和光市駅まで散歩(5月編)

結局昨日は仕事をして、今日はゴールデンウィーク5連休の初日。
夕方から雨のようだが、朝のうちは晴れていたので妻と散歩に出る。
桜の咲いていた頃に和光市駅まで行った帰りに歩いた、
外環道沿いが緑が多く、静かでとてもよかったので
今度は妻を連れてこようと。
 
10時に家を出る。
土支田通りを大泉学園方面へ。
白子側を渡って外環道まで坂道のアップダウンを繰り返しながら
ゆっくりと回ってゆく。
この辺りは以前、練馬の農家だったのだろう。
生け垣をしっかりと手入れした、大きな、立派な家が多かった。
 
外環道のところで曲がり損ねてそのまままっすぐ行ってしまう。
住宅地の一角が小さな空き地になっていて、小さな古びたお墓が並んでいる。
どれも加藤家と書かれている。
周りの家は皆古く、しっかりした家の表札がどれも加藤。
何十年、もしくは何百年と一族の住む地域なのだろう。
その奥には牛舎があって乳牛がのんびりと草を食べていた。
加藤牧場とあって、あれ? と思う。
先月、墓参りの帰りに大泉学園の「東京ワイナリー」を訪れた際、
近くにあったのが小泉牧場。
23区で唯一残った牧場と聞いていたが……
よく見たらここは住所が和光市になっていた。
練馬区和光市は住所が入り組んでいる。
 
外環道に戻って北へ。
日差しが強く、妻はマスクをして歩くのは息苦しくてつらいと。
つい先日は過ごしやすい気候だったのが
たった一ヶ月で大きく変わっている。
日陰を探しながら歩いた。
 
先日歩いたときは気が付いていなかったのですが、
この道沿いのベンチが少し変わった形をしていて
足を引っかけて腹筋を行えるようになっていたり、
バーを掴んで腕立て伏せができるようになっていた。
理化学研究所の西門まで来ると元素記号118個のプレートが
間隔を空けて遊歩道に埋め込まれている。
ちなんだ元素があることを知る。
 
11時半、和光市駅前に出る。
イトーヨーカドーに入ってみる。
3階にサイゼリヤがあった。
アルコールは提供しているのだろうか? と気になって見てみるが、
ゴールデンウィークの期間はランチメニューを提供しませんという
貼り紙がされているだけでよくわからず。
 
以前歩いてきたときに気になった町中華の店に入った。
カニチャーハン、かた焼きそば、餃子。
期待通りおいしかった。でもアルコール類の提供は自粛。
残念だが、仕方がない。
和光市だったら東京都ではないので……、と思ったが甘かった。
この辺りは十分に東京なのだな。
 
駅ビルの成城石井であれこれ買い込んで、
いつ降りだすかわからない天気だったので
成増まで一駅乗ってバスに乗って帰ってきた。
13時過ぎ。
これがゴールデンウィーク一番の遠出になってしまうのかもなあ。

寮の電話当番

『日本縦断こころ旅』の朝版を見ていたら、
寄せられていたお便りに、
「あの頃は携帯電話というものはなく、
 彼女から寮の電話にかかってくると電話当番に取り次いでもらっていた」
といったようなことが書かれていた。
僕よりも年上の世代の方からだったが、
90年代前半に大学生活を送っていた僕らがたぶんその最後の世代だった。
 
4人部屋の寮には玄関に公衆電話が4台ほど並んでいるだけ。
もちろん家族や友人、恋人がその公衆電話にかけてくることはできない。
玄関の脇に電話当番の部屋があって、
「北棟2階のA」「南棟3階のB」といったブロックごとに
数か月に一度、一週間の電話当番が回ってきた。
終日ということはなくて、17時から21時までといったように時間帯が決まっていた。
 
電話がかかってくると取って、誰を呼び出したいのか聞く。
それが「北棟2階のA」だとわかると、館内放送で電話がかかってきたことを伝える。
これはブロックごとではなく、全館放送だったように思う。
その人は廊下に据え付けられた電話機を取って、
「お願いします」などと聞こえてくると電話番は切替を行う。
 
回線は3本ぐらいあったか。つまり電話機が部屋に3台並んでいる。
通話中はランプがついて、話し終えて受話器を置くと消える。
全部ランプがついて皆長電話していると
外からかけてきても通話中となるので楽だった。
何人かで部屋にいてたわいもないことを話していたり、漫画を読んだり。
コンビニ弁当を食べていたり。
ペナントレースの優勝が決まる試合のときには
ポータブルテレビを持ち込む猛者もいた。
(93年か94年か、シーズン最終戦の巨人・中日戦の勝者が優勝という
 最後の最後までもつれた年があった)
 
ひとつ大事なルールがあった。
館内放送で「お電話です」というと異性からで
(恋人なのかどうかは当番にはわからないことが多いが、
 毎晩決まった時間にかかってくるのでそうなんじゃないかとわかることもある)
「おお電話です」というと家族からということになっていた。
父親や母親はだいたい、当番が電話を取った時に名乗る。
それ以外の同性の友人らしき場合は「電話です」としていた。
 
なので「北2Aの〇〇さん、3番にお電話です」といった呼出になる。
全館放送なので皆が聞いている。
4人部屋でマージャンを売っているときには誰かが代わりに打つ。
「お電話だってよー」と冷やかされながら出たら、
ただ単に名乗らなかった母からでがっかり、なんてことがよくあった。
 
まじめな人はどんな電話であっても淡々と電話番をやってたけど、
少しふざけた人はニヤニヤ・クスクスした口調で「お電話でぇーーす」と行ってみたり。
「夜、親から電話がかかってくることになってるんだけど、
 バイト行っていないからかかってきたらその旨伝えてほしい」
と電話番に言伝する人もいた。
 
電話番の暇なときには部屋の壁に黒のマジックでいたずら書きをよくしてたなあ。
僕もすた丼がどうこうってことを書いた。
この落書きをした××さんは伝説の人で、と先輩から逸話を教えてもらうこともあった。
 
