「ジョゼと虎と魚たち」

日曜に新宿で「ジョゼと虎と魚たち」を見た。
監督犬童一心。主演妻夫木聡池脇千鶴


本当は「ミスティック・リバー」を見るつもりだった。
新宿で13時からというのだけは前の日買った「ぴあ」で調べて分かっていた。
新宿に着いてから「で、どこだったっけ?」ということにハタと気付く。
上映開始30分前。
DiskUnionでブラブラと長いこと時間を過ごした後。焦りだす。
1つのビルに4つ入ってるとこだったのはかすかに覚えている。
慌てて3丁目界隈と歌舞伎町をグルグル回る。ここでもないあそこでもない。
伊勢丹の脇でも紀伊国屋の裏でもコマ劇のあの辺でも武蔵野館でもなく
4ヶ所回って結局見つからず。どういうことだ!?
上映開始まであと15分を切る。
コンビニで「ぴあ」か「Tokyo Walker」を見ればすぐわかるだろう。
だけどそもそもまだ売れ残っているコンビニに行き当たるだろうか?
一番近いコンビニはどこだ?歌舞伎町まで行かないとないのか!?
確実にここならあるだろうと紀伊国屋の2階へ。
目の前の立つ女の子が右側にベタッと貼り付いていて、
エスカレーターがやけにゆっくりと感じられる。
「ぴあ」を探す。見つからないので店員に聞く。カウンターの横にあると言う。
行ってみると確かにあることはあったのだがビニールで包まれている。
僕みたいな特定のページの特定の情報を探したいという人が
めくっていくうちに商品にならなくなってしまうからだろう。
という以前にかわずに済まそうという輩がけしからんのだろう。
仕方なく買う。昨日買ったばかりなのに。
階段でさっそく上映スケジュールのページを開いてみると
劇場は紀伊国屋の裏のピカデリーだった。
なんだ見落としてたのか!と自分で自分に憤慨する以上に、素直にラッキー!!と思う。
これなら間に合う。通路を端まで行って外に出る。
確かに一番小さいピカデリー4に「ミスティック・リバー」と書いてある。
ふー。間に合った。
ふと入口脇の格安チケット屋を見ると人込みで大混雑。
ものすごく悪い予感がしてピカデリー4の中に入っていくと
13時の回は「整理券の配布は終了しました」との張り紙が。


ということがあって、せっかく買った「ぴあ」で
じゃあ何が他にやってるかと調べてみたら見つかったのが「ジョゼと虎と魚たち
これって評判いいんだよなー、「くるり」が音楽やってんだよなーと、即決。


・・・なんていきさつで見ることになったのであるが、
そんな自分が恥ずかしくなるような映画だった。


素晴らしすぎる。


妻夫木聡が好演。
それ以上に池脇千鶴がとんでもない存在感。
生まれた時から足が不自由で祖母の住むあばら家に閉じ込められ、
1日に1回早朝に乳母車に乗せられて散歩に連れ出されるだけが外界との唯一の接点、
祖母の拾ってくる本だけを読んで成長し、ファンタジーの中だけで暮らしている、
自らをサガンの小説の主人公になぞらえて「ジョゼ」と呼ぶ、そんな女の子。
成り切っていてジョゼ以外の何ものでもない。
そして妻夫木聡扮するごく普通の大学生がひょんなことからジョゼと出会うことによって
過ごすことになる不思議な空気に包まれた日々の、鮮やかさ。


ジョゼのキャラクターの説明だけをすれば暗い話になりそうなんだけど
ほのぼのとしたユーモアで会場は暖かい笑いに包まれて。
人々があんなに自然に笑っている映画って最近無かったなあ。


人間って結局は弱い生き物だ、だけど強く生きていく人もいる。
そんな当たり前のことが当たり前のように描かれているだけなのに
なんなのだろう、この見ているときの「揺さぶられ」感は。


脚本がいいのだろうか?脚本がいいのだろう。
演出がいいのだろうか?演出がいいのだろう。
そしてそれだけでなく劇中に出てくる写真やイラスト、「くるり」の音楽、
あらゆるものがはっきりとした自己主張をしつつも映画の中にぴたりとはまり込んでいて、
不可分の統一体として僕らと等身大の呼吸をしているのが何よりもいいのだろう。


100点満点の映画。
感動した。


ジョゼという人間が生きていたことをもう2度と忘れることはできない。
例えそれが映画の中の人生であったとしても。