「幸せになるためのイタリア語講座」

デンマーク映画
デンマークというと北欧。
白夜ってほど高緯度でもないがまあ寒くて、明るい日差しには恵まれない。
イタリアというと南欧。ラテン系とか情熱的であるとか、そんなイメージ。
中年に差し掛かったデンマークの男女6人が主人公の話で
市役所の夜間講座でイタリア語を習っているという状況がそもそもよくできてる。


取り立てていいこともなく取り立てて悪いこともなく生きてきて
自分の親が亡くなることも自然な出来事になってしまった、
中ぐらいの大きさの悩みならそれなりに抱えていて
人生のちょっとした躓きに頭を押さえられて
毎日が同じところを中心にくるくると回っている。
自分から行動しなきゃ何も変わらない。
そんな人物たちばかり。見てて身につまされる。


監督であるロネ・シェルフィグはプログラムの中のインタビューで
こういう人たちのことを的確に表現している。
「もし着飾って踊っている人達がいるとしたら、
 その輪からはずれて踊りを見ているような人達ですね」


「何か」を求めるのなら、欲しいのなら、すぐそこに行って飛び込んで手に入れる人がいる。
一方、遠くに思いを馳せたままいつもの生活の場から一歩も出ることはない人もいる。
なのにそこの場所に行ったときのためにコミュニケーションの手段だけは習っている。
世の中の大多数の人がそんなようなものなのだと思う。


そんな人たちがほんの少し勇気を出して、自らが置かれた状況を前向きなものにしていく。
細かな日常サイズの紆余曲折を経た末に彼ら/彼女たちはイタリアへと旅立つ。
ベネチアでゴンドラに乗って3組ずつのカップルになってハッピーエンド。


映画はヨーロッパ各地の映画祭で賞を取り、大ヒットした。
監督は先ほどの発言に続けて、このようなことを言っている。
「でも、いずれその人達の間でカップルが出来ていく。
 それだからみんなこの映画が好きなのではないでしょうか。
 人生はそれほど悪いものではないってね」


つまり、見た人の背中をそっと押して励ますような映画。
素直な気持ちで受け入れるなら
見終わった後きっとその「幸せ」がほんの少し分け与えられているだろう。
いい映画なのだと僕は思う。


ただし万人にとって、というほどでもない。
結局は夢物語。見ている間はそのフィクションを
一時とはいえ楽しむことができたとしても
映画館を出た後までその余韻に浸れるかどうか。
ここが分かれ目なんだろうな。


「ドグマ95」のルールにのっとって撮影されているので
カメラは手持ち、照明なし、音楽なし、セットなし、アフレコなし、
日常生活をそのまま切り取って垣間見せているような素朴でそっけない映像。
一言で言えば地味。等身大。
なのにハッピーエンドはハッピーエンド。
ハリウッド風の派手なものも、ドグマ系の地味なものも
やっぱ映画は映画なのであるのだなあってことに気付かされ
「はーー・・・」とため息をつきたくなった。
こんな僕って疲れきってるのかな。


現実の世界に戻るといつも通り、一歩も前に踏み出すことなく
背中を丸めて同じ毎日を繰り返そうとしている自分がいる。
そんな自分が情けなくなった。