「ニューヨーク・グッゲンハイム美術館展」

渋谷 Bukamura のザ・ミュージアムにて「ニューヨーク・グッゲンハイム美術館展」を見た。
ほんとはロバート・アルトマンの新作「バレエ・カンパニー」を見てから、
と思っていたのであるが上映開始時間に間に合わず、こちらを先にする。


ニューヨークにあるソロモン・S・グッゲンハイム美術館
ヴェネツィアペギー・グッゲンハイム・コレクションから選ばれた79作品。
19世紀フランスの印象派ルノワールセザンヌゴッホ etc.)から、
20世紀初頭の抽象絵画ピカソ、ブラック、レジェ etc.)
スールレアリスム(ダリ、キリコ、エルンスト etc.)やを経て
ニューヨークのモダン・アート(ポロックリキテンシュタイン、ウォーホル etc.)まで。
現代の絵画へと至る道筋を手っ取り早く俯瞰するのにちょうどいいセレクション。


印象に残ったのはマグリットの「天空の声」(何の変哲もない田園風景。
なのになぜか空には真ん中から半分に切られた球形の物体が3つ浮かんでいる)と
モンドリアンの「夏、ゼーラント砂丘」(モンドリアンといえば抽象性を押し進めた
幾何学図形が思い浮かぶが、この作品は初期のまだ「わかりやすい」風景画)
この2つ。
あとはピカソかなー。こう書くと素人っぽいけど。
いつどこでどの時代の何を見てもドキッとしてしまう。
3点あるうちの2点が31年のもので、
「水差しと果物鉢」「黄色い髪の女」どちらも色彩の感覚が大胆で鮮やか過ぎて
近くに掛けられた他の優れた作品たちの間でも浮いて見える。
鼻歌混じりで僕にも描けそうなくらいの子供のいたずらっぽい絵なのに
あと何百年は誰にも描けない絵。
とてつもない量のセンスと、それと同じだけの大きな、大きな純粋さ。
ここまで迷いのない線を描ける人っていないよな。


いわゆるアメリカの大富豪の一族が収集したコレクション。
(グッゲンハイムの名前がつけられた美術館はニューヨークだけでなく、
ベルリンやスペインのビルバオ、ラスベガス、そして「エルミタージュ」にもあるのだという)
展示された作品には不思議な統一感があって、
コレクターとしてかなりの目利きだったことが伺える。
僕が感じたのは灰色の雰囲気。
ここで言う灰色とはくすんだ、表面的な色彩としてのものではなくて、比喩的なもの。
文明の中に内在される孤独とでも言うべきか。
寂しいとか悲しいとかそういう個人的な孤独ではなくて、
もっと社会的な、あるいは生物学的な、人類がその遺伝子の中に持つ普遍的な孤独。
そういうのが嗅ぎ取れる陰影に満ちた作品ばかりだったように思う。
例えばシャガールは例によって幻想的なカラフルな色遣いなのに
この並びで見るとどうしても暗い部分ばかりが引きずり出されてくる。
ものすごくやるせない、悲しい気持ちになる。


最後に飾られているのはニューヨークのグッゲンハイム美術館を描いたかなりリアルな絵。
「写真でいいじゃん!」と突っ込みたくなるぐらいの。
僕個人としてはこれが一番好きだったりする。
美術館はフランク・ロイド・ライトによって設計されていて、摩訶不思議なデザイン。
(そういえば去年からあちこちでライトの名前を目にしているように思う)


図録を買う。
ものすごい分厚さで掲載されている作品は全部カラー。
Bunkamura のザ・ミュージアムで買う図録はいつもしっかりしていて感心させられる。
途中でモノクロになってたり、作品全部が載ってなかったりするとがっかりするじゃないですか。
そういうのないんですよね。


映画まで時間があるので、ミュージアムの向かいにある本屋で時間をつぶす。
アートなものしか置いてなくて、来る度にいつも何かしら欲しくなる。
結局本だったりCDだったり買い込んでしまう。
美術展の影響でニューヨークに行きたくなっていてもたってもいられなくなって、
「TITLE」という雑誌のニューヨーク特集を買う。
その他買ったものとしては、ブコウスキーブローティガンバロウズブラッドベリの文庫と
タラ・ジェイン・オニールの既に廃盤になっている2枚目。