラーメンや
田子のにんにく、青森県が最近力を入れているカシス、
それに妻に聞いていた嶽きみ天ぷらなど。
最近青森で話題の洋菓子屋「アルパジョン」も出店していた。
味噌カレー牛乳ラーメンは「味の札幌」ではなく「かわら」という店だった。
(後で高校の同級生のLINEグループで話題にすると筒井の方にあるよ、と教えてもらった)
 
この辺りはまだすぐ買えたけど、
遠くにちらっと見えた北海道のエリアは満員電車のような混雑。
「全国ご当地どんぶり選手権」はどの店も行列でどこにどう並んでるのかよくわからない状態。
北海道の「うにめし丼」や島根の「のどぐろ丼」がすごかったかな。
買ったばかりの丼を手に立ち止まって辺りを見渡す人もいれば
行き先が決まっていて急ぐ人もいて収集がつかず。
どの店も目立たせようと飛び掛からんばかりの看板とメニュー紹介で
店先では客引きが元気に声掛けしていて、情報量の多さにクラクラしてきた。
久々にコリャアカンと思った。
 
「開運たかさき食堂」というエリアがあって入ってみる。屋根があってアーケード風。
会期中の前半と後半で店が入れ替わったようで、4つあったうちのひとう、洋食屋のブースが気になった。
「絶メシ」と掲げられていて、絶滅寸前の昭和の町の食堂なのかなと思いきや、
絶品町グルメということらしい。両方の意味がありそう。
メニューには寺西精肉店のコロッケ、シャンゴという店のシャンゴ風パスタ、松島軒の黄色いカレーなど。
手始めに黄色いカレーを食べてみた。400円。
どろっとした懐かしい味のカレー。おいしいですね。今思うとコロッケをトッピングにすればよかった。
ブースの並ぶ奥にはダルマも売られていた。
 
隣りのエリアは沖縄。ここも混雑していて、抜けて会場を全体的に見てみた。
浜松の餃子、富山の白海老の天ぷら、大分の鶏めし、見るもの皆食べたくなる。
ステージでは民謡を歌って踊る女の子たちのグループが演じていた。
離れたところに青森県の各市町村のPRブースが並んでいる一角があって、
立地がよくないのか客の入りはあんまりだった。
一回りして最初の青森グルメのエリアに戻って味噌カレー牛乳ラーメンを頼んだ。
チャーシュー、メンマトッピングの全部乗せで1,100円。
実際の店よりも高いフェス料金なんだろうなあ。
 
観客席に上がって、空き席を見つけて食べる。
結構埋まっている。馴れている一家は二列に固まって
めいめいが食べながら「じゃあ次綿叱ってくるから」と立ち上がって買いに行く。
そんな感じに一日を過ごす親子を周りでチラホラと見かけた。
パンフレットを置いて席をとって皆出払っているという人たちもいた。
観客席の高いところから見下ろす。
拾いグラウンドがブースと観客で埋め尽くされ、その店のひとつひとつから幟が立っている。
ところどころ祭りと書かれた小型の白いアドバルーンも上がっていた。
観客席を取り囲むドームの広告たちもまた賑やかで。
こんな大規模のイベントは他になかなかないだろうな。
 
食べ終えてまた下りていってブラブラしようとしたら会場の照明が急にスッと落とされた。
スピーカーからはねぶた囃が。
お、ちょうどいいタイミングだ、せっかくだから見ていこうかとステージの方に向かうが、
皆同じように押し寄せるのでノロノロとした流れの中に入り込んでなかなか先に進まない。
ステージ前の観客席は有料となっていてそこも既に満席。
階段を上って行って2階の通路から眺めることにするが、この階段も渋滞。
ようやく辿り着いても人だかりが何重にもできていてよく見えない。
なんとか高い作で囲われたテレビ局の撮影しているマイクの後ろという位置をキープすることができた。
青森から来たのかハネトの代表がミスねぶた数人を紹介して、
このミスねぶたたちが一人ずつ、ねぶたの魅力や歴史を解説した。
ミスターハネトグランプリの男性が登場して跳ね方のレクチャーののちに、
衣装を身に着けた30人ぐらいのハネトの一段と共にねぶたの運行。
ねぶたは北村蓮明氏によるものだった。
パーツに分けて10トントラック2台で運んだという。
ステージをハネトとねぶたが一周する。
ラッセ―ラー、ラッセラーと力強く声を絞り続ける男性の方がすごかった。
 
ねぶたを見終えてまた観客席の階段からグラウンドに戻る。
またいくつかのエリアを見て回る。
北海道が一番人気かな。カニの甲羅焼きとか。トゲ付きのウニとか。
そろそろおなかいっぱいになってきた僕はコロッケの店でカニクリームコロッケを。
秩父の店のブースでイチローズ・モルトを売っていて、ハイボールを。
その近くの栃木県大田原市が最近名産にしているという唐辛子をたっぷり使った唐揚げをつまみにして飲んだ。
 
