僕の音楽遍歴 その8(高校2年)

高校に入って行動範囲が広がった。
あれこれ興味を持ち外に出かけていった、ということではなくて
ただ単に自転車通学で片道最速で40分かかったから。
(しかも青森市内ってなんかあるわけでもないし。。。)
いつも同じルートを行き帰りすると飽きてくるから遠回りしたり寄り道するようになる。
帰りに友達と一緒になるとたいがいそうなる。
そういう寄り道の一環としてレンタルCD屋回りに精を出す。
市内のありとあらゆるレンタルCDに通ってた。
そんな僕の趣味を知ってる友人たちから
「ちょっと遠いけどどこそこに新規オープンしたよー」と教えてもらうと
家とは全然反対方向だろうと行ってみた。
当たり前のことなんだけど店によって品揃えが微妙に違ってて、
ここにしかないCDってのがそれぞれどこの店にもあって、
そういうのの在庫のリストというかカタログが僕の頭の中で常に更新されていた。
県内有数の進学校に通っていても、偏差値の高さをそういうところに使っていたわけです。
その当時買ったり借りたりしたCDは(まだそんな枚数もなかったということもあって)
何曲目のタイトルは○○で、というのもきちんと把握していた。


今では信じられないが、当時の小遣いは5千円。
ほぼ100%レンタル代かCDに消える。
それに毎日、ジュース代として100円もらってた。
これもジュースは買わないで貯めておく。
10日我慢して1000円になるとCDを2枚借りに行く。テープを2本買う。
非常にストイックな生活だった。我ながら感心する。
そんな切り詰めた中で買ったり借りたりするCDだから
あれこれ悩んだ末のセレクションになる。自然と質が高くなる。
青春時代の有り余る情熱とエネルギーと時間を費やしてふるいにかけるわけだ。
なくなく諦めたものだってある。
あの当時が一番勉強になった。
自分で自分を、基礎から叩き直したというか。


90年から91年という時代に洋楽を聞き始めたわけなのであるが、
今思っても当時は特別な時代だったように思う。
イギリスではマンチェスタームーブメントが勃発、
アメリカではオルタナティブの時代に突入。
(僕が大学に入った頃、この2つの時代の激流がもたらした成果として
 前者はブリットポップに結実し、後者はグランジへとつながっていく)
毎月のようにとんでもない新譜が発表され、レンタルしてもしても追いつかない。
お年玉はもちろんCDに消える。
The Stone Roses , Happy Mondays , My Bloody Valentine ...
Dinosaur Jr , Pixies, Sonic Youth, Nirvana ...
Primal Scream 「Screamadelica」なんて
ほんのちょっとしたタイミングの問題で当時聞けなかったんだよなあ。
お金が無いとか、借りようとしてもいつも貸し出し中だったとかで。
Rockin 'on では毎月のようにとんでもないニューカマーが現れる。
Ride の赤ライド、黄ライドってのが輸入盤で東京では話題になっているのに
青森ではもちろんそんなの聞けるわけが無い。
この2つが一緒になったコンピレーション「Smile」が発売されたときは嬉しかったなあ。
今でこそ時代を変える一大傑作として崇められている
NirvanaNevermind」も My Bloody ValentineLoveless」も
Rockin 'on では合評扱いになってなくて、普通の枠扱いだったんですよ。
Nirvana の方には「売れそうだ」なんて書いてあったけど。


こういう新譜を割と多く扱っているレンタルが
青森市ではジャスコ・サンロードから観光通りを南へ、八甲田山の方に自転車で走って行くとあって、
あれはアコムがやってる店だったかなあ。とにかく通い詰めた。
ここにしかないCDってのがたくさんあって、僕にしてみればパラダイスだった。
店員の趣味だったのだろうか。
高3の途中ぐらいから新譜はどうでもいいような売れ選ばかりとなって、僕の熱意も冷めた。


