時間旅行(2)

行方不明。記憶喪失。
身元を証明するものが何も無く、僕は存在するはずの無い人間という扱いになった。
全国紙でも僕のことが小さく取り上げられ、
掲載された新聞のいくつかをいつも世話してくれる女性が持ってきてくれた。


僕はあの小さな家に住み続けた。追い出されることは無かった。
1ヶ月もすると言葉がだいぶわかるようになった。
女性とはカタコトの日常会話を交わすようになった。
時々ひどくざらついた方言で「記憶はまだ戻らんのかね」と聞かれ、
僕はその度ごとにかすかに笑いながら首を振った。


1人で外に出ても誰にも何も言われなくなった。
昼食を取り終わると散歩に出かけるようになった。
最初のうちは誰彼構わずじろじろ見つめられた。
素知らぬ顔をして通り過ぎた後で物陰からそっと眺める、そんな人もいた。
子供たちは僕を見かけると様々な反応を返した。
ワッと泣き出す子、石を投げてくる子、逃げ出す子、まとわりつこうとする子。
年代によって少しずつ異なるようだ。
(動物的な段階から、社会性を帯びつつある段階へと成長していく)
とにかく、僕に関する情報がこの小さな集落に満遍なく広まっていることは感じられた。
少し歩くたびに村中に張り巡らされた蜘蛛の糸に引っかかる、そんな感じだった。
それをプツプツと断ち切りながら僕は毎日、村を一周した。


しばらくすると、それまで通り不快感を露骨に表す人も何人かは残ったが、
多くの人は僕のことを気にも留めなくなった。
僕はあくまで旅行者であり、外部の人間なのだから、
「過去」の人たちを相手にしているのだから、
どんな反応を示され、それがどんなふうに変わろうとどうでもよかった。
僕はただ、どうすれば未来に帰れるかとそればかり考えながら日々を過ごしていた。
答えは見つからないし取るべき行動も出てこない。
極力表情には何も浮かべないようにしながら、心の中では焦りと苛立ちを弄んでいた。

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これまでの話とは特に関係は無いが、忘れないうちにここで1つ補足。
僕は「お金」というものを持っていなかった。紙や金属で作られたこの時代のものは。
僕のように非公式のルートを通じて時間旅行に出掛ける場合、
「クレジット」と呼ばれるプラスチックのカードを事前に支給されることになっていた。
この時代の安価なコンピュータを騙せばいくらでも好きなだけ物が買える。
マニュアルに書かれている通りに店員や機械とやり取りを行えば。
これは21世紀の先進国ならばバーチャルな通貨がインタースペース上で流通していたからこそ
できる話であって、もっと前の時代ならばそれなりにもっと緻密な小細工が必要とされる。


現時点での僕はこのカード、使うことができない。


問題となったのは2つあった。
・事故に遭ったときに、浜辺に投げ出された時に、そのマニュアルをなくしてしまったこと。
 (利用に当たってのキーナンバーであるとか、どういう局面で利用できるとか、一切合切書いてあった)
・どうもこのカードは万能のものではないらしく、
 僕が今いるような小さな集落では使える個所がどこにもなかった。


僕はあの小さな家で、ある日の朝女性が食事を持ってきてくれたときに
その食事に対する対価を支払おうとカードを見せてみたのだが、
女性は手に取ろうとしなかった。
「この辺では使えない」というようなことを言われた。


僕がカタコトのこの時代の言葉で「お金・・・、欲しい・・・」と伝えると、
女性は困ったような表情を浮かべて部屋から出て行った。
(いつかここの集落を出て、より発展した地域に出れば、未来に戻るための打開策が見つかるように思えた。
 そのためにはこの時代のお金がどうしても必要だった。子供にもわかる話)


その2・3日後、女性から「仕事を見つけてきた」と告げられる。
外に、と言うので上着を着て外に出る。
いつもの散歩のコースを途中までたどって、村を一周するのではなく、
そこから遠ざかっていくための道に入った。
林の中を自動車が何台も通り過ぎていく。その脇を歩く。
上りになって、高いところから海を見渡せるようになる。
女性は1度立ち止まって「あそこ」と指差す。
その先には狭い浜辺が広がっている。
いくつかの粗末な建物が建っていて、1隻の小さな船が停まっていた。


山を切り開いた中に駐車場があって、どうもここは雰囲気的に人々が観光のために集まる場所のようだった。
駐車場の隅に階段があった。崖をジグザグに下っていく形になる。
黙々と降りていく。何段も何段も果てしなく続く。
春になったばかりでまだ気候は寒いのに、汗をかく。上着を脇に抱える。
降りきって、先ほど上から眺めた砂浜に到着した。


ちょうどそのとき大きな低い音がした。
それを合図に何人かの男女が海の上に張り出した細長い小道を駆けて行く。
大声で笑いながら船の中に飛び込むと、そのタイミングで船が船着場から離れていった。