Rip Rig & Panic

機体が右に大きく傾いた。
大きな、鈍い、くぐもった音がした。
続いて機内の後部では金属同士が派手にぶつかり合う音がした。
小型のコンテナがスチュワーデスの使うワゴンを通路にはじき出した。
隣の席の人たちと顔や頭がぶつかり合った。
他人の体がのしかかり、押しつぶされそうになった。
ほとんどの席で機内食のプレートがずり落ちてその中身が床や衣服へと広がった。
トマトソースのかけられたチキン。
パストラミソーセージとレタスのサラダ。
オレンジ色のチーズ。イチゴジャム。プラスチックのナイフ。
最初の悲鳴があがった。
その瞬間から、悲鳴が次々に広まっていった。
金切り声の連鎖がどんどんヒステリックさを増していく。
痛みを訴える声や周りの人々の安否を気遣う声も上がる。
機体はすぐにも水平に戻った。
束の間の静寂。安堵のため息が漏れる。
しかし、1、2、3・・・、3秒後にはまた機体が右に傾いた。
ただし、前ほど急な角度ではなかった。
立ち上がり、わめきだす初老の男性。
隣の席の子供をしっかりと抱き寄せ、凍り付いたまま顔を上げようとしない若い女性。
子供は怯えた声で泣きじゃくっている。
「見ろよ」と誰かが窓の外を指差す。
何人かがその声につられて、右側の窓の方を向いた。
何人かが下げられていた窓の覆いを上に押し上げた。
翼が白と灰色の混じり合った煙に包まれていた。
火のようなものがチラチラと揺らめいた。
回転音が下がっていく時の音が聞こえた。
「おい、どうなってんだよ?」
スチュワーデスがファーストクラスの方から現われ、
座席や天井のトランクにつかまりながらゆっくりと一歩ずつ前に進んだ。
スチュワーデスは自分に向かって噛み締めるように話した。
「乗客の皆様、どなたか、お医者様は、いらっしゃいませんか?」
もう1人のスチュワーデスが現われた。
「皆様、お怪我はありませんか?落ち着いて、自分の席に座るようにしてください」
パニックに駆られた、なじるような声が上がる。
スチュワーデスは深呼吸をして、もう一度口を開いた。
「今から、救命胴衣の身につけ方について説明、・・・」
スチュワーデスが突然倒れこんだ。すかさず悲鳴が上がった。
目の前の席に座っていた男性の乗客がにじり寄って助け起こそうとした。
揺さぶっても何の反応もない。男性は何度も何度も揺さぶった。
そのとき、ガクンと機体が下がった。
混乱した叫び声が一際大きくなった。
客席上部のモニターに映っていた映像がブツンと途切れて真っ暗になった。
天井のライトがいくつか消えた。
立ち上がっていた何人かがバランスを崩し、倒れこんだ。
何人かはまた立ち上がり、何人かは倒れたままとなった。
座っていた乗客のうちの何人かも力が抜けて、ねじ切れたようになって崩れた。
最初の方のスチュワーデスは慌てふためいたままファーストクラスの方に戻っていった。
中年の女性がふらふらと立ち上がり頭上のトランクを開けると
おぼつかない手つきでボストンバッグを引き摺り下ろそうとして、その中身をぶちまけた。
座席の下から救命胴衣を見つけた学生風の男性が必死になってそれを膨らませようとした。
いくつかの短い言葉のやり取りだけで自然発生的に
20代や30代の男性たちのグループができて、彼らは席を立って前の方に進んで行った。
キャビンの隅に男の子が1人、無邪気な顔をして立っていて、彼らのことをポカンと見つめていた。
彼らのうちの何人かが通路の途中で脱落した。
機内前方のビジネスクラス、ファーストクラスはひどい有様だった。全滅だった。
吐瀉物が撒き散らされ、窓には食べ物がぶつけられ、
大量の血を流してうずくまっている男性とも女性とも見分けのつかない乗客がいた。
3人の男が操縦室に入った。
スチュワーデスが2人、折り重なるように倒れていた。
操縦席では操縦士も副操縦士も2人とも操縦桿にもたれかかるようになって事切れていた。
いくつかのディスプレイでは冷静に数字が切り替わっていった。
ここで2人の男が倒れた。
最後の男が操縦席を出て、廃墟のようなファーストクラス、ビジネスクラスと引き返していって
よろめく足取りで、通路に倒れた人々を避けながら、機内後方のエコノミークラスへと向かった。
先ほどの小さな男の子が無邪気な表情のまま、
仰向けになって壁にぶつかってもたれたまま、倒れていた。
今ではもう誰も悲鳴を上げてはいなかった。どんな話し声も聞かれなくなっていた。
男がエコノミークラスに辿り着いたとき、通路は人々の体で足の踏み場もなかった。
緊急事態にあることを示す壊れかけのサイレンのような音が機内いっぱいに広がった。
男は空いている席の一つに座ろうとして、そのまま頭から崩折れていった。
飛行機は落下を始めた。
機首が下がって、重力に捉えられた。
操縦席のシールドからは山並みとその向こうに広がる地方都市が見えた。
テレビ搭が、野球場が、背の高いビルが、無数の家が見る見る間に近付いていった。


墜落する飛行機の姿を見つけ、逃げ惑う人々の姿はなかった。
地上でもまた大勢の人間が倒れていた。誰もが死んでしまっていた。
シンと静まり返った物音一つしない静かな町の中に、
つんざくような音を立てて飛行機が落ちていった。