銀座、晴海界隈で音楽を語りつくす

27日金曜日は仕事が割りと早めに終わると会社の人たちとカラオケに行った。
3時間か4時間か浜松町のビッグ・エコーにいた。
酔っ払った僕はいつどんなふうにしてカラオケボックスを出て電車に乗ったのか
その辺全然記憶なし。
眠りこけて目が覚めたときには中央線の終電で武蔵小金井だった。
愕然とする。
タクシー乗り場は長蛇の列。かなり長いこと待たされた。
荻窪までタクシーで引き返して4500円。
非常に無駄な出費で自己嫌悪。
下りて速攻で道端にゲロを吐く。

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大学の先輩に音楽系のライターをやっている人がいて、
「自分に負けず劣らずCDを買っているオカムラに話を聞きたい」ということで
1日かけて銀座〜築地〜晴海〜月島をブラブラ歩きながら音楽の話をする。
先輩は「Music Magazine 増刊 ザ・ゴールデン 80's」というので
いくつかのバンドのディスクガイドを手がけ、
最近の仕事としては「別冊宝島 音楽誌が書かないJポップ批評」のシリーズの1つ
サンボマスターにて原稿を書いている。


銀座山野楽器の前にて13時に待ち合わせをして、
札幌に本店を持つスープカレーの店「スパイスピエロ」にて食べながら話す。
黒カレースペシャルという骨付きチキン、牛タン、オクラ、茄子、ラビオリ
などが入ったカレーを食べる。割とうまい。
皮付きのジャガイモがゴロッと丸ごと入っている。
先輩は何か調査していることがあるようで、ノートを開き、
「14歳のときに何を聞いていたか?」と質問される。
88年から89年にかけて。
ブルーハーツに熱中してビートルズも聞き始めた頃。
世間的には暗黒の80年代が終わろうとしていて、
イギリスでは Second Summer of Love が到来、
アメリカでは PixiesSonic YouthDinosaur Jr. が・・・、とグランジの下地が作られ、
日本では空前のバンドブーム。イカ天なんかがあったり。
そんな世の中の流れが普通にテレビのニュースを見ているだけでは
一切伝わってこない青森市に住んでいた14歳の僕は
どこで音楽を聞いて、どんなふうにロックというものに興味を持ち詳しくなっていったか。
(この辺のことは書きだすとキリがないので明日改めて書こうと思う)


店を出て歩き始める。
銀座4丁目界隈は歩行者天国だった。
築地に向かって歩いていく。
ところどころ公園や川縁のベンチやデニーズで休みながら
勝鬨橋を渡り、晴海トリトンスクエアに入ってみたり、
火力発電所や緑地帯を眺めつつ晴海通りをぐるっと回って鉄橋を渡って月島へ。
(橋の上からは朝潮運河に浮かぶ古びた漁船や屋形船やボート、船着場の寂れた家々が見えた)
月島ではもんじゃ焼きは食べず、焼きトンの店を見つけてそこに入った。
「タマヤ」という名前の店で、なかなかよかった。
1日10本限定の豚トロの串焼き他、全種類の串焼きを食べた。
イカのゴロ焼きもおいしかったし、ホタテの山葵和えもおいしかった。また来るぞ。


そんな感じで1日を過ごし、店を出たら23時を過ぎていた。
実に10時間近く音楽の話をしていた。
会話を試しに(わかりやすいところで)いくつか再現、再構成してみる。


Scritti Politti の1枚目ってCDになったんだっけ?」
「ついこの間『early』っていうのが出てましたよ」
「1枚目が出る出るって言って結局出なかったんだよな」
「『Cupid & Psyche 85』って80年代の音として完全無欠でしたね」
「日本のミュージシャンはみんな影響された。バンドものだけじゃなくて」
「歌謡曲が特にそうですよね。・・・あれだけ完璧なのを作ってしまったら
 その後のアルバムがつまらなかったのも仕方ないですよね。
 Miles Davis が吹いてるってのもあったのに」
Steely Dan が一流のスタジオで一流のミュージシャンを雇ってやってたことを
 Scritti Politti は手軽に自宅の一室でやってたというような雰囲気があって、
 それがミュージシャンに受けたのかもしれない」
「そう言えば Steely Danアメリカで大受けしたのは
 一見知的でクールで洗練されたゴージャスな音のようでいてジャズの影響が強いんですけど、
 そのジャズって言うのも彼らが子供のときに見ていたテレビ番組でかかっていたような
 B級のジャズの方で、なんてことを評論化が言ってて
 一皮向くとそういうのが隠れてるってのがたまらないんでしょうね」


