「ビッグ・フィッシュ」

ティム・バートンの最新作「ビッグ・フィッシュ」を見た。
これは傑作だと思う。
ここに来てティム・バートン一皮向けたというか旬の時期に入ったというか。
これまでの彼は歪んだ、グロテスク(かつコミカル)なファンタジーでいっぱいの
箱庭的世界の創造が好きで好きでたまらなくて
それだけでもう十分という感じがあったように思う。
そしてそこには「他人とうまコミュニケーションがとれない」
「他人にわかってもらえない」
そんな孤独の叫びがシュールな映像の陰にそっと押し隠されていた。
そこに作家性を見出す人もいれば、「暗いね」「オタク」の一言で片付ける人もいて、
(まあ、怪獣映画マニアと目されてもいるし)
ティム・バートンは愛すべき、B級映画の天才みたいな扱いをされてきた。
本来ならばA級の映画が撮れるはずだし
興行的にも成功できる作品も撮ってるのに、
どうしても最後の最後で自らの箱庭的世界で充足してしまう。
殻を打ち破り一歩踏み出そうとしているのに怖気づいている少年/青年のような。


父の死や息子の誕生といった実生活での出来事に触発されたのか、
それとも物事はそんな単純ではないのか、
今回の作品ではこれまでの殻をあっさりと打ち破り
誰が見ても「開かれた」作品となっている。
シュールな物語と映像はこれまで通りなんだけど、ぐっと現実的。
まだ朴訥としているけど外の世界の人たちと
ちゃんと目を見て会話しようとしている彼がいる。
ふわふわと宙を漂って居心地のいい白昼夢の中にいたティム・バートン
しっかりと地に足をつけてこの大地を歩き始めた。
これまでにも20年近いキャリアがあるのに
大きく変わっていくことを選んだっていうのはとても素晴らしいことだと思う。


言う事全てホラ話ばかりの父親。
「息子が生まれた日、それまで誰も釣り上げられなかった川の主(巨大な魚)を
自分は結婚指輪を糸にくくりつけて・・・」とかそういう話。
周りの人たちには愛されているが息子はそんな父親のことを疎ましく思い、
もう何年も疎遠な関係が続いている。
父親の余命いくばくもないところから映画はスタート。
息子と妻が久し振りに家を訪れる。
病床に付していても相変わらず父親はホラ話/おとぎ話を繰り返す。
おとぎ話という形を借りて、彼の半生が語られる。
「小さな池の中の大きな魚になってちゃいけない」
そう思った若い頃の彼は巨人と共に生まれ故郷の町を出る。
住民たちが皆にこやかにはだしで過ごす夢のような小さな町「スペクター」に通りがかり、
そこからまた旅を続けているうちにサーカスで働き出すことになる。
理想の恋人にめぐり合い、大恋愛の末に結婚にこぎつけるものの兵役に取られ、
パラシュートで降下したアジアのとある国にて出会った
シャム双生児の歌手と脱走劇を繰り広げるのであるが、
妻の元には行方不明による戦死を告げる電報が届き・・・
そんな彼の回想がティム・バートンお得意のシュールな映像で描かれる。
息子は父の真の姿を見たいと主張するのであるが、父は
「いつだって自分は自分のままでいたのに、おまえにはそれが見えないのか」と言う。
父のガラクタを片付けているうちに
息子は「スペクター」の土地権利書や軍隊からの電報を見つけ、
何もかもが嘘ではなかったのだということを知る。
父の本当の姿というものがようやく少しだけ垣間見える。


病室で最期の時を迎えようとしている父。もう話すだけの力がない。
息子は父の替わりに想像力を駆使して語りだす。そのお話の中で
病院を抜け出した2人は車を飛ばして在りし日に巨大な魚を釣ったあの川へと向かう。
川岸ではそれまでのおとぎ話に出てきた全ての人が盛装して2人の到着を待っていて、
その川の中では・・・。
もうこの頃から僕はじんわりと涙が出ていた。
これを書いている今も泣きそうになってきた。
心の中に「男の子」をいまだに宿している男性ならば泣かずにはいられないはず。
(女性の立場からするとどうなのかはちょっとわからない)

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評論家渋谷陽一の「ロック ベスト・アルバム・セレクション」というガイドブックの中の
XTC「Black Sea」を論じた箇所で、こんなことを書いている。そのまま引用する。


「イギリスの新聞が彼らについて述べたコメントの中で
『頭もいい、才能もある。しかし何かが足りない』という表現をとっているが、
 正に言い得て妙という感じがする。彼らについて、その音楽性が低いとか、
 知的要素が足りないといった批判をする人間はいないだろう。
 しかしいまだに大きくメジャー・ブレイクせず現在の適当な位置での低迷、
 といった状況を招いているのは、彼ら自身にロック・バンド的な
 ハッタリをきかせる何かが足りないのが原因ではないだろうか。
 しかし逆に、その何かが欠落している部分が魅力とも言える」


これってティム・バートンにもそっくりそのまま当てはまる。
バットマン」を見ても「マーズ・アタック!」を見ても「エド・ウッド」を見ても
僕にはいつも何かが欠落しているような感じがしていた。
ぽっかりと空いた大きな穴。
空虚というのではなく、
上に書いたような「孤独」や「コミュニケーションの欠落」ともある意味違ってて。
描かない・描けない部分により何かを語るというのでもない。
僕にもうまく言えない。


ビッグ・フィッシュ」を見て、やはり僕はそれを感じた。
他人に対して心を開くようになっても、この人特有の生来の不器用さは何も変わっていない。
映画を作るのが下手というのではない。
他のハリウッドの監督ならば全てスムーズに淀みなく進めてしまうところで
彼はふと「これでいいのかな・・・?」とゆっくりと足を止めてしまい、
空を眺めるようなところがある。
そこがまた不思議な魅力になっている。


今回の映画で初めて、
そのときティム・バートンがその見上げた空に何を見たのか
というのが描かれるようになったと思う。