先週買ったCD #6:2020/11/16-11/22

2020/11/16: diskunion.net
山崎まさよし 「Cover All Yo!」 \480
Yellow Magic Orchestra 「Complete Service」 \1800
Tower of Power 「Urban Renewal」 \1300
Carla Bruni 「al'Olympia」 \880
 
2020/11/16: TowerRecords 光が丘店
Isabelle Faust / Alexnder Melnikov 「Mozart : Sonatas for fortepiano & violin」 \3300
 
2020/11/17: www.amazon.co.jp
福耳 +All Stars 「All Songs Must Pass」 \1298
 
2020/11/18: www.amazon.co.jp
福耳 「The Best Acoustic Works」 \800
Huelgas Ensemble 「Codex Las Huelgas」 \1400
 
2020/11/20: DiskUnion 新宿中古館
赤い公園 「赤飯 ~熱唱祭り盤~」 \5500
羅針盤 「らご」 \2232
羅針盤 「せいか」 \2518
Tower of Power 「In The Slot」 \1200
Pretenders 「Pretenders II Deluxe Special Edition」 \1601
Grace Jones 「Nightclubbing Deluxe Edition」 \2250
Orchstra Baobab 「Night At Club Baobab」 \1426
Trio Da Kali and Kronos Quartet 「Landlikan」 \1100
Roberta Sa & Trio Madeira Brasil 「Quando O Canto E Reza」 \2137
 
2020/11/20: TowerRecords 光が丘店
Carla Bruni 「Carla Bruni Deluxe Edition」 \2849
 
2020/11/21: www.amazon.co.jp
(V.A.) 「モテキ的音楽のススメ Covers for MTK Lovers」 \290
 
2020/11/21: www.hmv.co.jp
Queen 「Live Magic」 (\2456)
スキマスイッチ 「グレイテスト・ヒッツ」 (\330)
HMVのポイントで
 
2020/11/21: www.hmv.co.jp
High Rise 「Tapes+」 \3036
Yellow Magic Orchestra 「Technodon」 \2834
Nora Jones 「Pick Me Up Off The Flore」 \3267
Mstislav Rostropovich / Sviatoslav Ruchter 「Beethoven: Sonatas for Piano and Cello」 \4180
Einsturzende Neubauten 「Alles In Allem」 \2419
 
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Queen 「Live Magic」
 
同じ規格でそのアーティストのアルバムを全て揃えようとするとき、
再発で発売されたばかりだとなくなりそうな順番を予想して
半年ぐらいかけて買って行けばいいので難しくない。
大変なのは既に廃盤、店頭在庫のみとなったものを集めようと思い立ったときで。
例えば、2011年に出た Queen の Deluxe Edition 2枚組(SHM-CD )のシリーズ。
2015年末頃から1年かけてコツコツと進めていった。
あの頃は「Queen II」や「オペラ座の夜」といった前半期の代表作は店頭に在庫が割と残っていた。
3枚目の「Sheer Heart Attack」だけがなぜか見つからず、
タワレコで検索したら首都圏の店舗で唯一川口のアリオにだけ残っていて
わざわざ買いに行ったこともあった。
「The Works」「The Miracle」といった後半の諸作はたまたま
神保町の DiskUnion に中古でほとんど並んでいて、そこで補完できた。
 
「A Kind of Magic」だけが欠けていて、そのうち見つかるだろうと思っていたら
映画『ボヘミアン・ラプソディ』の大ヒットで店頭から Queen の CD がごそっと消えてしまった。
以後探し続けて4年。ようやく先月、DiskUnionのサイトで中古を見つけることができた。
80年代半ばだしなーと期待せずに聞いたはずが、なかなかいい。
冒頭の ”One Vision” から王道のきらびやかにして力強い Queen 節炸裂で、
続く表題曲 ”A Kind of Magic” のキラキラしたポップソングに流れ込んでいく頃には
心をわしづかみにされていた。
高校の頃、初めて Queen を聞いたときのことを思い出した。
 
「A Kind of Magic」の解説を読んで腑に落ちた。
初期にはあれほど使ってないと強調したシンセサイザーを導入して、ソウルもディスコも取り入れて。
フレディ・マーキュリーも髪を切ってひげを蓄えてあからさまにゲイと主張。
音楽的に低迷している時期と一般的に思われているが、
ライヴバンドとしては一番脂が乗っている時期だった。
ボヘミアン・ラプソディ』でも描かれていたけど、
メンバー間の不和を乗り越えて伝説のライヴエイドのステージに立つという実は充実のときを迎えていた。
 
そういえばこの頃のライヴアルバムが出ていたなあと「Live Magic」を。
ほんとは2枚組のウェンブリースタジアムの方が実際のライヴに近いんだろうけど、
1枚組で”Bohemian Rhapsopdy”, "Radio Ga Ga", "Another One BItes the Dust", "Under Presseure",
"We Are the Champions", "We Will Rock You", "Seven Seas of Rhye" etc.
と代表曲がギュギュっと凝縮されていて、これぞ Queen という内容。
これでもう文句はないだろ、さあ楽しもうぜ、と肩を叩かれているような。
 
あれは高2だったか。
クラスメイトからフレディ・マーキュリーエイズだってニュースでやってたぞ!?
と聞いたその翌日、訃報が。最後の最後に明かしたのか。
Queen なんてかっこ悪いという時期が確かにあった。
何度も何度も浮き沈みを経て、今は世界で愛されるバンドになった。
フレディ・マーキュリーの体調の悪化によりこの「Live Magic」の頃が4人でツアーに出た最後だった。
ライヴバンドとして燃え尽きる寸前のキラメキがここにある。
 