話は前後するが、高1の冬から Rockin'on を毎月買い始める。
1月号で買い始めにはちょうどよかったのと、表紙が Led Zeppelin だったから。
しかもジミー・ペイジロバート・プラントも痩せていた4枚目までの頃。
あの表紙じゃなかったら買ってなかったかもな。そして Cross Beat 派になっていたかも。
毎号がバイブルみたいなもので、全ての記事やインタビューを目を皿のようにして読んだ。
(今でも毎月途切れなく買ってるけど、会社員になってさすがに
 ディスクレビューとインタビューを1つか2つぐらいしか読まなくなった)


そういう縁があったせいか(もしかしたら順番は逆かも)、
「ロックに詳しくなりたい」と思って買ったガイドブックの著者は渋谷陽一
新潮文庫から出ていた「ロック―ベスト・アルバム・セレクション」
(これは今でも普通に買えるはず。何気にロングセラー)
この中で紹介されているCDの数々を目にして15歳の僕はため息をついた。
「こんなに全部買えない。。。」
自分が行きたかった場所の地図を与えられて
そのとてつもない広さと地形の多様さを知り、唖然とする。
その地名や解説の文章を読んでそこがどんなところなのか想像してワクワクする。
どれだけ時間をかけてもほんの少しずつしか探索の進まない自分をもどかしく思う。
最初から最後まで全てのページを一通り読んで、
高1の僕は「では、どこから聞き始めるか」と考える。
パンクに興味を持っていた僕にしてみれば77年以後のものが面白そう。
それ以前のロックは、特に60年代は、
ブルースの影響が色濃くて自分には無縁のものに感じられる。
あるいは単なるポップミュージックか。
70年代前半から半ばにかけてもそう。
例えば The EaglesHotel California」は有名な曲なのでその名前ぐらいは知っていた。
でもアルバム通して聞いてみようとまでは思わない。


ニューウェーブ」という言葉に僕は心を惹かれる。
パンク以後の、実験性の高い音楽。
たぶん僕がそのとき自分の置かれていた、
自分に対して抱いていた状況が反映されていたのだと思う。
何らかの屈折した思い、どことなくなんとなく感じていた孤独。
家族や友達がいても、自分の居場所がないような、何かが違うような、漠然とした不安。
転校を繰り返していた僕は
その地域で小さい時から育まれてきた友人関係というものに溶け込むことができない。
スポーツのできない子供だったのでそういうところで活躍もできない。
家に閉じこもって本を読むことが何よりも好き。
その本といっても四次元がどうのUFOがどうのという超常現象系ばかりだ。
そんな暗い小学生時代をなんとか乗り切り、
中学・高校と明るい部分も広がっていきつつも、
暗い自分は一皮剥くとすぐ下に広がっている。
今でもそれを引き摺っている。
ニューウェーブ」の何がいいかと言えば、技術至上主義ではなくて、
若さゆえの衝動を元に自己表現しようとしていたことだ。
自分にしか為しえない、フリーキーで突拍子も無くて、寂しくて攻撃的で臆病な表現。
ギターを性急に掻き鳴らし、ドラムは例え下手であっても未知なるリズムを叩きつけ、
キーボードが虚無的なフレーズを奏でる。


最初のうちはイギリスを中心に XTC, The Cure , The Police といった
メロディーの際立っているものを聞いていた。
それがやがて The Pop Group, Gand Of Four, Wire, PiL といった
先鋭的なものへと重心が移っていく。
Mute と日本で契約していた Alfa が頑張っていたこともあって
Cabaret VoltaireThrobbing Gristle や Einsturzende Neubauten の国内盤や
ボックスセットが出ていた時期だ。(音楽的な時代が異なるが、Can もボックスセットが出た)
こういうのを予約してでも買っていた若者は青森市では相当珍しかったのではないか。


アメリカのパンク・ニューウェーブを聞かなかったわけではない。
渋谷陽一の「ロック―ベスト・アルバム・セレクション」を見ていた中で
どうしてもこれが欲しいと思って、レンタルにも無くてCDを買ったのが
Television 「Marquee Moon」
官能的でヒステリックで繊細なギターの旋律、特に表題曲のイントロを聴くと今でもゾクゾクする。
「この世のものとは思えない、凄惨な音」と誰かが評していたが、全くもってその通りだと思う。
金属的で無機的で、それでいて人間的でどことなくつたない音の向こうに
ひっそりとした孤独が広がっていた。