僕の音楽遍歴 その1(幼年期編)

昨日、音楽系のライターをやっている大学の先輩とあれこれ1日かけて音楽のことを話した。
話していく中で僕のこれまでの人生において
どういうときにどういう音楽と出会って、どんなふうに興味を持って
どんなふうにその知識を深めていって、今それらの音楽についてどう思うか
辿っていくことになった。


せっかくの機会なのでそのことについて書いてみたいと思う。

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僕が小学校一年生のときに交通事故で亡くなった父親は音楽の好きな人だった。
音楽と言ってもクラシックではなく、ジャズやロックでもなく、
平たく言うと演歌だった。
コブシのきいたド演歌というよりは、歌謡曲よりの演歌だった。
フォークというのでもない。
うまく例は挙げられないが、八代亜紀とか小柳ルミ子とか寺尾聰とかその辺ではないだろうか。
世はカセットテープ全盛の時代で、
たくさんの色とりどりのカセットテープが父の机の上にはあったと思う。
歌うことが何よりも好きで、自分で歌ったのを吹き込んだテープもあったはず。
ギターも弾いていた。


父は新聞記者だった。
テニスも得意で家には会社の大会で優勝したときのトロフィーがたくさんあった。
父の使っていたギターとカメラとテニスラケットを僕は形見として持っている。
そのどれか1つでも興味を持てばよかったんだけど、
不思議なことにそういうことにはならなかった。
スポーツマンだったところは受け継がれず、歌のうまさも遺伝しなかった。


でも、まあ、音楽好きなところは何がしかの影響を受けているのだと思う。
よほど複雑な事情があって歪んだ家族に育ってない限り、
まだ幼い息子は「父の好きなもの」に対して何かしら興味を持つものである。


父は自分が歌手やカラオケのカセットテープを買うとき、
そこに僕や妹もいるならば時々
アニメの主題歌や童謡の入ったカセットテープを買ってくれた。
20何年も前の大型のラジカセで
(それは僕が中学生になってミニコンポを買う・買ってもらうまで10何年以上現役だった)
それらのテープを擦り切れるぐらいに聴いた。
たぶんこれが原体験なんだろうな。
外で遊ぶような活発な子供ではなく、家の中にいることを好んだ。
テレビでアニメがやっていない時間ならば
アニメの主題歌の入ったテープを聴いた。


どういうのが入ってたかはさすがに覚えていない。
アニメだったら「ボルテスⅤ」「マジンガーZ」「ガッチャマン」とかその辺だと思う。
あるいは「花の子ルンルン」とか。「タイムボカン」シリーズとか。
75年頃から80年代初めまでのもの。


ドラえもんの歌」や「ぼくドラえもん」、
「青い空はポケットさ」や「ポケットの中に」(名曲ですね)といった
ドラえもんの主題歌大全集みたいなのがあったのは確か。
後、ドラえもんで言ったら大長編の「のび太の宇宙開拓史」の音声部分を
そのまま収録したテープも買ってもらったことがある。
当時はビデオなんてものもなく、あったとしても買えるほど裕福な家庭ではなく、
このテープから流れてくるセリフや音楽や効果音を聞いて
実際の映画を思い浮かべたものだ。
武田鉄矢が作詞した主題歌「心ゆらして」もいい曲だった。
大長編ドラえもんに関するテレビ番組にて
「今度の主題歌はどういう感じにしましょうか?」というのをテーマに
藤子不二雄の2人が武田鉄矢と対談をしていたことを僕は今でも覚えている。


こういうテープを僕はいつまで聞いていただろうか?
青森市に住んでいた幼稚園の頃から
むつ市に引っ越した小学1年生の頃までは確実に聞いていた。
父が死んで青森市に戻ってからは聞かなくなったかもしれない。
ただ、アニメが好きなことには変わりはなく、
主題歌をテレビからラジカセで録音することは続けていたように思う。
いくつかのテープの中から
お気に入りの曲を集めたテープを作るようなこともしていたのではないか。
(そんな気がするのだが、そこまでしてないような気もする。正直分からない)
80年代半ば。「ボトムズ」とか「バイファム」とかその辺り。


トランスフォーマー系の変形ロボットが何よりも大好きで
おもちゃと言えばそういうのばかり欲しがった。
寝ても覚めても変形ロボットばかり考えていた。
デパートのおもちゃ売り場に連れて行ってもらうとずっとそればかり眺めていた。
小学4年ぐらいまでか。
ようやく買ってもらった小さなロボットを持ち込んでベッドの中で遊んでいた
パジャマ姿の僕はそのロボットに関する架空のアニメを想像し、
架空の主題歌を作っては真夜中に1人歌っていた。


(続く)