「昔のCDが再発されないってことで言えばまずは Virgin か。
 Van Der Graaf Generator の国内盤って中古屋でも全然見かけないよな。
 あと、A&M
「Supertramp なんてのも A&M でしたよね」
「商売する気あるんだろうか。
 Burt BacharachCarpenters がカタログにあればそれでいいんだろうか」
「Squeeze もそうですね。そういえば『リアリティ・バイツ』って映画あったじゃないですか、
 あれで主人公たちが冒頭で車に乗って『Tempted』を歌ってて。
「『Tempted 』を?マジで?」
「要するに向こうでは、アメリカでもイギリスでもものすごい大物で。
 一時代を象徴する。日本とは違って」
「もったいないよなー。日本盤が出ないのって。
 今再発されてないのが最も多い時期ってのはCD出始めの頃の音源。
 例えば町田町蔵で言うと、最初LPで出た INU の『メシ喰うな!』はCDで再発されるけど
 80年代半ばぐらいのLP/CDの切り替えの時期に出たのって
 なかなかCDで再発されない。日本のロックはそういうのばかり。
「『どてらいやつら』の辺りですね」
「まあ、町蔵のは最初宝島からカセットブックで出てたってのが状況を難しくしてるんだろうけど。
 WAVEがレーベルやってた頃のも手に入らない。
 Compact Organization のはみんな入手不可。Mari Wilson とか」
「Mari Wilson 僕すごい欲しくて探してるんですけど見つからないんですよ。どこ探しても」
「あー俺、WAVEで出たやつなら全部持ってるよ」


こんな話をずっとしてた。
デニーズで隣のテーブルに座った男性5人組は車のパーツのオタクの集まりだったようで
各自持ち寄ったファイルや昔のカタログを集めたバインダーを大事そうに広げていた。
「うわー・・・」とか思ったんだけど、
今考えてみたら僕らも同じようなものだった。


都内の中古CD屋で No.1 は中野ブロードウェイレコミンツで意見が一致する。
レコミンツに置かれた「裸のラリーズ」はさらなる高値をつけているという)


お薦めの中古CD屋を聞いたら、
明大前の「モダンミュージック」と神保町の「タクト」と「ジャニス」


その他、覚えている話。


R.E.M. の音楽って捉えどころがなくて、何がどういいのか具体的に説明できない。
「Out Of Time」で91年にビルボードの1位になったけど、
 その後ロックで1位になった作品が出て来るのは何年も後のこと。
 そのとき1位になった作品っていったいなんだったろう?


・90年代末に椎名林檎に夢中になった人って言うのは
 80年代末に筋肉少女帯に夢中になった人と同じタイプではないか。


The Cars のビデオクリップって質の良さで有名だけど、
 あれはあくまで MTV 出始めの頃に斬新だったというだけで
 今見るとそんなたいしたことはない。


The Velvet Underground のアルバムではどれが好きですか?というので
 その人の人間性が分かる。
 「Sister Ray」が入っている2枚目と即答した僕は妙に納得された。
(ちなみに、1枚目の1曲目の「Sunday Morning」は新宿高島屋のエレベーターにて聞いたことがある。
 67のリリース当時は見向きもされず、その後伝説化/神格化。そして今、ミューザックと化している。
 1つの音楽の辿る足取りとしては相当不思議なものである)


・同じような話として、音楽には関係ないが、
 ドラクエVIビアンカとフローラのどっちと結婚したかでやはりその人の人間性が分かる。
 そりゃもちろんビアンカだよなあという話になる。
 が、ビアンカを選ぶ人は実生活で結婚が遅れる傾向にある。
 フローラを選ぶ人は例えば、ドラクエで言うならば戦闘がうまかったりで、そつがない。


・僕の思い出。
 中学校時代にヤンキー系の女の子の家に行ったら
 部屋の中に置いてあった20枚ほどのCDの中に唯一あった洋楽は TOTO の「聖なる剣」
 このエピソードだけで当時 TOTO がどれだけ売れていたのかよくわかる。



今日のお礼に、とお土産にもらったCDは Jackie Mittoo という人の
Jackie Mittoo in London」というもの。
さすがにこの人のことは知らない。
(調べてみたらジャマイカのオルガンプレーヤーで有名な人だった)


Mari Wilson のアルバムと小沢健二の「壊れる前」のシングル(「ある光」など)を
譲ってもらう約束をする。マジで頼みます。


家に帰って、amazon町田町蔵の「どてらいやつら」を中古で購入。
7000円という値段がついていた。。。

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先輩はわざわざ僕のホームページの「購入したCDのリスト」を
最初から全てプリントアウトして持ってきていた。


「どうしてここでこの時期にこれを国内盤の新譜で買うかね!?」
などと「ヘタな小説を読むよりよほど面白い」とのお褒めの言葉を頂く。