キクチさんの結婚式

寮で同部屋だったキクチ先輩の結婚式に出る。
学生時代の寮で「同部屋だった先輩」なんて言ったら
何を差し置いても出ないわけにはいかない。


毎日昼まで寝てて、むっくり起き上がると
たとえ季節が冬であっても常にTシャツ1枚でブラブラして
昼だろうと夜だろうと麻雀を打っていた。
(寮内の麻雀大会で優勝したほどの腕前を持つ)
寝るのは明け方。もちろん授業には出ない。
とにかく部屋を片付けない。掃除しない。バイトもしない。
スーパーで買った3個100円のコロッケばかり食べていた。
そんな先輩も卒業後すぐに司法試験に合格して今は弁護士事務所で働いている。
「あいつは絶対受かるよ」とみんなから言われていた。
飄々としていて豪快キャラではないものの、常に大物感を漂わせていた。
細かいことは気にしない。大きいことも気にしない。
他の人たちがドタバタしているときに我関せずコツコツと続けて
いつのまにかふらっと誰よりも高いところに上っている。
そういう意味の大物。不思議な人である。


常に女性の噂を切らしたことがなく、合コン三昧の日々だったとも聞く。
「はー、この人もついに身を固めるか」と感慨深い気持ちでいっぱいになる。
一緒に出席した寮生たちもみなそう思ったに違いない。

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結婚式から出席。
披露宴やその後の2次会は年に何回か出る機会があるものの
結婚式から出るのはもしかしたら初めてかもしれない。


会場は六本木の「TATOU」というところ。結婚式専用の場所のようだ。
1階ホールの中は各テーブルにディナーの用意がなされ、
前方は教会のような作りになっている。
式からそのまま披露宴に移行するという珍しい形式。


年老いた神父が聖書を片言の日本語で朗読し、賛美歌が歌われる。
花嫁が父親に付き添われゆっくりとヴァージンロードを歩く。
新郎が花嫁のヴェールを上げる。
「ヤメルトキモ、スコヤカナルトキモ」の例の質問がなされ、
「チカイマスカ?」と問われて先輩ははっきりと「誓います」と答える。
指輪が交換される。
そしてまた賛美歌が流れる。
教会で行われる結婚式に僕は生まれて初めて立ち会った。
いいもんだな、と思った。


しばらく時間をはさんで披露宴開始。
鏡割りの後、乾杯となり、新郎新婦へと大きな杯が運ばれるのだが、
ここで寮生は出番とばかりに立ち上がり(きちんと段取りは打ち合わされていたのだが)
「パーンパカパーンパカパーンパーン、パーパラッパパーパラッパ、ハイハイハイ」と
「東都の流れ」という寮歌を歌いながらっつうかがなりながら
みんなで杯を回しあってイッキ飲み。最後に新郎に渡されて全部飲み干す。
それが終わると次はお約束で「えぼし」がかかって新郎は新婦の名前を叫ぶ。
(サザンの「チャコの海岸物語」の一節を歌って「心から好きだよ」のフレーズの後、
好きな女性の名前を叫ぶ。非常に寮っぽいですね)
寮の人たちの披露宴では僕ら必ずこういうことをやっている。
いつもいうもそうなんだけど、場内唖然とする。
最後の、先輩の父親の挨拶の時には「息子も悪い友達を持ったもんだ」と苦笑された。


僕らの出番がなくなるとその後は普通に披露宴が続く。
先輩の高校時代の友人にプロのジャズ・トランペッターの人がいて、ピアノと一緒に演奏。
(土濃塚隆一郎さん。今度3枚目のアルバムが出るという。
2次会でも僕らと一緒に飲んでて、とてもいい人、かっこいい人だった)

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披露宴は恙無く終わったものの、問題はその後の2次会。
酔っ払った寮生たちが暴れだして手におえなくなる。
司会のゴリポンは途中からわけわかんなくなってシモネタばっかり叫んでみんなひいてしまうし、
ジンは誰彼かまわず喧嘩を売ろうとしてその後撃沈。
花嫁に対し新郎よりも自分の方がいい男だどうのこうのと絡む。
ケンもイッシーもヤマシタさんもみんな途中で帰ってしまうし、
残されたイデタとシロマと僕とサイノウさんで
トイレで吐かせたり担いだりと大変なことになった。
「寮生とはこんなもんなんです。すいません」と
今となってはシシリアン・マフィアのような要望となったシロマが釈明のため演説をぶった。
明らかに僕らは浮いてて、全てぶち壊し。
店を出た後、フラフラと歩き回っては出席者の女性たちのグループのいくつかに
「これから一緒に飲みませんかー」と声をかけるものの思いっきり敬遠される。


僕らだけで天狗に入ってその後延々と遅くまで飲み続ける。
式が始まったのが11時で、2次会の鉄板焼き屋に入ったのが15時。
18時ごろに「ちょっとだけ飲もうや」と言って入ったのに気が付いたらダラダラと22時。
1日ずっと飲み続け。
ジンもゴリポンもつぶれてしまって、
残された面子で偉そうにもブッシュがどうのこうの
日本の景気回復がどうのこうのと世界情勢を批評する。


いやー楽しい一日だった。
それもこれも結局はキクチさんの人徳によるものか。
そのキクチさんたち夫婦はその日のうちに成田からタヒチにハネムーン。
うらやましいもんだ。