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(V.A.)  「モテキ的音楽のススメ Covers for MTK Lovers」
 
先日、『ダウンタウンなう』のはしご酒に森山未來が出ていて、
財布もスマホも持たない、カーナビも見ない、
役作りのために都内で1カ月野宿した変人という扱いを受けていた。
カーナビに頼るようになったら試行錯誤して道を覚える楽しさがなくなってしまうと語っていたのを聞いて、
ああ、この人はどうやって自分の感性を尖らせるか、ただそこにストイックに向き合ってるんだなと。
『いだてん』でも異彩を放ってたな。いい意味で浮いていた。
その『ダウンタウンなう』で経歴を紹介していた時に若い頃の映像が出てきて、『モテキ』の映画だったか。
もう全然別人で、あの映画に出ていた頼りないメガネ君も森山未來かと思うと狐につままれたように思った。
 
モテキ』は漫画もドラマも見てないけど、映画だけは見た。
「恋が、攻めてきたッ!」という惹句と、長澤まさみ / 麻生久美子 / 仲里依紗 / 真木よう子の4人が
ハッピを着て神輿を担いでいる姿がインパクトあった。
しかしこの宣伝こそがこの映画のピークであったようにも思う。
4人のうち後半の2人はほとんどストーリーに絡まず添え物でしかなく、見ててううーんと悩んでしまった。
とはいえ、使われた曲は最高で。
Perfume "Baby Crusing Love" / ももいろクローバー "走れ!" / 橘いずみ "失格" /
岡村靖幸 "カルアミルク" / 東京No.1 Soul Set "ヤード"など名曲ぞろい。
そしてエンドロールに流れたスチャダラパー featuring 小沢健二 "今夜はブギーバック"で泣く。
これらの名曲が惜しげもなく並んだサントラは最高だった。
 
サントラ以外にもパーティーミックスとかキャラクターを意識した選曲のコンピとかいろんな企画があったんですよね。
プロデュースした人は楽しかっただろうなあ。
このカバー集もそのひとつで、80/90年代の名曲を00/10年代のバンドが、という。
フラワーカンパニーズ橘いずみ ”失格”を、フジファブリック小沢健二 "僕らが旅に出る理由"を。
N'夙川BOYSがカバーしたバービーボーイズ ”目を閉じておいでよ”は最初のうちは忠実になぞってコピーしていたのが
後半マーヤがしんどくなってきてドシャメシャに。ファンなら面白いと思う。
そう、それぞれのファンなら面白いというレベルにとどまっているのが惜しいところか。
モテキ』という枠組みをはずしたら、ただのまとまりのないカバー集となってしまう。
川辺ヒロシ藤原ヒロシ小泉今日子ゆらゆら帝国の”空洞です”をやってて、何だこの組み合わせは!?
と思いつつも一番いい出来になっているという。
このレベルのがあと何曲かあったら。
 
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Grace Jones 「Nightclubbing Deluxe Edition」
 
国内盤の中古は帯付きを買う、帯の欠落したものは買わないというルールを自分に課している。
なんでなのか明確な理由は自分でもわからず。
ただ単にもともと売られていた通りのパーツが揃っていてほしいという思いもあるんだろうけど、
初回特典のツアー先行申込のチラシが入ってないといけないかというとそこはまあいいかと諦めがつくし、
がんばって国内盤帯付きを見つけてもアーティスト名とタイトルと販売元が書いてあるだけの
情報量ゼロに近い帯もある。
ぶっちゃけある種の神経質な病いなんだろうなあ。
帯がついていたら iTunes に取り込んだときにボーナストラックが1曲増えるといった実利は何もないし。
 
となると、輸入盤だと帯というものがないので気が楽かと言うと必ずしもそうとは言い切れず。
帯に代わるものとして、Deluxe Edition の2枚組のデジパックを収めるプラスチックのケース。
透明なやつの下の方に白で "Deluxe Edition" と書かれている例の。
最近は Amazon でも国内盤だと帯付きかどうか書いている業者が増えてきていて、
HMV や DiskUnion のサイトだと必ずコンディションとして明記されている。
これが Deluxe Edition のケースになると曖昧で。
先日この Grace Jones 「Nightclubbing Deluxe Edition」で特に記載がなかったのを取り寄せてみたら
このプラケースのないデジパックだけで、気持ち悪く感じた。
ほんとよけいなところだけ神経質ですね。
 
このプラスチックのケース、アーティストやアルバムによって変わるものではなく、
固有の情報が印刷されたものではなく、
恐らく統一規格があってどこかで大量に生産されている。
しかし、Amazon で売ってるわけがなく。
メルカリだったら出品されてるんじゃないかないと探してみるも、見つからず。
 
うーん、今度また中古で見つけたら買うかと待っていたら DiskUnion にて未開封のが出てきた。
これだよこれ、とオーダーしてみる。
……届いたのを見てみたら、プラスチックのケースではなく、
覆っている透明なフィルムに貼られたシールに "Deluxe Edition" とあった。
フィルムを破って捨るとき、このシールをわざわざ取っておくという人もいないだろう。
そうか、もともとケースはなかったんだな。無駄なところに金を使ってしまった……
 
