ハガキの振り分け

2週間前に京都でジンと飲んでいたとき、郵政民営化の話になった。
お互い政治に関する難しい話を長々と議論できる方でもないので
その後いつのまにか話題は郵便局でのハガキの振り分け方法について、となっていた。
僕はこんなふうに思っていた。
官製ハガキの枠内に記入された文字を機械が読み取って自動的に振り分ける。
昔テレビで見たことがある。見たのは小学生や中学生の頃のことかもしれない。
機械が読み取るものなので枠内の数字の記入ははっきり正確になされなくてはならない。
はみ出したり極端に小さかったりするとエラーとしてはじかれる。


これは今、違う、というか進化しているのだそうだ。
それぞれのハガキの表面には人間の目には見えない塗料でバーコードが塗布され、
紫外線だったか赤外線だったか忘れたが光線を当てることでそれが読み取られ、
それを元に郵便番号の振り分けを行うのだという。
つまり工程として「機械が数字を読み取って振り分ける」というものだったのが
恐らく「機械Aが数字を読み取ってバーコードを塗布する」
「機械Bがバーコードを読み取って郵便番号ごとの振り分けを行う」という2段階の作業となった。
間に複雑な作業段階が1つ挟まることになり
素人の目からすればその分手間やコストがかかりそうなのであるが、
たぶんこの方が速かったり正確だったり大量処理に向いていたりするのだろう。
ポストから集められたハガキの束が町の中央郵便局へと運ばれ、
ものすごく大きな機械がものすごく大きな音を立てて動いている光景を僕は想像する。
僕の書いたハガキはその中をグルグルとくぐり抜けて
自動的に適切なカテゴリーへと吐き出される。


試しにハガキを手にして、様々な角度から見上げたり見下ろしたりしても
バーコードらしきものは見えない。
「ほんまに印刷されてんやろか」と不思議に思う。


年末になると郵便局の年季の入った名人が下駄箱のような枠の中に
年賀状を1枚1枚とてつもない速さで手作業で振り分けていくのがテレビでよく紹介される。
NHKのニュースの1コマで、上野のアメ横の賑わいなんかと一緒に。
ああいう「名人芸」もそのうちなくなってしまうんだろうな。
名人芸は名人芸なんだろうけど、「伝統芸能」ってほどのものでもないし。
21世紀が深まっていくにつれ、また1つ職人の技が失われるわけだ。


というかこのインターネットの時代に
そもそもハガキというものは今後どういう運命を辿るのか?