平凡な生き方

常駐していた会社は一言で言うと雑居ビルのようなところにあって、
同じフロアには全然関係の無い会社がいくつか入っていた。
前にも書いたけど隣の会社は若い女子社員が
白いブラウスに紺色のベストとタイとスカートという
いかにも「女子社員」な制服を着ていて、
廊下を歩くたびに「はー・・・、いいなあ・・・」と思わされた。
(こういう感覚を世間一般的に「萌える」と言うのか)
やっぱ制服っすよね。


それはさておき。
この会社は廊下に面したドアがいくつかあって、それがどれも普段開けっ放しになっているから
ビルの廊下を歩いていると中が見える。
自分とは関係の無い会社のことだから覗き込んだらいけないという社会人的常識はあるんだけど、
時々無意識のうちにちらっと中を見てしまうことがある。
机が並んでいてキャビネがあって、というフロアの中のつくりは僕の会社とほとんど変わらない。
まあ、どこの日本企業もだいたい一緒だと思う。外資系でもない限り。
その中で女子社員たちがコンピューターに向かって何かを打ち込んだり、
帳簿のようなものをめくったり、電話で受け答えをしている。
男性社員たちがキビキビと動き回っている。
(他の会社のオフィスを垣間見るときは決まって、キビキビしているように感じられるものである)
若い世代の男性社員たちが廊下で女子社員たちとすれ違う時、立ち話をするときがある。
でもそれも簡潔なものであって、一言二言言葉を交わすと互いに笑顔になって別れて行く。
彼等の間ではちょっとした表情や仕草で多くのことが伝わるようになっている。
いろんなことが共有されている。
率直な話、女子社員の多くはここで出会った男性社員と結婚するのだと思う。


「いいなあ」と思う。
こういう感じの企業で働くという人生もあったはずなんだよな。
言ってみればこの会社は「一昔前」の日本企業のイメージを色濃く残していて、
それはそれで悪くは無いと思う。(外部の人間なので安易にそう思う)


例えば経済学部を出て、世間一般的に「普通」とされる企業の経理部で働く。
女子社員と交際するようになり、何年かの期間を経て結婚へと至る。
家を買うことを考える。そのためのローンを組む。
週に1度ぐらい同僚たちと飲みに行って、月に2度ぐらい週末はサッカーなり野球をする。
そろそろ子供も生まれそうだ。新しい車もほしい。
中学・高校のときにはこういう平凡な生き方は唾棄すべきものだった。
だけど今は違う。むしろ憧れる。かなり素直に。
なんだか今では、自分に手に入らないものになってしまったから。
今でもまだ間に合うんだろうけど、
そのためには多くの物事を犠牲にしなければ成り立たないものであることを知っているから。


どうして僕は今こういう人生を送っているのだろう?
これまでずっとそう思ってきた。これから先もずっとそう思い続けるのだろう。
その時々で大事な局面を意識的・無意識的に選択/決断してきて
そのこと自体には後悔はない。
自分が望む通りに歩んできたと思う。
10代後半や20代前半までは自分が選んだ、あるいは選びたいと思っている選択のことしか
視界には入ってこなくて、そのことしか考えていなかったけど、
30にもなると良くも悪くも多少は余裕が出てきて
その他の可能性、自分が選び取らなかった可能性についつい目が行ってしまう。


どうしてIT業界に入ったのだろう?
どうして映画を作るようになったのだろう?
どうして大学院に進んで文学の研究をしたのだろう?
どうしてロックミュージックにはまったのだろう?
どうして学生時代はあれだけ麻雀ができたのだろう?
どうして高校のとき、演劇部に入ったのだろう?
どうして僕は上京しようと思い立ったのだろう?
どうして僕は小説家になりたいのだろう?


どうして、どうして、どうして、
どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてと繰り返すうちに
「どうして」という言葉が単なる音の連なりになって
グルグル回っていくうちに「意味」というものをなさなくなる。
そして僕の頭の中を「どうして」という問いかけが無限に重なり合う。


平凡な生き方をしたら、自分という人間はきっと退屈してしまい、
そこから逃れたくなってしまうだろう。
それはわかっている。今の行き方の方が絶対合っている。
そうは思っていても・・・。