一時間ぐらいしかいなかったけど、しっかり堪能。
来年は一日がかりでぶらぶらしたいな、と思う。
熱気にやられっぱなしだったのにドームの外に出ると雪から雨に変わって、それはそれで寒かった。
ねぶた囃の余韻に浸りながら帰った。

豪雪の記憶

今年は雪が全然降らず、あちこちのスキー場で苦労しているという。
どうやって雪を確保するか。落ち込んだ利用者数をどう回復するか。
年末に青森に帰ったとき、駅のホームから八甲田山が見える。
何気なく雲谷のスキー場を探すがすぐにはわからず戸惑った覚えがある。
いつもならゲレンデとなる北向きの斜面が白い三角形となっている。
 
温暖化で年々積雪量が減っている。
雪のない元日を迎える年もこの10年、チラホラとあった。
逆に、子供の頃の80年代はとんでもなく降っていた。
北陸の豪雪地帯のように二階から出入りするということはさすがにないが
朝昼晩と振り続けて1日に3回も4回も雪かきをするというような。
その都度踝から太腿ぐらいまでは新しい雪で覆われている。
 
子供の頃、年末年始は必ず津軽半島の先端に近い、
今別にある母の実家で親戚たちと一緒になって過ごしていた。
29日か30日に訪れて、3日か4日になると帰ってくる。
豪雪だったある年は戻ってきてみると一週間分の雪で家に入れなくなっていた。
人の背丈ほどあっただろうか。
その当時住んでいた家は道路から少し奥まったところにあって
家屋まで細い道が続いていた。
それが全部分厚い白い壁になる。
 
どうやって雪かき用のスコップを手にしたのか。
雪の上を這っていったのか。
いや、物置も玄関も開けられる状態にないから近所から借りたのだろう。
まずは最低限人が歩けるだけの細い道をつくって家の中に入れるようにして
その後全体的に片付ける。
家の裏に生活排水を流す割と大きな水路があって、
普段はそこにスノーダンプで持っていくんだけどそれが無理なので
近所の少し離れた空き地に運ばざるをえなかった。
さらに時間がかかった。
 
その日のうちには片付かなかったんじゃないか。
もちろん僕も手伝うことになる。
見たいテレビも見られず、日がな一日雪かき。
それまでは二階から出入りというのに憧れていたけど、
現実というものがわかってさすがにそういう気持ちもなくなった。
 
そんな事態に陥ったのはその時だけで、
一週間家を離れる前にきちんと雪かきをしておくと
晴れた日に少し雪が解けたりするのでここまで大変なことにはならなかった。
あの年は八甲田山の麓の酸ヶ湯温泉辺りだと5mや6mぐらい積もったんじゃないか。
豪雪というとあの日のことを思い出す。

マンモス団地、午前6時

この頃が一年で最も日の出が遅いんだったか。
朝5時半前に起きて6時過ぎには駅のホームに着く。
空は暗いまま。夜が続いている。
 
光が丘の駅はマンモス団地に囲まれていて、
駅前の団地のひとつは防犯のためか道路に面した通路の真っ白な照明が
全フロア数mごとに設置され、一晩中付いたまま。
眩しいんだけど静かで、ひと気を一切感じさせなくて、
規則正しく並ぶその光は夜の暗闇に吸い込まれてしまっている。
 
それ以外の団地は階段に非常灯など灯っているが、そこまで明るくはない。
多くの部屋の明かりが消えている。
縦15~20階、横10~20部屋が一棟となるか。
明かりが付いた部屋を数えるとひとつふたつということもあれば、
10あるかないかというところも。
何にしても全体のパーセンテージとしてはかなり低い。
かなり目立つことになる。
 
朝起きて身支度を整えているという人もいれば
昼夜逆転していて今から寝るという人もいるだろうし
たまたま電気を消し忘れた、という人もいるだろう。
それぞれあるけど6時って案外人は寝てるものなんだなということに気づく。
7時までに起きて8時までに家を出れば都心のオフィスには十分通えるか。
 
団地の間にはところどころ2階の高さの橋がかけられて行き来できるようになっている。
団地の立ち並ぶエリアの入り口にローズガーデンに渡る橋があって毎朝、毎晩その上を歩く。
建築中の清掃工場が見える。
日々少しずつその煙突が伸びていく。周辺施設も整いつつある。
数年前に操業を停止して全体を柵で囲われて解体が始まって、一度まっさらな更地に戻る。
しかし柵ははずされず、また新しい清掃工場を建て始める。何年もかけて作っていく。
その間、谷原の清掃工場が稼働しているのだろう。
光が丘の清掃工場が完成して稼働するようになると恐らく、谷原の清掃工場が解体、建て直しとなる。
サイクルをずらしたサインカーブ。そのとてもゆっくりとしたリズム。
とてつもなく大きな生き物の呼吸のような。
午前6時前、その工事現場もまた深く広い眠りについている。
 
通り過ぎて駅前に出て階段を下りていく。
改札をくぐってホームに。
半分は毎朝見かける顔。
だけど互いにそれ以上のことは知らない。
時間が来て地下鉄に乗り、都心へと向かう。