僕らが寮に住んでいた93年、94年がポケベル全盛期で
その後すぐ PHS の時代になった。
だからああいう電話当番も僕らのあと数年で廃止されたんじゃないか。
恋人と熱心にポケベルでやりとりしている男女が
夜はいつも玄関前の公衆電話を占拠している、そんな風景もあったな。
 
いや、そもそも僕らの住んでいた4人部屋の寮は僕らが出て数年後に廃止になって
個室の寮にリニューアルされたんだったか。
確か暗証番号を入力しないと建物内に入れない。
僕らが住んでいた頃は誰でも出入りできて防犯意識がゼロ、
近くのアパートに住んでいる人が勝手にブロックの洗濯機を使っていたり、
そうだ、僕は泥棒に財布を盗まれた。
(見つけた先輩が「出ていけ!」と怒鳴って追い出したが、
 僕の財布を持って、Gジャンを着たままのうのうと出ていった)
トホホなことも多かったけど、おおらかな、いい時代だった。

旅行の代わりに

先日書いていた小説が、
国道6号線で茨城から福島の太平洋よりを走って
仙台の辺りで国道4号線に入って青森まで行くという話だった。
ところどころ知っている場所もあるし、全然知らないところもある。
今回は google マップの航空写真にかなりお世話になった。
ここの海岸線ってこんな感じなんだ、とか、
この辺りから山に入るんだな、とか。
 
縮尺を拡大してスクロールし続けると
それなりに旅行している気分になる。
なんか一番金のかからないバーチャルな旅だな。
 
小さい頃住んでいた青森市油川の辺り、
浪岡ICを出て家まで辿っていくというのがなんとも懐かしかった。
「あー、わらじ亭ってまだあるんだ!
 小さい頃に看板で見たのは500円のワンコインステーキだったか。
 それとも1,000円だったか」
 
なんてことが気になってネットで探していたら
結構な時間が経っていたりする。
結果わからずでしたが。。
結局あの店には一度も行ったことないなあ。
地元では有名なステーキ屋というか洋食屋。
 
自分の住んでいた家を見てみる。
引っ越して今は誰か知らない人が住んでいる。
ああ、この界隈で今も変わらず住み続けている人は
かなり少なくなったんじゃないか。
この家も、あの家も、今は知らない人が住んでいるのだろう。
家の近くの空き地が公園になっていたりと少しずつ変わっているのを
あちこち見て回るのでまた時間がかかったりする。
 
10年後の世の中は町中にレンタルのロボットが置いてあって、
空きがあったら借りて遠隔操作しながら
その映像を見て、周囲の音を聞く、みたいな
そういうバーチャルな旅も可能になってるんじゃないか。
あるいは自家用ロボットに旅させるとか。
特急券と指定席券を買って実際に座らせて。
人間の歩く速度ぐらいのゆっくりな速さで歩かせる。
 
なんでそんなアナログなことを、
みたいなことが意外と流行るんじゃないかな。
10年後には普通にロボットが町中を歩いている。
おかしなことではないと思う。
 

最近のみみた

土日に泊まりで出かけてその間をいつものペットシッターの方に頼んだ。
月曜の夜、仕事から帰ってきた妻が「みみたが元気ない、心配だ」と言う。
いつもなら階段の上で待っていて、トトトトトと下りてきてスリスリする。
それがなく、ストーブの前で丸まったまま。
 
「そうかな」と僕は言う。
さっきまで給餌機をガシガシやってカリカリをほじくり出していたし、
僕がキッチンに立つとやってきてスリスリして猫缶をねだっていた。
食欲はある。
 
でも確かに、ボールを追いかけて走り回ったり、
最近お気に入りの流しから冷蔵庫へジャンプして飛び乗ったりがない。
具合悪そうではないが、本調子ではない。
便も心なしか少し柔らかい。
様子を見るか、となる。
 
昨日も少しおとなしく、今日になって本調子になってきたか。
猫は寂しがりな生き物なので
飼い主が一晩いないというだけでかなり不安になったのかもしれない。
それだけで体調が悪くなる。繊細な生き物だ。
在宅勤務で僕がほぼ毎日、終日家にいるというのが当たり前になったのも
みみたにとっては良くも悪くも、なのだろう。
 
以前、4日間出かけていた時の4日目に
ペットシッターの方の報告メールに添付されていた写真のみみたは
ほんとに弱っているように見えた。
隅の方にうずくまって、耳が垂れ下がっている。
ああ、4日が限界だな、という話になる。
5日以上出かけるときはどちらかが先に帰ってくる。
 
土曜に出かけるときに給餌機に袋いっぱいカリカリを詰めておいた。
今もまだ若干残っていて、時々やってきては
出口に手を突っ込んでガシガシやってる。
時折何粒か零れ落ちてくるのを食べる。
電源を入れて全部出してやるかとも思うが、
楽しそうなのでそのままにしている。
 
このゴールデンウィークも先週末の外出以外は予定がない。
みみたとゆっくり過ごす一週間となりそう。

先週買ったCD #28:2021/04/19-2021/04/25

2021/04/20: diskunion.net
Black Boboi 「Agate」 \980
 
2021/04/20: ヤフオク
Maher Shalal Hash Baz 「マヘル国立気分」 \2750
Maher Shalal Hash Baz 「1986.2.23 国立公民館 B1 ホール」 \2200
 
2021/04/22: ヤフオク
浅川マキ 「スキャンダル 京大西部講堂 1982」 \2675
 
2021/04/22: www.amazon.co.jp
Deficit Des Annees Anterieures 「Pourriture Cubique 」 \2015
 
