「We Are the World」

大学の先輩とボブ・ディランについてやりとりする。
ボブ・ディランが歌ってるとどれも同じに聞こえるのに、
他の人がカバーすると途端に名曲になる。などなど。
そこから「We Are the World」の話になる。
ボブ・ディランのパートだけ他の曲に聞こえると。
いつものボブ・ディランの曲にしか聞こえない。


僕も何年かぶりに見てみる。
https://www.youtube.com/watch?v=XblpaAyj234


個人的に印象に残っているのは、順に、
シンディ・ローパーブルース・スプリングスティーンスティーヴィー・ワンダー
彼ら彼女たちにしてみればいつも通りの自分の歌い方をしているだけなのに
忘れがたいインパクトを残す。
これが(いい意味で)芸というものだよなと唸りながら見た。


ほんとはプリンスも出るはずだったんだけど、
トラブルがあって移動が間に合わなかったんですよね。
We Are the World」は1985年、『Purple Rain』の大ヒットの次の年。
世界は殿下にひれ伏していた。
We Are the World」に出ていたら相当のキワモノになってたような。
見たかった。


という中で、ボブ・ディラン
初めてこの曲のビデオを見たのは中学生の時で
以来何度も見てるはずなのに、初めて「あ、出てたんだ…」と認識した。
確かにそこだけ異質。
一瞬音痴の素人が紛れ込んで棒読みの歌を披露、
放送事故? と皆が顔を見合わせつつ、本人にだけは目を合わせず、
何事もなかったかのようにやり過ごすことに決めたかのような。


それはそうとの、「We Are the World」今ではツッコミどころ満載で
「結局アフリカは救えたのか!?」「そんな上から目線でいいのか?」
って言い出したらキリがないんだけど、素直にいい歌だと思う。


でもなんつうか。
日曜に BS の『Song To Soul』を見ていたら TOTO 「Africa」で。
いい曲だなあと見つつも、この曲が生まれた経緯を語る段になると真顔で
ユニセフの CM を見ていたらアフリカに行きたくなったんだ」と言い出して
ガクッとなるような。えー! そこ?
それに近い感覚がある。


とは言いつつも。
ポール・サイモンビリー・ジョエルに、マイケル・ジャクソン
ティナ・ターナーベット・ミドラーダイアナ・ロスと豪華。
こんなすごいメンツはもはや二度と集められない。
この「まずは集まろうぜ!」という感覚が80年代的。


90年代以後、ネットの時代になってからはあり得ないものとなった。
(もちろんベネフィットコンサートで集まったり、「We Are the World for Haiti」もあるが)
『Red Hot』のシリーズであるとか
ブライアン・イーノが中心となったボスニア向けの『HELP』であるとか、
コンセプトに基づいて曲を持ち寄るコンピレーションという形が主流になった。
ネットを介してバラバラの情報をまとめるというか。顔を合わせない。
多様化が叫ばれ過ぎて、物理的にひとつになるということがあまりにも難しくなりすぎた。
だけどどちらがいいということもない。
ただ単に、この世界はそういうことになったのだ、ということ。
USA for Africa」ではなく、「Anyone for Somewhere」とでも言うような。


アメリカは今なら、何のために歌うんでしょうね。