一松で朝まで


大学の寮の、しかも部屋の先輩がこのたび結婚されるということで
昨日の夜は寮時代懐かしの店「一松」にて集合、
「終電?どうでもいいじゃん」みたいな雰囲気になって結局朝までいた。

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18時集合ということになっていて、
17時頃国分寺に到着、西武多摩湖線に乗った。
卒業してからだと3回目ぐらいかな、乗ったのは。
黄色い電車。市民の足。
ものすごくローカルなのんびりとした感じは相変わらず。


到着して駅を出る。一橋学園の駅の周りは適度に変わってたり変わってなかったり。
立ち食いソバ屋「戸隠」が健在だったので「おー」と思う。
一松と並ぶぐらいに懐かしい店。
朝まで営業してるので寮で麻雀を打った後やカラオケの後に
よくゾロゾロと牛めしを食べに行ったものだった。
ここの牛めしは肉も玉ねぎも形が崩れそうになるぐらいに煮込んであってとてもおいしい。
僕の中では「スタ丼」と並ぶぐらいに価値ある逸品。
腹はそんなに減ってないもののカレー牛めしに生卵を追加して食べる。
「おーこれだよこれー」とガツガツ食って速攻でペロリといっちゃう。
また食べたい。松屋吉野家よりは断然うまい。


そういえばスタ丼屋は最近、国立・国分寺だけではなく、
立川や小金井、早稲田にも店があるんだそうな。
もしかしたらメジャーな食べ物になってしまうのかもしれない。


時間があったので大学に行ってみる。
僕が大学院を終了する頃に小平キャンパスが国立に移転して、キャンパスが統合された。
その後小平の方は校舎が取り壊され、様々な建物が新しく建てられ、大きく様変わりしていった。
前訪れたときには屋内プールやフィットネスクラブを含むスポーツ施設が作られていて驚いたもんだが、
今回来てみたらマンションみたいなのがたくさん建てられていてさらに驚かされた。
ここは本当に大学なのだろうか?
僕が在籍していた頃は貧乏まるだしな大学だったのに、今やまるで私立大学のようだ。
(除籍投票だの寮の自治だの文部省が嫌がる伝統を放棄することで
 助成金がたくさんもらえるようになったというのは本当なのだろうか?)
マンションみたいなのはみな寮で、国際交流なんたらかんたらという名前になっていた。
恐らく留学生やその他一般の学生が暮らすための施設なのだろう。


「一橋寮」に行ってみると昔の面影を残す建物ではなくなっていて唖然とする。
骨格だけを残して中は全面改装、
そんな大改修をして4人部屋から1人部屋にすると聞いていたが。
敷地内の同じ場所にあって4階建ての南棟と北棟があるという構造だけが一緒の、
見違えるぐらいに小奇麗な寮へと変わっていた。
入口が自動ドアになっていてしかもオートロックのようになっていて部外者は入れない。
卒寮正とはいえ今となっては部外者の僕は
どれだけ興味があっても中に入ることができない。中を見てみたかった・・・。
寮生っぽい若者がブラブラ歩いていたら話を聞いてみたいと思ったのだが
寮近辺は人が全くいなくて、寮の部屋も明かりがついているのはまばら。
もしかして住んでる学生がそもそも少ない?
生活感がほとんどなかった。
昔のように小汚くてうらぶれていてふきだまったような生活ってここにはもうないんだろうな。
・・・僕らが寮にいた頃、女子のための部屋が少なくて
僕らの住んでいたブロック「北2A」を女子ブロックにする方向で話が進められ、
寮生大会を毎晩のように開いて女子の進学率がどうのこうの、
そうは言ってもブロックの伝統が消えるのがどうのこうのと熱い議論を交わした結果、
最終的に僕らのブロックは消えてなくなってしまった。女子に明け渡した。
なのにその後すぐキャンパス移転が決まって寮生の数が激減、そして今や個室化。
あの時の熱い気持ちってなんだったのだろう?
半ば冗談だけどバリケードを作って封鎖するとか立て篭もるとか言ってたんだよな。


「龍園」が健在でほっとする。おじさんもおばさんも店の中にいた。
でも客が入ってなかった。やってけてるのかな・・・。


一松へ。ここは何も変わってない。店の周りの雰囲気も変わらず。
僕らの頃と較べて全然客が入ってなさそう。
恐らく何世代か前の卒業生たちが懐かしがってふらりと訪れるがために店を畳まずにいる、
そんなとこなんだろうな。
店のおばさんに聞いたら「最近、寮の人たちはめっきりこなくなった」という。
寮委員ですら来ない。えー!?そんなもんなのと一同驚く。
あの当時寮の中で過ごした時間ってのは永遠に近いものであって、
そこから時代が、価値観が、物事の考え方が変わってしまうなんてことは想像もつかなかった。
シーズンになると毎晩のようにここで飲み会が行われていた。
寮の女子ブロックの子が日替わりでバイトしていた。


