抽象的な文学

例えばこういう文学が可能かと考える。
−−−抽象的な文学。抽象性を極限まで推し進めた文学。
ジャクソン・ポロックのような文学を僕は今書きたいと思う。
そしてゆくゆくはモンドリアンのような作品を残したい。


そこには登場人物もこれといったストーリーも無い。
感覚的な描写/印象からスタートして完結する、
なのにその言葉の連なりがそれ独自の美しさを持つというような。
そういうのって可能だろうか?


そこには何も無い。空っぽな文学。
だけど何か美しいもの、あるいは強烈な力に満たされたもの、
もっと言うと何か得体の知れないものに満たされた文学。
それだけで成り立っている文学。


荒々しい色彩の乱舞のような文章からそれは
色使いは少なくなり、単純な構図へと移り変わってゆくだろう。


人類の持つ有限の個数の言葉の組み合わせには無限の可能性がある。
だとしたらならばこのような「文学」もあっていいだろう。


19世紀文学の価値観、
ディケンズバルザックドストエフスキーといった巨人たちによる
「大いなる物語」からの脱却を狙っているわけなのであるが。


力強く脈打つ、人間たちのドラマを読むことは楽しいに決まってる。
だけどそれを書くことは非常に難しい。
「抽象的」な文学って言ってたら
「逃げ」のように聞こえるし、
何か大事なものを放棄しているように受け止められるのは避けられない。
それを乗り越えて築き上げなくてはならない。


「言葉そのものの美しさによってのみ成り立つ文学」
その地点に到達してみたい。
そこでなければ見えないような風景を僕は見てみたい。