「ほぼほぼ」の定義

そのプロジェクトにて広く浸透し、
世間一般とは微妙に定義の異なってしまった言葉ってものがある。
IT業界だからどうこうってことではなくて、どこにでもある話。


例えば「ほぼほぼ」という言葉。
ここ2年ほどよく聞く。
プロジェクトにて自分とこの会社だけでなく、お客さんの間でも聞かれるようになり、
他のプロジェクトや部門でも使われるようになった。
「要件の詰めは『ほぼほぼ』終わりました」
「仕様の細かい内容は『ほぼほぼ』フィックスしました」
というような使われ方をする。


世間一般的にはこのような言い方をされた場合、
100%に近い状態で物事が進んでいる、と思われるかもしれない。
最初は僕らもそのようなニュアンスを込めていた。
というか感じ取っていた。


・・・が、システム開発に当たってこういう要件だの仕様ってのは
いとも簡単にお客さんに覆されるのがいたって当たり前のこと。
あるいは状況を仔細に把握できてなくて至るところに穴があるとか。
なので自分は詰めきったつもりでいても次の日にはチャラになるような状態や、
98%のつもりでいたのに他の人から見ると
「こんなのまだ30%ぐらいしか決まってないじゃないか」と指摘されることがままある。
こういうときに限ってなぜか人は
「要件の詰めは『ほぼほぼ』終わりました」
「仕様の細かい内容は『ほぼほぼ』フィックスしました」
という報告をして、周りの人に胡散臭がられることになる。
(まだ言葉に敏感な若者たちではなく、たいがいは無頓着なおじさんたちが使う)


つまりは、「ほぼほぼ」の意味とは
その人の中では物事の調整がいったん完了したつもりなんだけど他の人のレビューがまだ未であるため、
突っ込みどころ満載でほとんど何も決まっていない状態のことを指す。
自分としては今いっぱいいっぱいなのでこの程度でも許してよ、みたいな。
あるいは、自分はこれでいけてると思ってんだけどなあ、おかしいなあ、みたいな。


そういう裏の意味が定着すると、状況を皮肉るため、わざとその裏の意味で使うようになることもままある。
何も決まってなくて野放しの状態を指すために使ったり。
A「今度提出する設計書、オカムラ君担当の部分、書けた?」
B「まだ何も書いてないんですけど、書く内容、ほぼほぼまとまりました」
A「えー?おまえいつやるつもりなんだよ?間に合うのかよ、そんなんで」
みたいな話の流れとなる。
Aさんがこれを危機的状況として捉えるかどうかは
Bさんの表情の真剣さによると言っていいだろう。
Bさんが「いやー、まいったね」という困った笑顔を浮かべていたらまだ何も決まっていない。


「お客さんはほぼほぼ満足されてました」という報告をした場合、
そのお客さんはちっとも満足してなくて、儀礼的に上っ面でしか満足の意を表してなくて、
だけどこっちはやれるだけのことはやったというニュアンスが込められている。


とかく日本語は難しい。
「ほぼ」でいいものを「ほぼほぼ」と重ねることで曖昧さが漂いだすところから、
こんな使われ方をされるようになったのではないかと僕は推測する。


似てるような「立場」の言葉には「今々」というものがある。
こんなこと言ってるとき、たいがいはちっとも「今」じゃない。

    • -

前のプロジェクトのお客さんだけでなく、
今のプロジェクトのお客さんも「ほぼほぼ」を言い始めた。
業界的には何のつながりもない。
(この言葉、どれぐらい広まっているのだろうととても気になる)


昨日、打ち合わせに出たら最初にお客さんの口から出た言葉は、
「このプロジェクトにおける『ほぼほぼ』の定義を全体会議で決めました」
いきなり言われて僕らは面食らう。
「今度からは95%を『ほぼほぼ』と呼ぶことになりました」
苦笑する。
「人によって度合いが全然違うじゃないですか、99%だったり80%だったり。
 それじゃ進捗の度合いを測ることができないんで
 今後このプロジェクトでは95%を超えたら『ほぼほぼ』を使ってください」
さすが急成長のベンチャーである。頭が柔軟だ。
笑う以前に感心させられた。
ある意味、目からうろこが落ちた。
感覚的に使っている言葉をきちんと再定義することで、
各自の認識の違いから発生する漏れや零れ落ちるものを極力減らすわけである。


この話を自社に戻ってから後輩にしたところ、
「でもその95%の度合いってのも人それぞれですよね」と言われる。
「あ」と僕は思う。
なんか、かつがれたな・・・。

    • -

今のプロジェクトで使われてる逆の立場の言葉は「ざっくり」
さらに進んで「大ざっくり」


こういうような言葉、いろんな場所でたくさんありますよね。