iPodについて思う

今更ながらの話。
iPod あるいはそれに類する再生機器の類を僕は持っていない。
Mac ユーザーだったし、apple という企業はとても好き。
だけど持ってない。
興味がない。持ち歩いて音楽を聴こうという気になれない。


会社の行き帰りの地下鉄の中といったわずかばかりの時間であっても
常に音楽に触れていたい!というわけでもないし、
現実逃避の一環として音楽を聞いてるわけでもない。
そういう理由がまず挙げられるんだけど、
それ以前に iPod という機器がハードディスクの容量にもよるけど
かなり大量の曲を詰め込めるというところにあるのではないかと。


逆にこういうのがあったら欲しい:
30曲ぐらいしか入らない。アルバム2枚と4・5曲ぐらい。
選びに選び抜いた曲を持ち歩く。
今日の気分・今週の興味に合わせて入れ替えを行なう。
持ち歩いているリストが何よりもモノを言う。
そこにその人のセンスが現れる。
その情報がネット上で共有される。
有名人が持ち歩いている曲のリスト。
あるいは無名の人ではあってもツウ好みの「この人わかってるなあ」的なリスト。
ある意味、DJのセットリストみたいなものだ。
(持ってないから分からないけど、既になんらかそういう機能あるのかも)


何万曲と入った中から聞く曲を選ぶってのも選ぶ行為ではあるけど、
それはちょっと違う。
そんなとき、iPod はただの収納箱に過ぎない。
海外で何ヶ月あるいは何年と暮らすのならば、絶対欲しいけど。

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「選ぶ」という行為がそもそも贅沢なことなわけですよ。
しかも制約が設けられた中で
どれだけのバリエーションを持たせることができるかというのは一歩上の贅沢であるし、
(それはつまり、選ばれる元にどれだけの幅広さがあるかということになる)
その中から好きなように選ぶことができるってのは最上級の贅沢。


僕ら日本人は日々の暮らしの中で
何事も選択の余地のあることが当たり前になってしまっているが、
(スーパーマーケットの陳列棚、保険のプラン、シネコンで上映される映画 etc.)
ちょっと引いたところから眺めるならば
選択の余地がなく1つしかない、
あるいは何もなくゼロのままの物や状況ってのがいくらでもある。
日本人だからこそ資本主義消費社会的に多く見えてるけど、
他の国ならばこうもいかないということも多いだろう。


今の日本人はそこのところ無自覚になってないか!?

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なのでそういうところにこだわった iPod があってもいいよなあ。
ただのハードディスクレコーダーではなくて。
名前をつけるならば、「iPod Classic
結局のところ iPod という商品がどこかにおもちゃ的な要素を潜ませているのならば
そういうものであってもいいのではないか。
ある種不便だからこそ、面白い。


「Classic」と名付けたとしても無駄にレトロっぽく大きいのは困りもので。
やはりボディーは小さい方がいいね。