2021/04/23: diskunion.net
フェイ・ウォン 「Anxiety」 \2250
 
2021/04/23: TowerRecords 新宿店
Melody Gardot 「Sunset in the Blue Deluxe Edition」 \3080
Lana Del Rey 「Chemtrails over the Country Club」 \2750
Tal Farlow 「The Interpretations of Tal Farlow」 \1980
Tal Farlow 「The Swinging Guitar of Tal Farlow」 \1980
Tom Petty 「Finding Wildflowers (Alternative Versions)」 \2690
 
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Maher Shalal Hash Baz 「マヘル国立気分」
 
先週、篠田昌已 「東京チンドン vol.1」について書いた。
この2枚組の記録が余りにも素晴らしく、
続けてコンポステラ 「歩く人」を取り寄せた。
サックスが2本とチューバ。一部にギターとドラム。
日本的な薄暗い、薄明るい抒情性を湛えた
美しくも不穏なジャズだった。
いや、ジャズ以前の、プリミティヴな音楽だった。
魂を鳴らす、吹き鳴らすとはこういうことか。
 
ブックレットを眺めていたら
「91.4.4 国立 篠田昌已宅」というモノクロの写真があった。
木造平屋建ての古い家で窓から篠田昌已が上半身を出して煙草を吸っている。
そうか、国立に住んでいたのか。
 
僕も大学時代6年間のうち、4年間を国立に住んでいた。
2年間を駅南口、富士見通りの端から多摩蘭坂に入ったところの寮で。
次の2年間は北口の中央線沿いのアパートで。
(後者は住所としては国分寺市となった)
妻も学生時代近くに住んでいたので、国立は詳しい。
今もよく妻の運転する車で訪れる。
あの頃のようにロージナに入って、
時間があれば大学通りを谷保の方まで散歩する。
この前は白十字のケーキを買って帰った。
 
高校三年の冬。
二次試験を終えて、周りの受験生たちに混じって駅まで歩く。
解放感と不安感でいっぱいな中、ふと見ると DiskUnion という看板が。
何とはなしに入ってみると狭い店は棚がギュウギュウに押し込まれて、
そこにびっしり、ありとあらゆるジャンルの中古CDが詰め込まれていた。
青森では名前しか聞いたことのないバンドの数々にクラクラした。
何を買うか迷って、
Laibach 「Opus Dei」と Gang of Four のベスト盤を買った。
以来、僕の東京生活は今に至るまで DiskUnion と共にある。
国立の店は今はもうないけれども。
羽振りのいいときには中古センターと AudioUnion と3店舗構えていた。
 
受験は93年の3月。その時には既に亡くなられているが、
実は2年の誤差を挟んだニアミスだった。
篠田昌已はどこに住んでいたんだろう。
そう思って調べてみるが、よくわからず。
 
その代わりに出てきたのが、
マヘル・シャラル・ハシュ・バズ「マヘル国立気分」だった。
1984年の下北沢:キッド・アイラック・ホールと
1985年の西荻窪:watts でのライヴを録音したもの。
2004年に発売されている。
あの頃は国立の DiskUnion でも平積みされていたように思う。
でも買うことはなかった。
マヘル・シャラル・ハシュ・バズの他のアルバムは持っていたのに。
僕が住んでいた国立と、このタイトルにあった国立とが
重ならなかったのだろう。
 
マヘル・シャラル・ハシュ・バズは工藤冬里を中心としたグループ。
メンバーはその時々の気分で、仲間たちと、という感じか。
1980年年代半ばに結成して今も活動は続いていて、
かなりの数の作品がインディーズで残されている。
ジム・オルークと共演したり、
アメリカではキャルビン・ジョンソンのKレコードからもアルバムが出ている。
日本の地下水脈の結節点のひとつがこのグループということになるか。
 
同じく、「1986.2.23 国立公民館 B1 ホール」を見つける。
こちらは昨年、2020年に発売されている。
その名の通りで、公民館とはどこのことだったのだろう。
Google マップを見ると旭通りの、西友の先にあるようだ。
学生だと全然接点はなかったな。あったっけ? と首を傾げてしまう。
 
共にヤフオクで、ほぼ定価で購入した。
どちらも工藤冬里による当時を回想した文章が添えられている。
引用します。
『子供が生まれそうになったのでぶどう園を出て
 東1-のアパートに間借りして土方に出た』
『散歩は大学通り東側の一橋構内、学食は西側、
 練習は富士見通りのエアガレージだった』
『徹夜明けの北口の白十字不二家で篠田や卯多や中崎、キワメさんなどを想定して
「腰砕けの犬」のような大きなスコアをかくのが日課となった』
(以上、「マヘル国立気分」より)
 
『ライブは自分で企画しようとすると、
 国立公民館以外にはできそうなところはなかったので
 大抵はそこの地下音楽室でやっていた。
 貸してくれそうな「常磐会」という名前にして申し込んでいた』
『国立の北口から恋ヶ窪の方に上がった台地にほら貝のスタッフが始めた、
 当時は珍しいピザのテイクアウトもできるハイカラな店が出来て』
(以上、「1986.2.23 国立公民館 B1 ホール」より)
 
「ぶどう園」の名は、忌野清志郎に関する本を読んだときに知った。
住宅地の中に広い農園があって、その中に古びたアパートの群れがあって、
そこで若者たちがコミューンのように生活していたと。
いろんな人がいろんな思い出をネットに綴っているのを読むと
当時住んでいた中には遠藤ミチロウ小玉和文もいたようだ。
 
これまでの人生で近づいたり遠ざかったりしてきた
「マヘル国立気分」をようやく聞いた。
曲のタイトルに
一橋大学構内の朝の歌”
”街角のカレッジ”
とあったりする。他、
”過去の、知られていない幸福”
”何年か前、広尾の天現寺交差点を車で通り過ぎた時に浮かんだ唄”
”嘘の風土記はうす青い 女給の休息は苦い水飴”
と、饒舌であるが、小難しい理屈はその音楽にはなくむしろ天真爛漫。
 