気を取り直して。
元々持っていたのでこのアルバム何度も聞いている。
でも初めて聞いたのは去年かな。
高校・大学の頃から持っていてボロボロになるまで読み込んだディスクガイドが何冊かあって、
そこにももちろん載ってるんだけど、なんかおっかない気がして。
黒人の女性。ミュージシャンになる前はモデルとして成功していて、
恐ろしく鍛え抜かれた美しい肢体。トップアスリートのような。それ自体がアート作品。
(ベストアルバム「Island Life」のジャケットを参照)
性というものを超越したサイボーグのよう。というか未来から来たターミネーター
 
ということで敬遠していたわけですが。
昨年の夏、レゲエを聞いているときに最強のリズム隊、スライ&ロビーが気になって来て、
いろいろ辿っているうちにこのアルバムに。
レゲエ、ロック界のキティちゃんばりに神出鬼没でどこでも誰とでも仕事してきた2人。
確実な仕事ぶりで外れはないけど、その分大当たりもない。
そんな中、これは数少ない大当たりのひとつ。
80年代特有のひんやりした機械的な音でありながら、時代を超越した普遍的な音でもある。
ドスの利いた声、水前寺清子バリに潔く短い髪、というとこの当時は
元 Eurythmics のアニー・レノックスを思い出すけど、
Eurythimics がソウルに影響を受けたニューウェーヴだとしたら、
グレース・ジョーンズニューウェーヴに影響を受けたソウル。
(そういう意味だとドリカムもそうか)
近未来から来た、機械と人間が融合した真夜中のソウル。
 
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Carla Bruni 「Carla Bruni Deluxe Edition」
 
元モデルの歌い手というと、グレース・ジョーンズと並んで思いだすのはカーラ・ブルーニ
Amazon で検索するとシンガーソングライターになってからのアルバムだけじゃなく、
スーパーモデル時代の VHS 作品なんてのも出てくる。
あっと驚く転身で、しかも圧倒的な才能があった。
シンプルなバックをつけて、ギターを弾きながら歌う。
フランスの歌い手で近いと思うのはフォーク時代のフランソワーズ・アルディかな。
かつ、2枚目でイェイツ、オーデンやエミリー・ディキンソンの詩に自ら曲をつけたというように
文学的な知性も兼ね備えていて。
天は二物も三物も与える。
 
しかも、元フランス大統領二コラ・サルコジと再婚してるんですよ。元大統領夫人。
もともとイタリアの上流階級の出身ということで家柄もよく、三物から四物へ。
特にイケメンというわけでもないサルコジ大統領のどこがよかったのか。
日本人にはわからないフランス的な男の魅力があるんだろうなー。
公務よりも新作のプロモーションを優先させたことがあって
大統領夫人としてはあまり評判よくなかったようですが。
どんだけすごいんだこの人は。
 
でも、そういった予備知識なしにまっさらな状態でアルバムを聴いても
多くの人は素晴らしい音楽だと思うのではないか。特に最初の3枚。
一点の曇りも汚れもない、3枚目のジャケットに写る湖畔の森のように静謐で優雅な音楽。
ここまで私生活というものを切り離して音楽をつくることのできる人ってなかなかいないのでは。
世俗にまみれない。
持って生まれた絶対的な美貌ゆえに孤高を保ち、紡ぎ出される音楽。
 
今作はそのカーラ・ブルーニの最新作。6作目。
まだ入手できたので ボーナストラックの入った Deluxe Edition にした。
今のところ日本盤の予定はなさそう。
これまでと大きく変わったところはないと思う。
いい曲を書いていい演奏をするというただそれだけ。
明るい軽快な曲が増えたかな。何よりも貫禄が増した。
いや、それは軽みと呼ぶべきものだろう。
人生の後半に差し掛かって苦労の果てに体得するもの。
初期の頃にそこはかとなく残っていた少女性は姿を消して、今は成熟した一人の女というか。
声もよりハスキーになったような。
こんなふうに美しく年齢を重ねられる人はほんの一握り。
とんでもない努力をしているけど、絶対それは外に表さないのだろう。
 
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Einsturzende Neubauten 「Alles In Allem」
 
Einsturzende Neubauten の新作。
1980年から活動しているから首謀者ブリクサ・バーゲルドはもう60歳を超えている。
80年代の黄金メンバーのうち、マーク・チュンとF.M.アインハルトは離れて久しく、
アレクサンダー・ハッケとN.U.ウンルーはまだ残っている。
 
Einsturzende Neubauten は80年代、アンダーグラウンド・ロックのシーンを超えて
全世界の全ての美術・アートを通しても先鋭的な存在だったと思う。
ブリクサ・バーゲルドとその周りに集まった人たちの美的センスは
結構いろんなところに影響を与えたのでは。
鉄板、削岩機、ショッピングカート、様々なジャンクや工具をステージに持ち込んで
行う破壊行為、耳をつんざくノイズがビートを形作る。
時に荒々しく暴力的ではあっても、それは締まりのない騒音の垂れ流しとはならず、
圧倒的な美的感受性により曲としてのまとまりを勝ち得ていた。
ロックのコンサートというよりも
現代アートの一形態、現代思想の実践の場という方が適切だったと思う。
(まあ、多くの人にとっては騒音にすぎないだろうけど……)
 
