熊本帰省その2

昨日の済美と星稜の試合は高校野球の歴史に残る大激戦だったようだ。
これは見たかった。8点差追いついて延長へ。
初めてのタイブレーク済美が勝った。


昨晩は『Song to Soul』を見て寝た。
エルビス・プレスリー「好きにならずにいられない」


青森では高校の同窓会。
全体の集合写真やクラスの写真が LINE のグループに送られてきた。


寝ている間に夢の中で7時の処理の確認を何度も。
7時に起き上がって iPhone から結果確認する。問題なさそうだ。


7時半、朝食。瓜が出る。梅酒に漬けた梅。納豆など。
「さよなら未来」を読みつつ、
ガラパゴス諸島の生き物たちに関する番組を見る。
その後、「おさるのジョージ」の作者レイ夫妻に関するドキュメンタリー。
二階堂ふみがパリなどを訪れる。
ユダヤ人だったため、第二次世界大戦のときには逃避行を繰り広げる。
パリから自転車で逃げだし、鉄道に乗ってリスボンへ。
船に乗ってリオデジャネイロを経由してニューヨークに到達する。
行く先々で警官や車掌に鞄を開けるよう求められるが、
ジョージの絵が出てくるとこわばった顔もおだやかになった。


10:15の処理の確認を行う。特に問題なさそう。
蓋を開けてみると、この日13日はこの辺りのことができる人は
僕も含めて皆休みを取っていて。
何も起きない前提で携帯とブラウザだけで問い合わせ対応を乗り切る。


11時まで待機して特に何もなかった。車に乗って家族で出かける。
車に乗って郊外にある和食の店へ。
手作りの器がいいなあと思っていたら販売もしていた。
ステーキ丼を食べた。阿蘇の赤牛だろうか。


東に向かう。西原村や空港のある辺りを抜ける。
緑に囲まれた阿蘇五岳が広がる。
真っ白な雲がまるで山から湧き出たかのようにモクモクと。
阿蘇の道の駅で休憩する。
阿蘇は涼しいと聞いていたが、この辺りはまだモワッと暑い。
mont-bell が店を出している。
都市の真ん中ではなく登山道の入り口につくるという最近の戦略は賢いと思う。
見るもの皆欲しくなる。
薄手のウィンドブレーカーにかっこいい色使いのがあって、
着てみていたら義父が買ってくれた。


この辺りでは新鮮な牛乳が名物で、行列に並んでアイスクリームを買う。
猿回しが始まったので見てみる。子どもたちが集まっている。
「虎太郎」は2歳、2年前の震災の日、2016年4月14日に生まれて、
人前で芸を披露するようになって今日で2日目だという。
立って歩くのから始まってハードルを6つ並べたのを飛び越える、
3つ積み重ねたのを飛び越えるなど。
終わってからはカゴに入っておひねりをもらう。
500円以上だと虎太郎のカードをくれるというので一枚もらった。
撫でてみたらみみたのように毛並みが柔らかかった。
炎天下こんなふうに一日何度も芸を披露するなんて大変だ。


高森町にある湧水トンネルへ。
昭和50年頃、トンネルを掘っていたが余りに大量の水が湧き出たので
それ以上掘り進めるのを断念したという。
中は年間を通して17℃、ひんやりしていて気持ちがいい。
近所の幼稚園や老人ホームで作られた、七夕祭りの飾りが吊り下げられている。
アンパンマンドラえもんといった分かりやすいものもあれば、
ペットボトルの蓋でつくられたものなど現代アートっぽいものまで。
よくできたものほどいろんな人の手が加わって、
素朴な力強さがあってアウトサイダーアートに近づいていく。
ひんやりとした暗いトンネルの中を歩いて行く。
足元に水が流れている。ぼんやりと灯りがともっている。
死後、黄泉の国に向かうのはこんな感じかと思ったのは今日がお盆だからか。


歩いて行った奥には岩壁があって水が染み出ている。
これをひしゃくで掬って飲むのがうまい。
その手前には「ウォーターパール」
噴き出した水を超音波で振動させて、さらにストロボを当てると
丸い水滴が空中で静止したり、逆に下から上っていくようにみえる。
こんなの初めて見たと感心しながら見ていたら妻曰く、小さい頃からあったと。
青い光に照らされて魚が泳いでいる水槽や
ミラーボールに照らされたきらびやかなエリアもあった。


トンネルを出るとまたモワッと暑い。
子どもたちが水路に入って遊んでいる。
僕らも入ってみた。足首の深さでひんやりどころか冷たい。
冷やされるスイカの気分になった。


熊本市内に戻ってきて親戚の家へ。
祖母や叔父夫婦を呼んで皆で近くの店に飲みに行こうということになる。
なかなかおいしかった。お盆の13日に店を開けるのは大変だ。
僕らともう一組だけだった。
鹿児島の焼酎をガブガブと飲んで、帰ってきたら酒場放浪記をやっていたが
そこから記憶なし。シャワーを浴びたことは覚えているが、何時に寝たのか…