カセット録音なのかとても音が悪い。
でもそれがむしろしっくりくる。
弦楽器も打楽器も管楽器も全てダンゴになって
同じような薄い質感の影絵のような音。
小さい頃に8ミリで撮影した家族の情景を数十年ぶりに発見して
映写機で見るときのような。
しかしそこにあるのは音楽がこの世に生まれる瞬間の連続というか。
しかも同時に色あせ、朽ち果てていくというような。
そんな郷愁の記憶。
 
楽しくてどこか悲しい、学芸会のような音。
前半は混沌に満ちた、だけど無垢な歌。
後半はそこに篠田昌已のサックスが加わって
演奏に一体感が生まれ、猥雑な生命力を増す。
 
あれからどれだけの年月が流れただろう。
僕は国立の町を歩いた記憶を思い出しながら聞いた。
うだるような夏の暑さの中、大学の裏をあてもなく歩いた夕暮れ。
飲み会の後、騒ぎながら駅前まで歩いた夜。
徹夜で映画の撮影をして、眠くなりながらアパートまで歩いた朝。
国立という町を知らなくても、代わりに
あなたの記憶のどこか奥底に眠っていた町を思い出させてくれるだろう。
 
サニーデイ・サービス曽我部恵一が好きなライヴアルバムに
Chara 「live 97-99 mood」らと並んで
この「マヘル国立気分」を挙げていた。
 
---
Deficit Des Annees Anterieures 「Pourriture Cubique 」
 
先日、Graeme Revell 「The Insect Musicians / Necropolis, Amphibians & Reptiles」
について書いた。
80年代に一時代を築いたノイズ・インダストリアルのユニット
SPKグレーム・レヴェルのソロアルバム2枚を組み合わせて再発されたCDとなる。
1枚は昆虫の鳴き声や羽音をフィールドレコーディングした音源を
組み合わせて楽曲としたもの。
もう1枚はアウトサイダー・アートの代表者の一人、
アドルフ・ヴォルフィの残した作品にインスパイアされたもの。
 
後者は元々、3組のグループが提供した曲を集めたものだった。
グレーム・レヴェルと Nurse With Wound
そして D.D.A.A. (Deficit Des Annees Anterieures)
グレーム・レヴェルのパートが素晴らしかったし、
Nurse With Wound は代表作を一通り買い揃え、
アドルフ・ヴォルフィは画集も持っている。
残る D.D.A.A. が気になった。
それまで全然聞いたことのない名前だった。
 
Deficit Des Annees Anterieures とは『前年度赤字』とのこと。
1970年代末に結成し、今も活動を続けている実験音楽集団。
2008年に代表作のいくつかがリマスターされて再発されたが、
それらも含めて今は入手がなかなか難しいようだ。
数量限定のCD-Rでライヴ音源を発売とか。
先日最初に購入した 「Action And Japanese Demonstration」の再発も
そのスジに強い専門店のネット通販でようやく見つけることができた。
 
DiskUnion の解説では
Nurse With Wound / Tuxedomoon / フレッド・フリス /  ロバート・ワイアット /
LAFMS / Pere Ubu / キャプテン・ビーフハートらの名前が挙げられていたが、
僕からすると Faust (特に「Tapes」や「IV」の頃の) / Negativland /
Holy Modal Rounders / Chrome といった辺りだろうか。
 
「Action And Japanese Demonstration」は1982年の作品。
タイトルにあるように日本、恐らく架空の日本がテーマとなっている。
どこからどう見つけたのか、昭和初期か戦後に録音されたと思われる
宴会で謳われるような〇〇節みたいなのが脈絡なくサンプリングされていたりで
アウトサイダー・アート版のフレッド・フリス「Step Across the Border」のような。
正直、さほど面白くはなかった。
 
次に手に入れることができたのが今回の「Pourriture Cubique」で、
2012年発表と割と最近のもの。
Pink FloydAtom Heart Mother」が元ネタだろう、
新聞や製品パッケージのコラージュで草原に立つ牛と青空を描いている。
こちらは最初の音を聞いた瞬間から、おお!と唸ってしまった。
 
古今東西のありとあらゆる音楽をミキサーにかけて再構築する。
それがまとまりのない音の垂れ流しとはならず
高いテンションを保ったまま強烈な違和感、ポップな緊張感を残す。
様々な音を細かく振動させたパルスが響き渡り、
奇矯にして素朴なメロディが重なっていく。
強いて言えば諧謔のための諧謔
その点では Negativland が一番近いんじゃないか。
最後の曲は脅迫的な揺らぎを持った低音の響くバックトラックに
どこの言葉かわからない読経が乗っかる。
ブックレットを見てみたら『レ・ミゼラブル』のヴィクトル・ユーゴーの詩を
朗読していることになっていた。
 
小さい頃青森市の美術館で見た『サロン・ド・メ』の絵、というか図録を思い出した。
父の働いていた新聞社が全国で巡回展を行っていて、
父がその担当となったと聞いた覚えがある。
第二次大戦末期、フランスのレジスタンス運動が起点となった前衛芸術運動。
ピカソやミロの作品も交えつつ、多くはフランスの中堅どころの作品を集めたもの。
どの絵画も鮮やかな色彩を持ちつつ、抽象的で、実験的で、謎めいている。
はっきりとわかる事物を描いたものもポツンと孤立したものばかり。
四次元の裂け目から気まぐれに現れたかのような。
意味不明過ぎて人によってはとても気持ち悪かったであろう。
僕にとってもトラウマになるぐらいのインパクトがあった。
でもこれが僕の美的センスの根っこにあるのだろう。
そこのところが共鳴してしまった。
 
万人には薦められない音楽。
でもこれが感覚的にわかるという人がいたら、
その人とは深くつながることができると思う。
 
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Lana Del Rey 「Chemtrails over the Country Club」
 