少なくとも、メタル・パーカッションという楽器はたまたま隣のスタジオで録音していたという
Depeche Mode など多くのミュージシャンが取り入れ、
インダストリアル・ミュージックの創始者のひとつとされ、
その流れは Nine Inch Nails や Ministry へとつながっていく。
自分らがイメージする音を実現するにあたって手段は問わないという姿勢を見出し、
貫いたところが彼らの功績となるだろう。
それは現代アートの世界では既に当たり前のことであった。
ロックというジャンルに全面的に持ち込んだのは彼らが初めてだろう。
 
僕がその名を知ったのは、『マーガレット』に連載されていた楠本まき『KISSxxxx』が最初で、
主人公カノンが落ち込んで家で毛布にくるまって明かりを消して聞いている音楽が
ノイバウテンと書かれていた。
工事現場の音、と書かれた別な記事を読んでネットのない時代の高校生はどんな音かと想像するだけ。
聞きたい、聞いてみたいと思い続けていると意外と簡単に願いはかなって
彼らの所属する Mute Records が日本ではアルファ・レコードと契約した時に
所属アーティストの旧譜がボックスセットなどの形でたくさん再発された。
Can / Depeche Mode / Cabaret Voltaire / Laibach ...
といった中に、Einsturzende Neubauten も。
『対建築戦略』と名づけられたボックスセットには
「Strategies Against Architecture I」「Strategies Against Architecture II」の3枚組と
ブリクサ・バーゲルドの手書きのメモなどの豊富な写真、ドイツ語の歌詞と邦訳、
ディスコグラフィーやインタビューが掲載されたブックレット、
そして『狂い咲きサンダーロード』や『爆裂都市』の
石井聰亙監督が手掛けた『半分人間』のVHSテープが収められていた。
”廃墟求む”という広告が話題になった1985の初来日公演のドキュメンタリー。
想像していた以上に危険な音だったな。
家に一人でいるときに音を小さくして聞いていた。
当時青森市のラジオ局の番組のひとつを所属していた演劇部が手伝っていて、
彼らの曲を使いたいという僕の提案は最初の一音で却下された。
 
ここまで息の長い活動を続けるとは思ってもみなかった。
彼らが尖っていたのはやはり80年代まで。
アルバムで言うと1989年の「Haus der Lüge」まで。
90年代もハイナー・ミューラーの『ハムレット・マシーン』を
ラジオドラマ化した時の音楽なんかも手掛けているけど。
ブリクサ・バーゲルドは80 / 90年代、Nick Cave & The Bad Seeds でもギターを弾いていた。
 
00年代以後は徐々に”静かな”方向へと向かっている。
過激な音は影を潜め、その歌は抒情性を増していった。
メタル・パーカッションに限らない様々な不思議な肌ざわりな音を組み合わせた、
たおやかな、翳りを帯びたポップ・ミュージック。
80年代の音が、彼らの生まれ育ったベルリンの都市性、都会性に対する批評的表現だとしたら、
今の彼らはどこでもない、都市と自然の融合した架空の世界へと向かおうとしている。
今作に刺激的な音はひとつもない。だけど彼らにとっての到達点なのではないかと思う。
衝動から知性へ。
 

身辺雑記:11/16-11/22

11/16(月)
 
Miami Sound Machine のリマスター紙ジャケが
10年以上前に出ていることに半年前ぐらいに気づく。
「Conga」の入っている『Primitive Love』が欲しいんだけど、amazon でも見かけない。
それがたまたま、ヤフオクで先週末探してみたらアルバム3枚セットで
3,000円というのが出品されていた。誰も入札していない。
おお、これは思わぬ掘り出し物と思ったが、昨晩終了直前になって怒涛の入札が。
3枚で1万ならまだ安いものだと思っていたんだけど、
12,000円になったところで僕は下りることにした。
その後、これもたまたまなのだろう、入れ違いに『Primitive Love』単体で700円という出品が。
入札するも、競合が現れてどんどん吊り上がっていく。
相手は自動入札していないのに、僕が入札するとすかさず入札してくる。
みみたに起こされた4時半頃に試しに入札したらすぐ反応があった。
結果、朝の時点で4,000円近く。5,000円になったら下りることにする。
DiskUnionで出てくるのをこれまで通り根気よく待つ。
 
7時起き。縄跳び、クッション腹筋。
みかん、昨日宮本ファームで買ったフェイジョア。コーヒー。
こころ旅は福島県の続き。
 
午前中は新しい仕事の方のまとめとアイデア出しの作業。
昼休みの時間にその打ち合わせ。
その前に蕎麦を茹でて食べておく。
 
夕方、駅前の Libro へ。
仕事で使えそうな本を探すが、小さな本屋にはないか。
帰ってきて amazon から取り寄せた本を読む。
デンマークのスマートシティ』
先日のポートランドのものそうだが、
学芸出版社というところから出ているこの手の都市空間モノは面白い。
 
鶴瓶の家族に乾杯は奥田英二がゲストで石川県。
最後のソフトボール部の監督がよかったなあ。
酒場放浪記。
最近所ジョージが気になるので、逆転人生やしゃべくりではなく他曲を。
夜は内房の桜エビの残りとスティックブロッコリーで和風のペペロンチーノ。
ゴマ油としょうゆで。
町中華で飲ろうぜを見て寝る。西川口、中野。
 
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11/17(火)
 
7時起き。縄跳び、クッション腹筋。
バナナ、みかん、コーヒー、こころ旅。
最近は妻がスムージーを作らなくなった。
縄跳びのついでに庭の水やり。
夏とは違って夜に水をやると凍ってしまうと。
 