白菜鍋を食べる。
これは安くてうまくて、秋から冬にかけての飲み会では必需品だった。
だし汁に白菜と鶏肉が入っているだけ。金のない学生向けのメニュー。
なのにこれがめっぽううまい。
大人になった今でもこれはおいしいと思う。
最後はご飯を入れておじやを作ってもらって食べる。これがまた最高。
あの頃はガツガツガツガツとひたすら食いまくってたなあ。
キムチ鍋やすき焼きもあったはずなのに白菜鍋しか食べなかった。
メニューもいろいろあったのに
焼き鳥とミニポテトと枝豆とそれぐらいしか僕らの前には出てこなかった。


2階で飲み始める。最初はしんみりと思い出話をしていたのであるが、
ゴリポンが登場した途端昔の一橋寮ノリで一気飲みが始まる。
(↑トランクス一枚で部屋に登場し、「駆けつけ」ってことで瓶イッキ。来春には子供が生まれるのに)
でもさすがに10年も前のペースではやっていけなくて飲む量も減る。
昔なら「杯は全部干す」「酒の一滴は血の一滴」ってことで
そのコップに入ってるのがビールと日本酒と醤油のちゃんぽんであっても
全部飲まなくてはならなかったのが、
この年になると「オカヤンのめー!!」ってことになっても
コップに口をつけて一口飲むだけでも良かったりする。
ビール瓶のケースを裏返してお立ち台にして1人立たせて、
なんか誰か喋るとすぐにも突っ込みを入れて、酒を飲ませる。
「せーの、ワッショイショイショイ〜」といううちの大学特有の掛け声があがると
一瞬にしてあの頃の気持ちに戻る。
(隣の部屋にいたどこかの体育会系が同じようなノリで騒いでいて、
 今でもまだこういうのは残ってんだねと一同ほっとする)


結婚できた人のその後の話と結婚できそうにない人のその後の話をずっとする。
途中から、下で飲んでた若いのを捕まえてきた、と現役の寮生を連れてきて飲ませる。
僕らの代と僕らの1コ上の代は異様に仲がよく、
その前後と会うことはなくてもこの2代の間で今でも飲み会が年に1度は開催される。
で、その若い寮生に、この中の誰が上の代で誰が下の代か当てさせる。
外れたらその分だけ飲ませる(その若い彼は飲めない方だったので、僕らが替わりに飲む)。


気が付いたら終電を逃している。
中央線ならばあったかもしれないけど、多摩湖線は早々と終わっている。
元寮生だから信頼してるってことで、始発までいてもいいよと
一松のおばさんは僕らに鍵を預けて先に帰る。
こういう店ってなかなかない。
あくまでも学生と元学生たちのために存在し続ける店。
ありがたいものだ。
僕らがもう少し年を取るまでは店を続けていてほしい。


1時を過ぎた辺りからどうにも肩が痛くなってじっとしてられなくなる。
肩こりを異常に強くして末期的にしたようなだるい痛み。
横になってもだめで、中央線の始発が出るまでの間もそもそと落ち着かなく過ごす。
3時・4時ともなるとかなりまったりした話になって
いつのまにか市や区によるゴミの出し方の違いがどうのこうのとかそんなのになっている。
僕は店の外に出て外の空気を吸う。
人が出歩いている気配はなし。
無人のがらんとした商店街を店のサンダルを履いて歩く。
寒々とした空気が漂っている。


中央線が走り始める時間になってタクシーを拾って国分寺の駅まで行く。
各駅停車に乗る。荻窪まで乗っていって僕は他の人たちよりも先に下りる。


次にまた一松に来ることがあるとしたら、
また別の誰かの結婚のお祝いとしてなんだろうな。
それはいつになることか。

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【追記】
この日参加したのは、
92年:キクチさんとキクチさんの奥さんとなる人、イナマスさん、ゴリポン、サイノウさん
93年:イデタ、イッシー、オカムラ


その他のメンツはなかなか集まりにくくなってきた。
東京を離れていたり、消息不明になったり。
キクチさんの披露宴の時にはもっと大勢集まることになっている。


「キクチさんの奥さんとなる人」は
イッシーの部屋の後輩カクと高校が同じなだけでなく、
クラスも一緒だったということがわかって世間は狭いものだと驚かされる。