召喚

人間はその生涯において1度だけ悪魔を呼び出すことができる。
僕は遂にその1回を使ってみることにした。
部屋のPCにフリーの召喚ソフトをダウンロードして起動する。
デスクトップ上に魔方陣が描かれるような例のあれだ。
この国ではまだ全然知られてはいないが、海外の一部の愛好家の間では有名なものらしい。
悪魔はすぐにも現れた。
爆発音とも雷とも判断のつかない耳をつんざくような音がして
部屋中に硫黄の匂いのする煙が立ち込めた。
「お呼びですか?」
僕はかすかに頷いた。「ひょえー」とか「ほんとかよ」とか思いながら。
悪魔はいわゆる悪魔っぽい外見をしていた。全身黒ずくめ。
背中には翼。尻尾が生えていて、頭には角。
たぶん彼らにとって決まった格好はないのだろう。
未開の地にて召喚された場合にはその部族に伝わる伝統的なイメージを利用するのだろうし、
ニューヨークのビジネスマンを相手にする場合にはスーツを着ているかもしれない。
「ご用件はどういったことでしょうか?手短にお願いします」


「小説家になりたい」と僕は言う。
文学に関する才能がほしい。これまで誰も書けなかったような文章を書きたい。
「ご用件は以上ですか。承りました」
サインをしてください、とどこからともなく現れた紙を差し出される。
ごわごわとしている。これが俗に言う羊皮紙というやつなのだろうか。
「お手数ですが、このときだけはあなたの血液でご署名いただくことになります」
羊皮紙にはラテン語筆記体で文章が連ねられている。
もちろん僕には分かるはずもない。
両手に持った紙から顔を上げると、悪魔は言った。
「書いてあるのは簡単なことです。あなたは文学に関する才能を望まれた。
 私はあなたの魂を奪い去る。それだけのことです」


いざそのときが来てしまうと僕も怖くなる。
魂を売り渡した人間に待ち受けているものは何か。
地獄の業火に焼かれて針の山で串刺しにされる?悪魔たちが三叉の鉾をもってうろつきまわる中で。
永遠に?・・・永遠に。
罪の意識に苛まれるというのなら話は別だが、単なる苦痛ならばどうってことないだろう。
現世では僕の書いた作品と僕の名前が同じく永遠に語り継がれていくのだ。
そのことに比べたらなんだって耐えられるはずだ。
僕はサインをする。
解説サイトを参照するとこの契約書の部分は悪魔たちにとっても信用問題となるから、
決して嘘は書かないと補償されている。
僕は安全剃刀で右手人差し指の先を切って、赤く滲み出た血で僕の名前をうっすらと書く。
書き終えた瞬間、ポンと小さく爆発が起こったような感じがした。


「ありがとうございます。これで全て手続は完了です。
 あなたが生きている間は、私どもが提供するサービスをご享受ください。
 あなたが死を迎える直前にまた私がお迎えに上がります。
 何かご質問などありますでしょうか?
 これから先、何があろうとあなたの方から私たちを呼びだすことは不可能となります」


僕の方には「なんとなく聞いてみたいこと」ってのが頭の中にいくつかあったんだけど
うまく質問がまとまらなくて、しばらく悩んだ挙句に「いや、いいです」と答えてしまった。
「よろしいですか?では、またいつかお会いしましょう」
気がつくと悪魔はいなくなっていた。
僕は部屋の中に1人きり取り残された。
PCのモニタの中では魔方陣が点滅を繰り返していた。


(続く)