デンマークのスマートシティ』の続きを読んで
メモを整理して、amazon から届いた同じ出版社の
『エリアリノベーション』というのをスピードを上げてササっと1冊読み終える。
その分野の本を3冊読むと少し見えてきて、自信がついてくる。
 
昼は蕎麦も飽きてきてジャンクなものを。
パックの牛カルビ味付けを焼いて、冷凍ご飯を解凍したのに乗せて食べる。
わかめスープ、きんぴらごぼう
 
夕方新しい仕事の方の社内打ち合わせ。
高度な議論に加わって、ハラハラしつつ楽しむ。
つつがなく終わってよかった。
 
夜は親子丼をつくる。蕪となっぱの味噌汁。
『凡人のための地域再生入門』という本を読み始める。
鑑定団。愛知県のモンキーセンターのお宝。
猫歩きはシアトル。
ひろしのボッチキャンプ。
隔週になった分、2話続けて1時間。
 
山崎まさよしのカバーアルバム、「YO!」(洋楽)と「Ho!」(邦楽)のセット、
先日酔っぱらってるときにヤフオクで入札。
しかし、DiskUnionで「Yo!」だけのつもりでオーダーして届いたのが、
こちらも「YO!」と「Ho!」のセットだった。
しまった。デジパックと通常盤帯付きの違いはあるけど。
こんな時に限って他に誰も入札せず。落札してしまう。
1,000円だしいいかと思っていたら出品者からの連絡で送料は750円。
180円のゆうパックじゃなかった。
なんか急に痛い出費に思えてきた。
これからは酔っぱらってのヤフオクはやめよう。
 
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11/18(水)
 
7時起き。縄跳び、クッション腹筋。
みかん、キウイ、コーヒー、こころ旅。
9時から打ち合わせのため8時からPCを立ち上げて仕事。
10時から引き続き別の打合せ。
1日が終わったような気がする。
 
11時に蕎麦を茹でて食べて、妻に頼まれて図書館に本を取りに行く。
ライフで買い物。
夕方、予約したのがまた届いたと再度図書館へ。
夜は内房の鯖一夜干しを焼く。味噌汁を作ってご飯を炊く。
ワサビ菜とレタス、スプラウト、トマトのサラダ。
クルトンを乗せてシーザーサラダ風に。
 
この日は酒も飲まず、夜はずっと仕事の本を読む。
都市計画とまちづくりに関する教科書。
固いが、法律のこと、歴史のこと、いろいろ勉強になった。
スマートシティやサイバーシティのことも触れている。
メモを取りながら読み終えて、
最後寝る前に昨晩読み始めた『凡人のための地域再生入門』の続きを少し。
午前0時前に寝る。
 
在宅勤務の妻が仕事で使うのか、終日菊池寛に関する本を読んでいる。
近くを通るたびにこんなことがあったとエピソードを読み上げる。
菊池寛に関する興味はないのだが……
 
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11/19(木)
 
7時起き。縄跳び、クッション腹筋。
みかん、キウイ、コーヒー、こころ旅。
午前中はあれこれ雑用。
午後は前のPJの打ち合わせ。
合間合間に前のPJの問い合わせがあちこちと。
ちょこちょこ忙しい1日だった。
今日も晴れだが、買い物や図書館には行かず。
 
先日の物干台が粗大ごみで引き取られて行って
これでひとつめんどくさいことが片付いた。
昼は先日の食品卸会社の青空市で買った冷凍の牛丼を温める。
業務用なので予想以上に美味しかった。
 
今日も19時にこころ旅を見ながら夕食。
ご飯を炊いて、味噌汁とサラダを作って、納豆のためのネギを刻む。
妻が洗い物をしてくれるので皿を拭く。
 
昨晩に引き続き仕事に役立つかもという本を読む。
『凡人のための地域再生入門』
補助金が地方のガンなんや!」と帯にあって、ほぼそればかりを言ってるんだけど、
いろいろ現実的な話ばかりで、この人にはほんとに知見があるんだなと。
仕事には直接役立たないかもしれないが、面白かったし、ためになった。
次に『2060 未来創造の白地図』というのを読み始める。
 
お笑い演芸館を見て寝る。
カミナリ、つぶやきシローなど。
 
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11/20(金)
 
5時半起き。まだ暗い。
PCを立ち上げて問い合わせメールに返信。
経過観察のため半年ぶりに病院へ。
血液検査、エコー、診断。特に問題なし。
今4年目で来年5年目を乗り切ったら
他のがん患者のように一区切りとしますか、という話に。
1年に1度CTスキャンを取って様子を見る。
次の予約は5月。
 
西新宿に移動。今週もまた昼はもうやん。
タンドリーチキンが大きくなって、かつしっとり。
日々進化しているというのがすごい。
DiskUnion にて取り寄せのCDを買って帰る。
 
LIVIN で缶ビールなど買って帰宅。
病院の後なのでまずはシャワーを浴びる。
PCを立ち上げると問い合わせがいくつか。
答えているうちにオンラインでの研修の時間に。
その直前、キッチンに行ってみたらみみたがパン粉の袋を食い破って
床一面に……
しかし始まってしまうのでどうにもできず、そのままにする。
 
