歯医者その4

【前回までのあらすじ】
なんだか歯が痛いなあ、詰め物が取れたのにずっとほっといたからだよなあ。
そう思った「僕」は会社の近くの歯医者に通い始める。
行ってみたところ歯科医から歯科衛生士からきれいな人が多い。
歯に詰め物をしたらそれだけでよかったはずなのに
薦められるがまま歯の美容と健康のために歯石を取るコースにいつのまにか突入。
毎回毎回ちょっとずつ歯石を取りながら
きれいな女の人に歯を磨いてもらうことに「僕」は小さな幸福を感じ始める。
3回目から「僕」専門の歯科衛生士が担当につくことになり、
彼女は僕の歯磨きの様子を毎回チェックすることになった。

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オカムラさん、お入りください」
名前を呼ばれて僕は診察室の方へ入っていった。
これまでは手前から2番目だったのに、今回は一番奥の診察台に座ることになった。
座って待ってると例の歯科衛生士が僕のところに現れ、
オカムラさん、こんにちは」と笑顔を浮かべながら挨拶をする。
背もたれが倒され、僕は台の上に寝そべった姿勢になる。
「口を開いてください」と言うので、僕は口を開く。
彼女は僕のここ1週間の歯磨きの様子を調べ始める。僕は目を閉じる。
オカムラさん、ちゃんと歯磨きしてましたか?」
口をいっぱいに開いている僕は「うー」と声にならない声を出し、うなずく。
次の歯、次の歯と1本ずつ隣に移っていく。
彼女はいきなり、こんなことを言い出す。
「歯磨きしてる時、私のこと思い出してくれましたか?」
え?


僕は目を開く。返答に困る。
思い出したかどうかで言えば、そんな毎日ではないが思い出したことはある。
こんなとき何と答えるべきか?
さらに彼女はかわいい声でこんなことを言う。
「私は毎晩歯磨きしている時、オカムラさんのこと思い出しましたよ。
ちゃんと丁寧に歯磨きしてるかなーって」
「だからオカムラさんにも毎晩歯磨きする時は私のこと思い出してほしいんですね」


ベタだが、天にも昇る気持ちになる。こんなこと言われたの初めてだ。
生きててよかったと思う。
嘘でもいいから、嬉しくなる。
僕は「好意」を持たれているのだろうか?
普通の人(20代後半の独身男性)なら、こんなときどんな反応を返すのだろう?
こんなとき何をどう答えていいかわからず、僕は苦笑するだけ。


単純なトリック。
毎晩歯を磨く時に彼女のことを思い出せば
必然的に彼女から教わったことを思い出すことになる。
力の加減。歯ブラシを当てる角度。
ただそれだけのことだ。
ただ、それだけ。
・・・なのか?


その後歯石を取りながら彼女は僕に話し掛ける。
例えばこんなこと。
思いっきり口を開けて、先の尖った器具で歯茎の中の歯石を取り出しながら、
「痛くないですか?」僕は軽く頷く。
オカムラさんって我慢強いですね!私ならこういうの絶対我慢できない。
 私も病院に通ってるんですけど、月に1度、
 歯医者じゃなくて別な病院なんですけど、
 予約取ってるのに2時間も待たされるんですよー。信じられます?
 私そういうの我慢できないんですよねー」
どんどん世間話に近付いていく。
女の人に話し掛けてもらいながら歯石まで取ってもらえるなんて、
あーいいなあぐらいの逆転した気持ちになる。


でも、ふと気付くと隣の席の会話が聞こえてきて、例えばこんなことを言っている。
男性の歯科医師。女性の患者。
「○○さんって勤めだして何年?」
「えーと今のとこは3年」
「今のとこ?○○さん転職してる方?」
「うん、最初はツアコンやってた。その後は証券会社、で、今の会社は・・・」


タクシーや床屋の感覚。
あるいは歯医者は痛い・怖いという意識を取り除くために、フレンドリーに話し掛けること。
僕は誘われてるのではない。
歯医者もまた、一種のサービス業なのだ。
夢から覚めたほうがいいのか、それとも一時であれ夢に浸った方がいいのか。
僕は目を閉じたまま、彼女の話を聞くことになる。


「間食はしますか?甘いものは?
 辛いものの方がお好きなんですか。私も辛いもの大好きなんですよ。
 韓国料理でプルコギが私・・・」


銀色に塗られたアイシャドー。その下の大きな瞳。
そこに僕が映っていた。


歯石の除去の後は歯磨きのレッスンになる。
「歯ブラシはどれぐらいの硬さのを使ってますか?」
「今磨いてるこれよりも硬いですか?触ってみてください」
柔らかいのを使って優しく丁寧に磨いた方がいいということになり、
気がつくと僕は帰りに受付で歯ブラシを買っている。




・・・ちょっと待て。
僕の今のこの状態は、恋をしているということなのか!?


(続く)