前作「Norman Fucking Rockwell!」がグラミー賞の最優秀アルバムの候補となった、
ラナ・デル・レイの最新作。3月に出たばかり。
自らを『ギャングスタナンシー・シナトラ』と名乗り、
そのジャンルを「ハリウッド・サッドコア」と呼ぶ。
成功しなかったハリウッド女優の幽霊に導かれるがままに
霧のかかった湖で溺れて沈み込むような。
 
デビュー曲”Videogames”が秀逸過ぎた。
狂おしいほどにかきたてられる、未知のものへのノスタルジア
一発で僕もノックアウトされた。
自身が監督したというビデオクリップも斬新だった。
来日公演があるというので絶対見てみたいと思うがチケットが取れず。
Twitterを通じて知り合った高校生の子に譲ってもらえることになったが、
その公演は中止。
その後半年またすぐ来日公演の話が出たが、再度中止。
”Videogames”の大ヒットで急に忙しくなって、
スケジュールを立て直したいという理由だった。
実際には歌が下手で……、という噂も流れた。
 
”Videogames”こそ稀代の名曲だったものの、
ファーストアルバム「Born To Die」がピンとこなかった。
その後のアルバムもそう。なんか普通だなあと。
ヒップホップに接近して全米No.1となった時期もあったけど。
 
起死回生の一打になったのが、
2019年の「Norman Fucking Rockwell!」
ようやく僕も彼女の求めていた音楽がわかった。
一過性のポップスターではなく、もっともっと深いものだった。
アメリカ文学の源流へと一人きり手漕ぎ船で遡っていくような。
ああ、あの寂寥感は、幻想的でどこかグロテスクな雰囲気が
うっすらとヴェールのようにかかっているのは
エドガー・アラン・ポーだったんじゃないか。
ラナ・デル・レイの幽玄は、懐古趣味は、
単なる雰囲気ではなく相当肝が据わったものだった。
 
実際、昨年2020年には
「Violet Bent Backwards Over The Grass」という
ポエトリー・リーディングのアルバムを発表し、同名の詩集を刊行している。
今後、音楽活動は休止して詩作に専念するという噂もどこかで見た。
 
「Norman Fucking Rockwell!」と
「Chemtrails over the Country Club」ではジャンルとしてはアメリカーナか。
カントリーやフォークといったアメリカのルーツ音楽、その最新系へ。
邦題を訳すとカントリークラブに渦巻く陰謀論といった感じ。
田舎のセレブな集まりを支配する、奇妙な噂話というニュアンスだと思う。
ノマドランド』や『スリー・ビルボード』が普通の風景となった、アメリカ。
何の変哲もない郊外の町で、それまで普通の人だと思われていた殺人鬼が
何の理由もなく周りの普通の人々を殺す、そのスローモーションの映像とか。
テレビを見て育って現実と区別のつかなくなった女の子が
過去の映画を寄せ集めてつくった妄想の中に生きているとか。
そんな架空のアメリカを僕は思い浮かべた。
(歌詞でそんなことを歌っているわけではないですが)
 
この人の頭の中に広がっている妄想のランドスケープは今、
とんでもないことになってるんじゃないかと思った。
ボブ・ディランの頭のなか』という映画があったが、
僕が見てみたいのは『ラナ・デル・レイの頭のなか』
 

身辺雑記:04/19-04/25

04/19(月)
 
7時起き。縄跳び、クッション腹筋、コーヒー。
こころ旅は佐賀へ。
この日も晴れ、風が強い。
 
始業前に金継の続き。よくわからないことばかり。
漆は広く塗る方がよかったのか。
掛けたところに最小限とすべきだったのか。
ごはんつぶ、漆、綿、木片をこねて欠けたところに塗るのだが、
厚く広くぼってり重ねて、なんか違うなと。
説明書きも何をするかは書いていても
どういう状態だといいのかが書いていないし、
その工程が何のためにあるのか目的もわからない。
金継の箇所はできる限り小さくしたい、
表面の模様にかからないようにしたいと
見るに見かねて妻が全部こそげ落してイチからやり直す。
やっぱこれ、講習会に行ってやらないとあかんな……
 
昼は蕎麦。
妻に頼まれて図書館に行ったら休館日。
マンボウで図書館も休みになるのかと思ったが、
ただ単に月曜は休館というだけだった。
公園の新緑が眩しい。
ライフで買い物をして帰る。
 
午後、モビリティの打ち合わせが入る。
事業部の仕事の件、相談の打ち合わせ。
夕方ずっと、モビリティの件のこれまでの経緯を
部会で発表するための資料を作成する。
あり物の資料を切り貼りして。
気が付いたら19時。食事の準備。
 
鶴瓶の家族に乾杯松坂桃李がゲストで神奈川。
夜はゴーヤチャンプルー、三浦屋のサラダチキン、
一風堂のもやし(昨晩はきちんと振ってなかったことが分かった)
酒場放浪記、逆転人生は脱北した女性。
町中華は沿線シリーズで荒川線。
月曜から夜ふかしがなかったので午前0時過ぎに寝る。
 
---
04/20(火)
 
7時起き。
妻と青森にいて店で飲んでたら新幹線の時間に間に合いそうになくなって走る。
でもそこは新青森駅周辺ではなく、弘前駅だとわかって。
もしかしたら特急乗ったら間に合ったか(そんなわけないが)
そんな夢を見る。
 
この日も晴れ。最高気温26℃、夏日が木曜まで続くと。
縄跳び、クッション腹筋、コーヒー、こころ旅。
 
給料日。銀行へ。
通帳を持って行くが、カードの入った財布を忘れて引き返す。
こんな日に限って周りの人も給料日なので行列になっている。
やっと順番が来てATMに立ったところで気づく。
 
戻ってきてお金を下ろす。
ユニクロでTシャツを買う。
一度家に戻ってダウンジャケットが50%OFF、
ドライも5点以上で30%OFFということで
妻の分も合わせてもっていく。
立て込んでいるようで、季節ものは9月になるという。
 