研修が2時間で、リベラルアーツ習得のためのもの。
今回は歴史上の哲学者のおさらい。
デカルト演繹法とベーコンの帰納法
聞くまでもなかったな……
でもこの辺り、知らない人はほんと知らない。
 
続けて例の案件の打合せ。
来週各社集まってアイデア出しなのだが、どう進めるか。
なかなか明るい方向に向かわない。
 
19時、こころ旅。
チコちゃんは奥田民生先生作の曲を披露していた。
新日本風土記隅田川イーストリバーサイド。
滑らない話。高橋真麻の結婚の話がすごかった。
おんな酒場放浪記。
タモリ倶楽部はSMグッズの評価。霜降り明星せいや
最後寝落ち。
 
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11/21(土)
 
7時起きで荻窪の床屋へ。中野坂上で乗り換える。
9時の開店前に入って一番で切ってもらう。
終わって10時半。吉祥寺に移動。
先日の孤独のグルメの再放送で取り上げられていた「カヤシマ」に入って
カレーオムライスとポークジンジャーのセット。
先日妻に頼まれたハモニカ横丁の漬物屋に寄って
糠漬けを土産に買ってバスに乗って帰る。
家に着いたのが1時ぐらいか。
『2060 未来創造の白地図』を読み終える。
 
晴れだが、気温は昨日よりも少し下がった。
妻に頼まれた本を返しに図書館へ。
LIVIN の無印に行って歯を磨くときのコップにちょうどいいのがないか探すが、
なかなかないもんで。
昔よくあったようなプラスチックの簡素なものをイメージしていたんだけど。
そういうのはもうないのか。
 
HMVでオーダーしたCDが店舗に届いたというので受け取りに行くが、
結構前のものなので受け取る店舗がマチマチ。
2か所のコンビニへ。
ひとつは変更し忘れてオフィスのある飯田橋のままだった。
しまった……、いつ受け取ろう。
 
17時に家を出て練馬駅桜台駅の間にあるフレンチの店へ。
結婚記念日ディナー。
バスで練馬駅まで行くつもりが10分以上遅れ。
諦めて歩き始めたらバスが追い越していった。
前菜のオードブルで牡蠣やカルパッチョを食べ、ワインを。
ステーキは妻が塩で、僕は赤ワインのソース。
焼きたてのパンは何回もお代わりしてしまった。
接客も嫌味がなく、いい店だなとおせちも頼むことにした。
 
練馬駅KALDI で時間をつぶしてバスに乗って帰ってくる。
お笑い向上委員会はしずる。
世田谷ベースは所さんに刺さりまくったイラストレーターの作品を。
午前0時半に寝る。
 
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11/22(日)
 
8時まで寝ている。
久しぶりにみみたが布団に入ってきた。
前脚を僕の足にちょこんと乗せる。
縄跳び、クッション腹筋、水やり、コーヒー、みかん。
街録、イタリア、Lazy Sunday
今日も天気がいいが、風が強い。
昼は青空市で買った冷凍のチャンポン。
業務用だけあってさすがにうまい。
 
Lazy Sunday が終わって大相撲。
結びの一番で照ノ富士貴景勝に勝って優勝決定戦へ。
しかしそこでは貴景勝が圧倒的な強さを。
 
昨日ライフで買ったモツでモツ煮をつくってみる。
ありものの材料で。大根、ニンジン、生姜、豆腐。
信州の味噌と仙台の麦みそを合わせる。
野菜ダシのパックで甘い味付けにする。
なかなかおいしくできあがった。
夜は昨日吉祥寺のハモニカ横丁で買った糠漬けも。
 
笑点世界遺産は北欧の一年に9mmずつ隆起する島。
孤独のグルメは下北沢のお好み焼き屋。
麒麟が来る。モヤさまは青梅。爆笑問題のシンパイ賞。
せいやのメンタルがなんともやばい。
新聞のクロスワードパズルを解く。
23時半に寝る。
 
いろいろやり合った結果、ヤフオクで落札。
ヤフオクは Miami Sound Machine『Primitive Love』SHM-CD紙ジャケを3,800円。
Popol Vuh『一人の旅人と七人の旅人』のSHM-CD紙ジャケが6,000円。
2枚で1万だけど、これからも探し続ける、待ち続けるのがしんどくて。
その一方で、diskunion.netに出ていた
Elliott Smith『Either/or』Deluxe Editionの国内盤はキャンセルのメールが。
欲しかったものが一気に揃う日かと思いきや。残念。

ここに住むという直感

その町に初めて来た時、なんか皮膚感覚で気になるところがあって
あー、いつかこの町に住むことがあるかもしれない、と思うことがある。
 
二子玉川もそうだった。
荻窪に住んでいるときは何度か、自転車に乗って環八を走っていった。
セレブの住む近未来的な町という印象があって
自分にとっては身分不相応と思っていたけど、
結婚するときにたまたまいい賃貸物件と巡り会って住むことになった。
セレブな人の住む町というのは確かにそうだったけど、
用賀や上野毛まで足を伸ばすと普通の人が普通に暮らしている町でもあった。
 
光が丘もそうだった。
駅に着いて地上に出た時、周りを巨大な団地が取り囲んでいてギョッとした。
まさかこの団地に住むことはないだろうと思いつつ、なんか妙に気になっていた。
Queen の限定盤の店頭在庫をタワレコで検索したら
光が丘の店舗にあると知って買いに来たと記憶していたが、
調べてみたら Queen ではなく、Linda Ronstadt 『Hasten Down The Wind』の紙ジャケだった。
 
