自分の未来を見る/覗く/眺める

例えば、自分の未来というものを見ることができるとしたらどうなるだろうか。


小説として描くのなら
どれだけ遠くの未来を、どれだけの間見ることができるか、ということがポイントとなる。
1日先しか見えない。あるいは、制限なし。
写真のような静止画像しか見えない。あるいは、いくらでも長い間見れる。


ポイントとしてはもう1つ、どういう手段によってか、というのもある。
「未開」とされる時代から代々その部族の中で受け継がれてきたシャーマンが執り行う儀式として。
あるいは、人類が共通に持っている潜在的な能力を非合法の薬品を利用して引き出す。
あるいは、なんらかののタイムマシン。


何回まで見ることができるか。
生涯に1度だけ。状況(資産・能力・体力)に応じて何度でも。


その気になれば条件のマトリックスを作成することが可能となり、
短編ないしは長編小説のネタのバリエーションをいくつか生み出せる。


【その1】
タイムマシンの製造が可能となった近未来。
その稼動に当たっては莫大なコストを要するため、一般庶民はなかなか気軽に利用できない。
本人が時空間を移動となるととんでもない金額となるため、
普通の人は映像を1枚切り取ってもらうだけとする。
それだけでも例えば新車1台分の費用が要求される。
となると、人はどういう映像を欲しがるか。
過去の大事な思い出。あるいは、自分の死の間際がどうなっているか。
たった1枚の写真をもとに主人公は自分の人生を過去へ、あるいは未来へと辿っていく。


【その2】
ある種の寓話。天使たちのはからいにより人はその未来を人生で3回だけ見ることができる。
だけど1日先だけ。10秒ぐらい。ぼやーっとした映像で。
人によってはここ一番という競馬の結果を知りたがるし、
ものすごいトラブルに見舞われた人は明日の自分の姿を知りたくなる。
1回でもなく10回でもなく、3回というのが微妙な回数となる。どうやって使おう?
「3つの願い」のような寓話を踏まえて、ひねった展開を。


【その3】
個人が気軽に未来を見るのが当たり前になった社会。
天気予報から選挙の結果までなんでも知ることができる。
「未来は既に全て定められている」
変えることはできなくて、人々はただそれをなぞっていくことになる。
妙に活気のない社会。人々の生活は台本を与えられて毎日演じるようなものとなる。
それでも、「何が起こるかわからないよりはまし」と大多数の人たちが受け入れている。
というか、受け入れるようになって300年ぐらい経過していてごく普通のことになっている。
可もなく不可もない人生が約束されている人ならば問題ないのだが、
行く先々で不幸が待ち受けているような人もいる。
「そういうものなのだ」と大多数の人は生まれた時から諦めている。
こういう設定にしたときに当然考えられる展開として、
「未来が決まっているのはおかしい、自分はそんなものに従わない」と声高に主張する若者が出てくる。


【その4】
タイムマシンの製造が可能となった近未来なのは「その1」と同じ。
誰も彼もが未来を知るようになったならば社会が混乱するに決まっているので
政府要職に就くごく一握りの人間しか未来を観察することが許されていない。
国という概念はなくなり、政府は単一のものとなっている。
「大統領」は未来観察のレポートに基づいて「政治」を執り行う。
誰であれレポートの内容を部外者に口外するようなことがあってはならない。
主人公は普段目立たないように暮らしているが
実は未来観察者として様々な情報を握っている。
ある日彼は反政府組織の活動員によって誘拐され・・・。
(P・K・ディック的な話ですね)


【その5】
未来を見る能力は誰にでも普遍的に備わっている能力だった。
1週間ぐらいかけて大掛かりな準備をして
1週間近く冬眠に入るようにすれば誰もが未来を読めるようになった。
めんどくさい行為なので普段は誰もそんなことはしない。
切羽詰った時、あるいは暇な時、未来を読むという行為を人は行う。
・・・が、主人公(まだ子供)には生まれつきその能力が失われていて劣等感を抱く。
(100人に1人の割合。多いとも言えるし少ないとも言える)
周りのみんなは夏休みに入って「初めての未来」を目にした後で、興奮してあれこれ喋っている。
主人公は寂しい思いをする。
周りの大人たち、友人たちがそんな少年(ないしは少女)に対して温かい励ましを与える。
こういったことがありつつ一夏のあれこれを経て、主人公はほんの少し成長する。