野田秀樹「マクベス」

野田秀樹の演出する芝居を1度は見てみたいものだ。
そう思って何ヶ月か前に e+ で検索してみたら
新国立劇場で上演されるオペラ「マクベス」が引っかかった。
S席(¥21,000円)に若干の空き。高い・・・。
でもこういう機会を掴まえていかないことには、
いつまでたっても観ることはできないだろう、そう思ってチケットを購入した。


5月22日の昼の回。
初台のオペラシティのビルは
上の方の階にシステム技術関係の研修を開いている企業があるので
これまでに何回か行ったことがある。
新国立劇場のオペラの上演案内を見る度に
せっかく東京に住んでいるのだしいつか何か観たいなあと思っていた。
「あーやっと来ることができた」
「30代以後は1年に1度はオペラに触れたいものだ」
劇場の中のゆったりとした空間を歩きながらそんなことを考える。


ビュッフェでは高級そうな僕にはよくわからないワインや
シチリア産のブラッドオレンジ100%のジュースが売られていた。
僕は「野田秀樹の作品」を観に来たという意識でいたのだが、
周りはどうも普通にオペラを観に来た人たちばかり。
男性はスーツ、女性はドレス(あるいは着物、最低でスーツ)。
ジーパンにネルシャツでプラプラと歩いていた僕はかなり場違いだった。
あー日本でもオペラってドレスコードがあるんだなあ、ってことを知る。
せめてジャケットぐらい羽織らないと。


開演前。
舞台の上には一面に黄色い花が。
オーケストラピットではそれぞれが調律のために音を出し、不協和音を奏でている。
大学の授業でいくつかオペラをビデオで鑑賞したが、
実際に見るのは初めて。しかも自分でお金を出して。
ちょっと緊張する。
少しずつ客席が埋まっていく。


マクベス」の原作は言わずと知れたシェークスピア
オペラ化はイタリアの19世紀の作曲家ヴェルディによるもの。
マクベス」の舞台化ならば僕は1度学生時代に見たことがある。
大学の友人が「パパ・タラフマラ」という劇団に入っていて、
今度「マクベス」をやるというので見に行った。
パパ・タラフマラ」は演劇というよりはパフォーミング・アーツ?
セリフなしで役者の動きと舞台上に構築されたインスタレーションとで語っていく集団なので
一応事前に原作を読んでいた僕にも
目の前で展開されている出来事が何を表しているのかよくわからず。
「どうも今のこれがかの有名な『森が動いた』の場面っぽいぞ?」といった調子。
(「パパ・タラフマラ」は海外でも積極的に公演を行い、高く評価されているのであるが、
なぜかうちの大学が母体で、友人は入学当初の新人勧誘のときに
他の普通のサークル同様机を並べているのをたまたま見かけたのが縁で入ることになった)


野田秀樹版の「マクベス」が始まる。
パパ・タラフマラ」版よりはさすがにわかりやすい。内容に忠実。
とはいえオペラだけあって日本語でセリフを語るわけはなく。
歌詞の日本語訳のさらにその抜粋が舞台脇の縦長の電光掲示板に映し出される。

原作では3人の魔女がヒソヒソと話しているところから始まり
この魔女たちが大きな役割を果たすのに、野田秀樹版では魔女ではなく
骸骨となった無数の死霊/亡霊たちに変わっていた。
プログラムを読んだら「踏み荒らされた土地の下に棲む、戦場の死者」と解釈したとあった。
第1幕から第4幕までこの骸骨たちが群れを成して折に触れて登場する。
マクベスマクベス夫人といった主役や兵士たちといった脇役に混じって。
マクベスは亡霊に魅せられ、操られているのだなというのがよくわかる。
陰の主役と言ってもいい。


オペラは歌詞と曲により個々のシークエンスの長さが事前に決められているので、
場面展開のテンポの速さで知られている野田秀樹にもいじりようがない。
それまでに見たことがないのでなんとも言えないのだが、
ここが「らしい」シーンだなと感じられたのは
王を迎えた夜のパーティーのシーン、
舞台の上の城をモチーフにしたセットが回転する中を
従者たちや亡霊たちが大量に溢れるように現れては消えていくところ。
にぎやかな音楽が鳴っていて、妙に生々しい躍動感があって。
もう1つには、第1幕が終わって幕がいったん下がったときに骸骨たちが幕の前に出てきて、
カーテンコールの真似事をするコミカルな一幕。幕間劇という感じ。
曲の演奏が前提となっている部分はどうにも変えられないけど、
こういう隙間にひょいと新たなものを挿入するのってありだなあと思う。
なるほど、と感心させられる。


3人の魔女=骸骨たちの予言を聞いた地方領主マクベス
野心的なマクベス夫人にそそのかされて王を殺害し自ら王と成り上がるが、
やがて破滅を迎える。


野田秀樹作品をこれまで観たことないし、オペラも生で観るのは初めて。
そういう僕からしてみれば良くも悪くも
「ふーん、こういうものなのか」と右から左に受け入れるだけ。
どこがどうありがたいものなのか判断はできず。
実は質が高いものだったのかもしれないし、実は質が低いものだったのかもしれない。
(まさか「低い」ってことはないだろうけど)
正直オペラとしてどうだったのかはよくわからんです。
アリアを歌い終えるごとに周りの人と一緒になって拍手して
(人によっては「ウラー」なのか「ブラー」なのか歓声を上げていた。そういうマナー?)
物語を追っていくだけ。


一通り終わってカーテンコールとなって、
例によって何度も何度も嫌ってほど繰り返されるのに野田秀樹が出てくることはなく、
本人を見てみたかったなあと思いつつも諦めて早々と劇場を出る。


野田秀樹の通常の舞台と、なんであれ通常のオペラ、
次はこの2つを観ないことには何も語れない。