2015年7月25日のことだった。5年前。
まだ世田谷に住んでいた頃だな。
その次の年、家探しをしていたときに光が丘の物件を紹介され、
この家、なかなかいいんじゃないかと思った。
あー、あの光が丘に住むんだな。なんか感慨深かった。
 
その後そういう思いをした場所はなく。
当面光が丘に住み続けるのか。
以前、江古田界隈を歩いたときはもしかしてここかも?
と思ったことはあった。
いや、でも違うか。
 
全然思いもかけない場所でそれはあるかもしれない。
例えば鳥取種子島。例えばシドニー
 
ああ、この老人ホームだったら住みたいな、
というものじゃなきゃいいんだけど……

海上都市というもの

2060年の未来がどうなっているか、
様々な技術分野の動向をもとに予想するという本を読んだ。
空飛ぶ車が自動運転の救急車となって、とか、
リアルとネットが融合して都市全体がRPGゲームの舞台になるとかそういうの。
その中のひとつに、海上に浮かぶ都市というのがあった。
 
ベトナムなど東南アジアの川や湖では
「フローティングハウス」をつくって生活している人たちがいる。
水草を集めてできた浮き島の上につくられた家ですね。
舟や筏の上で一家が暮らすというのもテレビで見たことがある。
日本でも昔は、瀬戸内の方で漁船に寝泊まりして生活する人たちがいると聞いた。
定住しない。山の漂白民サンガの海上版のようなものか。
 
そういうのを進化させる、というよりも全く別物。
都市丸ごとを海の上に機能させる。
電気ガス上下水道といった生活インフラをもって、そこで多くの人が働き、暮らす。
もちろんIT環境も整っていて全世界どこにでもアクセスできる。
季節や気候に応じて移動を行い、
その水域の科学調査や養殖を中心とした漁業に携わる人もいれば
東京にいるのと同じようなデスクワークに従事する人もいるだろう。
海底に研究施設や工場を建設する際にその基地となることもあるか。
農作物も家畜も育てて、学校もスタジアムもある。そんな巨大都市。
 
ひとつの大きな都市が海に浮かんでいるというよりも
より小規模に分割されたコミュニティがモジュールとして
時には移動し、時には他と連結し、
その時々の都市の姿を形作っていくことになるか。
 
最小単位は個人が住む舟だろうか。
例えばこういうの。
母体となる都市に大小様々な用途のための港があって、
そこに接岸することで人は仕事をしたり、
スポーツをしたり、町の議会に参加したりするとか。
舟にネットがあるのでどこに浮かんでいてもいいんだけど、
リアルで顔を合わせる必要もあるから
目的を同じくする人たちは集まった方がいい。
出不精の人は同じところにずっと停めたきり、ということもあるだろう。
 
そこでの結婚は舟を半永久的に繋げること。
子供が生まれたら小さな舟を与え、父母の間に繋げる。
成長したら舟も大きくする。
 
物を所有するということは基本なくて、
ネットに接続するデバイスと衣服があるぐらいか。
本も写真もネット上にある。
食べ物も簡単なすぐ食べられるものだけ舟に置いて、
ちゃんとした食事は大きな食堂のような場所を皆で利用する。
 
そんな社会、そんな世界。
陸地に住む人たちとの関係性はどうなのか、
社会階級的にどちらが上ということはあるのか、
などなど考えないといけないことが多い。
 
そういえばケヴィン・コスナー主演の
『ウォーターワールド』って映画があったな。
 

第三波

半年に一度の経過観察で、新宿区の大きな病院へ。
7時台の大江戸線は結構混んでいた。
病院は半年前、5月に訪れたときとほぼ何も変わっていなかった。
受付の前にアルコール消毒液を並べたテーブルが置いてあって、
その先に体温を測る人がいる。
前回はこの計測器が大きなモニター付きだったのがかなりコンパクトになっていて、
消毒液の周りにも担当の医師か看護師の方が何人か立っていたのがテーブルだけになった。
 
待合室の椅子はひとつおきに座るようになっていて、皆マスクをしている。
たまにフェイスシールドをしている人がいて、
密集していて座れないと受付の女性に文句をつけている。
病院が混んでいて順番が来ないとか、とにかく先生を呼び出してくれとか、
いろんな無茶を受付の女性たちはいつものことだと慣れた感じで応対している。
お互いマスクをして。
コロナだろうと何だろうと消化器外科は消化器外科として
これまで通りの診察を行わないといけない。
 
新しい生活様式というものが当たり前のことになったんだな、と思う。
そして、第三波が来て東京都の感染者数は2日連続で500人を超える。
当然だよな……、と思ってしまう。
警戒心が薄れて、自分は4月・5月の経験をもとにきちんと対処していると
恐らく多くの人が思っている。
そしてあの時の自粛はもうまっぴらと。
マスクをしているというところだけが変わってあとは何も変わらない。
僕も含めて、変わろうとしない。
 
そのうち感染者数のニュースは脇に追いやられるだろう。
インフルエンザの感染者数、死亡者数がニュースで取り上げられないのと同じように。
今年も流行しています、というだけ。
 