昨日、図書館から直接ライフに行く途中で見かけた
土支田通りの韓国料理屋に入ってみる。
牛筋煮込み定食にする。辛いがおいしい。
これは夜も期待できるかもしれない。
価格帯もリーズナブル。
夜は近所のおっさんばかりかもしれないけど。
食べログに登録されていなくて、初めて僕が店を登録してみた。
 
長年使ってきた掲示板の契約を更新するにあたって
確認メールが届いたにもかかわらずこちらで見落とし。
問い合わせたら向こうも落とし忘れていたみたいで。
今日になって謝りながら振り込む。
 
以前義母から頂いた手作りの切り干し大根、
ボールに水を入れて一晩漬けてみたらかなり膨れ上がった。
ニンジン、油揚げと煮つけにするがかなりの量。
 
Amazon Echo が先月ぐらいからなぜか英語でニュースで表示されるようになった。
「アレクサ、日本語でニュースを表示して」などと声をかけても
「すでに日本語です」とかNHKのニュースを動画で表示したりで改善せず。
今日試しに iPhone のAlexa アプリの設定で一度英語にして、
再度日本語にしたら戻った。
 
このところメーカーとやり取りしていた Wi-Fi 機器の件、
問い合わせの回答に記載されていた設定を試して様子を見ていたが変わらず。
初期化されても変わらずでサポートに電話して修理に出すことになった。
修理担当の方から折り返しかかってきて、保証書の確認など。
明日ヤマト運輸が引き取りに来る。
 
新しいカーナビに電源を入れて自宅を登録してみたら
なぜか家の前に道路がない。途中で切れている。
それで困るかと言えば困らないんだけど、
せっかく高いカーナビを買ったのに気分がよくないし、
情報の精度に疑問を持ってしまう。
メーカーに電話で問い合わせしてみた。
カーナビ担当の方から折り返しかかってくるが、
マナーモードのママ忘れてて取れず。
この日はそれで終わり。
 
こころ旅。サラメシ。
バス乗り継ぎ旅を途中から。再放送か。蛭子さんが出ている。
宗谷岬を目指すという。
夜は鮭を焼く。とろろご飯。
鑑定団。猫歩きはローマの再放送。
眠い。ぼっちキャンプを見ながらウトウト。
 
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04/21(水)
 
昨晩仕事のことを考えていたらよく眠れず。
6時起き。縄跳び、クッション腹筋、コーヒー。
おちょやんが大変なことになっている。
こころ旅。
妻が早めに家を出る。
この日も晴れ。回覧板を持って行く。
 
さっさと仕事を始める。
昨日から引き続き、移行計画書。
昼は蕎麦。
前期の提案打ち合わせ、今期はお払い箱になったかと思いきや
再開すると予定が入る。
 
カーナビの件、自動車メーカーから電話が折り返しかかってきて、
確かに家の前に道路が表示されていないというのは確認できたが、
自動車メーカーとしてはカーナビのメーカーに申し伝えることしかできないとのこと。
それはそれでお願いするとして自分でもかけてみたいと電話番号を聞く。
かけてみる。全然つながらない。
つながってもテープの自動音声が繰り返されるだけ。
時間と金がもったいないと切る。
LINE でも問い合わせ可能というので試してみる。
やっと返答が来たのが3時間か4時間後。
地図業者の地図データを利用しているだけだという。
確認するので一日待ってほしい、となる。期待できず。
 
打ち合わせがふたつ延期になって時間が空く。
島忠にカリカリや爪とぎボードなど買いに行く。
Tシャツ1枚でサンダル。すっかり夏の暑さ。
 
夜、部門の勉強会。
終わってこころ旅の録画を見る。
夜は納豆ご飯とみそ汁、サラダ。
キム・ヨンハ『殺人者の記憶法』を読み終える。
ゲストは東京03でコントを3本。
午前0時半前に寝る。
 
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04/22(木)
 
7時起き。曇り。風が強い。
縄跳び、クッション腹筋、コーヒー。
引き続き移行計画書。
タイムチャートの叩き台の叩き台。
 
昼はアルミのカレーうどん
乾燥天ぷらを入れて煮込みすぎたら水分がほぼなくなって
焼うどんのようになった。
ライフに買い物。暑くてT シャツとサンダル。
風が強すぎてこれまでタイヤを積んでいたラックのカバー、
作を飛び越えて玄関の方まで飛んでいた。
他の家に行ってなくてよかった。
 
カーナビの件、メーカーより回答が届く。
道路そのものが工事されない限り、
地図業者の方で更新する可能性は低いとのこと。
じゃあもうひとつの純正のカーナビに変えるかとカタログを見てみるが、
そちらの方も同じ地図業者を使っていた。
変えても同じだろう。諦める。
 
台風並みに風が強い。
昼、ライフに買い物に出ようと出てみたら玄関の外に
自転車のカバーらしきものが。
どこかの家のが飛んできただろうか? と思っていたが、
車庫を見てみると我が家のタイヤのカバーが柵を超えて飛んできていたのか、
というのがわかった。
逆に、他の家に飛んでいかなくてよかった。
タイヤを積んでいたラックにカバーを掛け直してライフに行って戻ってきたところ、
今度は風でラックが通れていて、
またその後見てみたらまたカバーがはずれていた。
仕方なく玄関の中にいったんカバーをしまっておいて、
夜になってからまたかけ直した。
 
前のPJの打ち合わせ。
このところ手を入れていた移行計画書のところなど。
いい雰囲気で話ができた。
 
夜、こころ旅。
迷宮グルメは松山。お笑い演芸館vsはニッチェなど。
妻の帰りが遅くなり、22時を過ぎて夜ご飯。
豚ロースを焼く。塩胡椒とにんにく。インゲンも添えた。
ご飯を炊いて、もやしの味噌汁。
23時を過ぎて寝る。
 
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04/23(金)
 
午前休で荻窪の床屋と飯田橋のクリニック、
新宿のDiskUnionでCDを売る。
 
7時起き。
縄跳び、クッション腹筋、コーヒー。
こころ旅を見た後で家を出る。
 
朝イチに間に合うよう、
大江戸線は一本待って座るということはせずに立っていく。
中野坂上に着いて荻窪行きのホームに急ぐ。
あ、ちょうど来たと乗り込んだらなんか様子が違う。
よく確認せずに乗ったら方南町行きだった。
戻ってきてまた荻窪行きのホームへ。
またちょうど来たのに乗ろうとしたら中野富士見町行き。
思わず乗ってしまいそうになり、危ないところだった。
 
結局開店には間に合わなかったが、
先客なしで9時半から切ってもらえた。
床屋では相変わらずコロナ話。
終わって飯田橋へ。四ツ谷まで丸ノ内線総武線に乗り換える。
11時半前に着く。
クリニックは12時からで時間があって、
天鴻餃子房で麻婆豆腐と黒豚餃子。
 
クリニックと薬局を終えて飯田橋の青森アンテナショップに入る。
お世話になった方にラグノオのお菓子を送る。
カルビーが新しくリンゴスナックを出していて、試験販売しているとのこと。
じゃがポックルのリンゴ版みたいな。
これは絶対美味しいんじゃないかと買ってみた。
 
新宿に移動。DiskUnionでCDを売る。
待ちの間、タワレコに取り置きのCDを買いに行く。
夜食べるものを、と伊勢丹の地下。
物色していたら妻から LINE で連絡があって、プリンターが繋がらないと。
設定マニュアルを探して送ろうとするが、帰った方が早いと気づく。
DiskUnionで買い取り結果を受け取る。
前回は10枚で300円ほどだったので期待せず。
今回は19枚で6,500円ほどになってびっくり。助かった。
 
光が丘に着いて、新宿の伊勢丹で気の利いたものを買えなかったので
せめてと崎陽軒でシウマイを買って帰る。
家に着いてバタバタしている間に玄関に置いていたのを
みみたが箱を咥えて別室に逃げ込んでしまった。
慌てて取り返す。
 
プリンターの設定をした後で
夕方、打ち合わせが二本で営業終了。
こころ旅。チコちゃんはなし。
崎陽軒のシウマイで缶ビール。
新日本風土記はローカル線の再放送。
つまみになる話はアンタッチャブルの続き。
おんな酒場放浪記。
タモリ倶楽部王林ちゃんが出てねこ車となるが、
やはり今週も寝落ち。
 
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04/24(土)

7時起き。家の片付け・掃除などして10時半に家を出る。
ガソリンを入れるとヨコハマタイヤの方が空気圧の点検をしてくれる。
ライフで缶ビール・缶チューハイを買い込んでクーラーボックスへ。
練馬ICから関越道に乗って鶴ヶ島JCT圏央道に入る。
青梅ICで下りる。青梅の市街地を抜けて青梅街道を西へ。
澤乃井御嶽山の登山口など通りすぎて
奥多摩駅周辺は1時間半もかからなかったか。
渋滞にならず、快適なドライブだった。
 
13時。宿の駐車場に停めさせてもらって駅前に出る。
クラフトビールの店に入って2杯ずつ飲む。
ライスを添えた牛肉のトマト煮込みや
フレンチフライを添えたカリーブルストを食べる。
駅近くの観光センターで見どころを聞いて、歩いてみる。
川辺に下りたり、吊り橋を渡ったりとすぐにも大自然の中へ。
とてもいいリフレッシュとなった。
 
15時過ぎにチェックイン。
宿泊予約は僕らだけで貸し切りだったが、
上の階では建設会社の会合と懇親会が行われていて、
コンパニオンも呼ばれていた。
風呂に入って、出てきたら缶ビールを飲みながら浅川マキの追悼本を読む。
19時に夕食。あわび茸の鍋、ヤマメの炭火焼きなど。
この旅館は何を食べてもおいしい。澤乃井を飲む。
もう一度風呂に入ったら眠くなって、22時には寝てしまった。
 

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04/25(日)
 
6時に目が覚めて朝風呂に3回入った。
8時に朝食。陶板焼きでベーコンエッグをつくる。
小鉢も充実している。やはりここはいいなあ。
 
9時前にチェックアウト。
近くのわさび屋に行ってみると
生わさびがまだ出ていなかったので奥多摩湖に行く。
想像以上に大きなダム湖だった。
雄大な風景に心洗われる。
やっぱ奥多摩はいいな。
生わさびを買いに戻って奥多摩を後にする。
澤乃井で二本買う。檜原村の刺身こんにゃくなども。
その先のへそまんじゅうで蒸したてを買って車の中で食べる。
その先はすぐ青梅。東京の町並みに戻ってしまった。
 
帰りは下道で。青梅街道をひたすら東へ。
Lazy Sunday を聞きながら。
昼はリンガーハットのテイクアウト。
事前に iPhone でオーダーして受け取るのみ。
コロナ禍だとそういうのがいいな。
 
返ってきて荷物を片付けて
野菜たっぷり皿うどんに缶ビール。
Lazy Sunday 終わって、
新聞のクロスワードパズルを解く。
笑点孤独のグルメは板橋のホルモン屋。
珍百景を見て、ポツンと一軒家。和歌山の山奥の柚子農家。
モヤさまは川口。
沁みる夜汽車のスペシャルをやっていた。
以前放送されたエピソードのその後、など。
最後の方、寝落ちしてしまった。
 

奥多摩へ(後編)

昨日の続き。
チェックインして2階の部屋に通されるとき、
隣の囲炉裏端に3人のけばい女性が座っていて、宿のおかみさんがそっと障子を閉めた。
この囲炉裏端は本来語り部のおじいさんが夜、
この地方の民話を語ってくれることになっているのが、コロナ禍で今はやめているという。
本棚には小平や立川など西東京各地の民話集が並んでいた。
3階に貸切風呂がふたつある。
3階の一室と宴会場で、地元の建設会社が会合とその後の宴会を行っていて、
3人の女性たちはそこに呼ばれたコンパニオンだった。
 