再度感染、発症している人が現れていると聞く。
もし、3回目かかったら致死率が跳ね上がるというものだったりしたら……
 

うまい、ということ

昨日今日と妻が在宅勤務で、夜は19時と早めに食べた。
18時半前からご飯を炊いて味噌汁とサラダを作り、
昨日は鯖を焼いて今日は納豆のためのネギを刻んだ。
19時から『日本縦断 こころ旅』の「とうちゃこ」版を見ながら食べる。
先週に引き続き今週は福島県を自転車で走っていた。
昨日は喜多方、今日は三春。
 
この番組は火野正平さんの人柄の魅力というところが大きいのだが、
ある日気付いた。
昼間自転車を漕いでいるので朝版かとうちゃこ版か
どちらかで昼を食べている場面が出てくる。
店に入って、あるいは弁当を広げて。
そんなとき正平さんは必ず、「うまい」と言う。
言わされている感じはなく、楽しげに笑顔で言っている。
ああ、これなんだなあと思う。
冗談交じりに口の悪い場面はたびたび出てくるけど、ご飯を悪く言うことはない。
 
もっと言うと、今この目の前に出されたご飯がおいしい、ということしか言わない。
今まで食べた冷やし中華の中で一番だ、とか、
どこそこで食べたカレーライスよりもうまい、ということは絶対言わない。
比較しない。
もちろんそれはあれこれ差しさわりがあるからという番組的配慮があるんだろうけど、
正平さん自身の判断によるところもあると思う。
 
本質的に、比較するというのは失礼なことだ。
例えそれが目の前のものの方がおいしいとかよくできてるとかいうことであっても。
比較しないとその良さがわからないのか、という。
 
それに常日頃から「これは今年一番だ」とか「自分史上五本の指に入る」とか言ってたら
どんどんそのありがたみがなくなっていく。
僕なんてしょっちゅう言っている。何を食べても、これは今年一番うまい○○だと。
思うのはいいことだけど、なるべく言わないようにして別の表現でそのうまさを伝えたほうがいい。
その努力を伝えたほうがいい。
あるいは一言「うまい」「おいしい」とだけ言って、その深みを増していくか。
心の底から言えるようにならないといけない。
 
それにしても『こころ旅』に出てくるご飯、
オムライスだろうとハンバーグだろうとどれもうまそうなんだよなあ。
あの昼飯のために番組のスタッフになって自転車を漕ぎたいといつも思う。

屋号のない店

ここ数年来、「町中華」がブーム。
本屋に行けば都内にある町中華のムックやガイド本が2・3冊は並んでいる。
最たるものとして僕も毎週楽しみに見ているBS-TBSの『町中華で飲ろうぜ』
不覚だった。学生時代から30代まで
特に興味を持つことなく足を踏み入れることもほとんどなかった。
荻窪に住んでいた時、毎朝毎晩店の前を通った「啓ちゃん」は
町中華で飲ろうぜ』でも取り上げられた、木耳玉子の名店とされる。
恥ずかしながら引っ越して町を出て行った後に、番組を見て慌てて食べに行った。
 
その町中華の次にこれが流行るんじゃないかと思っているのが、
「屋号のない店」
町の片隅によくあるじゃないですか。
年季の入った小屋を間借りして、あるいは屋台で、道端で売っている焼き鳥屋。
(一応言うと、肉屋の店頭で売っている焼き鳥ではなく)
おじいさんやおばあさんが黙々と焼いていて、愛想はないし、
都心の名だたる有名店よりもうまいということはないけど、
普段使いの焼鳥屋としてはなかなかおいしい。
1本70円とか80円で安いというのもいい。
 
住んでいる町で2軒知っている。
どちらもひっきりなしにお客さんが来る。
片方はスーパーの近くにあるので焼きあがった頃に取りに行く。
もう片方は一人だったり家族連れだったりで何組かいつも店の前で待っている。
営業してる日は辺り一面煙たくなってるけど、いつ休みなのかよくわからない。
開いたり開いてなかったりする。健康状態というのもあるのかもしれない。
 
焼き鳥屋ではなく、他の業態もある。例えばラーメン屋。
この辺りだと歩いて成増へと向かう途中に一軒ある。
ラーメンとは書かれていて、小さな古びた店の中にカウンターと厨房は見えるが、
いかんせん名前がわからないから食べログなどで検索できず、
それ以上のことがわからない。
ある意味敷居が高そうで、怖くてまだ一度も入ったことがない。
 
そう、このネット時代に、実際に店に入る以外に店の情報を得る手段がない。
ムックやガイドブックにも乗せるのが難しい。
地図で言うとこの辺り、中に入るとこんな感じの店という情報しか載せられない。
写真を撮るのもはばかられるような気がする。
でも、そんな店を知りたい、というところまで世の中のニーズは来てるんじゃないか。
 
妻に聞くと熊本市にもかつてそういう店があったという。
隠れ家的な小さなイタリアン。
名前がないので、仲間内では町の名前で代わりに呼んでいたと。
 
探して取材をするのは難しそう。
その町に詳しい人に直に聞くしかない。
もうひとつ難しいのは、住んでいる人たちからすればその店は自分たちのものであって
あまり知られたくないのではないかという。
遠くからわざわざ来るようなものではないし、それで混んでもやだし、
なおかつそれで思ってたほどおいしくなかったと書かれでもしたらムッとする。
そんな心理が働くと思う。
 
でもそういう店をあちこちの町でいくつも知っていて、頭の中だけで記憶している。
たまに利用する。店のおばあさん、おじいさんと買うときに気冊の挨拶を交わす。
そんな人が真の食通なんじゃないかと最近思う。