あとで風呂に入りに行ったとき、マスクをしたその一人とばったり会って、
「お風呂ですか? こちらですよ」と笑いながら案内された。
僕が入ろうとすると「そちらは女湯じゃないですか?」
「いえ、どちらも利用できるみたいですよ」
「あら、ごゆっくりどうぞ」
そんな会話を交わす。
客でもない僕にも目が合ったら愛想を振りまく。
コンパニオンかくあるべし。僕も悪い気がしない。
 
貸切風呂は大小あって、大きいほうからはセメント会社の工場が見えた。
円筒形のタンクの周りにパイプが張り巡らされているとか。
継ぎ足し継ぎ足しで大きくなった、仮面ライダーの敵のアジトのようだった。
 
19時に夕食。
ヤマメを串に刺して焼いたのとあわび茸の鍋がここの名物か。
どちらもおいしかった。ヤマメは腹の部分に山椒味噌を詰めていた。
地元の方が採ってきてくれたという野蒜を特別に添えてくれた。
味噌をつけて食べる。新鮮ゆえにツンときて鼻に抜ける感じがよかった。
ここの料理は何を食べてもおいしい。
ワサビの葉の入った刺身こんにゃく、梅肉の茶わん蒸し、
新じゃがを蒸したのに付記味噌を添えたもの。
肉はわずか、揚げ物もなし。
一見地味なようでいて、全てが申し分なし。
澤乃井の辛口、大辛口を飲んだ。
 
僕らが食べ終える頃、宴会の人たちは帰った人たちもいれば
場所を1階の居酒屋に移して2次会という人たちもいて賑やかだった。
それも21時を前に終わったか。
コロナ禍でやっていくために地元企業のそういう利用はありがたいのだろうな。
 
部屋に戻ってくると布団が敷いてある。
食後もう一度風呂に入って、缶チューハイを飲んでいるうちに眠くなって
22時になるかならないかのうちに妻も寝てしまった。
 
みみたに起こされることもなく、ぐっすり寝た。
6時には目が覚めて朝風呂。
昨日から『ロング・グッドバイ 浅川マキの世界』というのを読んでいて、その続きを。
前半は1970年代の文章を集めている。野坂昭如阿部薫との思い出を語る。
山下洋輔といったジャズメンだけではなく、吉田拓郎筒井康隆の名前も出てくる。
追悼本なので加藤登紀子も思い出を綴って寄せていた。
 
8時の朝食前に最後、もう一度風呂に入りに行く。
硫黄臭もなく、透き通ったお湯。入るたびに体になじんでいく。
朝食もまたおいしい。
タケノコの糠漬け、ゆずの皮をマーマレードのように煮たもの、ワサビ漬けなど。
野菜サラダも地のものなのだろう、新鮮で体の中にすっと入っていく。
ハムエッグが陶板焼きというのも珍しい。いいアイデアだなあと思った。
食べ過ぎないようにと思っていたはずが、やはりご飯をお代わりしてしまう。
 
9時前にチェックアウト。
普段なら囲炉裏端で民話を語ってくれる宿のご主人が出てくる。
妻が奥多摩の民話集を買う。
車に荷物を詰めて宿を後にする。
 
昨日歩いた近くに「山城屋」というわさびの店があって、
9時から空いているというので行ってみる。
生わさびを買って夜はわさび丼を作りたかった。
生わさびがまだ出ていなかったので奥多摩湖を見に行ってからもう一度戻ってくることにする。
 
さほど遠くはない。車で10分もかからないか。
トンネルをいくつか抜けた先に大きなダムがあった。
僕は全然知らずに来たんだけど、奥多摩湖は東京都の水がめとしてつくられたんですね。
湖面に山並みが映っている。
想像していたよりも美しく、雄大な眺めだった。
相当な量の水を蓄えているんだな。
案内板を見ると1000人近い村人が移住を余儀なくされ、
100人近い方が工事で亡くなったという。
 
ダムの上にできた道を歩く。
残念ながらコロナ禍で展望台も自然の中の散策道も閉鎖。再開は未定。
見下ろすとはるか下の方に発電所の施設が。
この高さからこの量の水を落とすとなると相当な発電量になるだろう。
これもまた東京に住む人たちの生活のためか。
奥の慰霊碑まで行って引き返してきた。
 
「山城屋」に戻って生わさびとサメ肌のおろし金、
わさびのマヨネーズ、チーズ入りのわさび漬けを買う。
青梅街道を東へ。
トンネルを抜けて、のどかな集落が続いて。
青梅線が左に、多摩川が右に。
すぐにも「澤乃井」に着いた。
昨晩飲んだ湧水仕込の一般的なのと「本地酒」を買う。
あと酒まんじゅうなど。
ここも酒蔵見学は中止していた。
初めて入ったんだけどここもまた川縁にあって景色がいいですね。
吊り橋もかかっている。今回は入らなかったが、櫛かんざしの美術館もある。
もう少し行った先の奥多摩名物「へそまんじう」を買って車の中で食べる。
白いのと茶色いのと、ふかしたてのを。
 
この先はすぐ青梅市街に入って、東京郊外の街並みに飲み込まれていく。
先ほどまで奥多摩の自然の中にいたのが噓のよう。
青梅街道をひたすらまっすぐで帰ってきた。
昼はリンガーハットのテイクアウト。
13時半には着いたか。
ほんと、車ですぐのところにこんな大自然があるなんて。
奥多摩はまたすぐにでも訪れたい。
 
ペットシッターさんの報告を読む。
給餌器の調子がよくなく、みみたも吐いたようだ。
そういえば昨日の昼、奥多摩駅周辺の民家の塀で見かけた
猫二匹はどちらも不愛想で人懐っこくなかったな。
より野生に近い猫なのだろうか。