「ヴェラ・ドレイク」


引き続き、「ヴェラ・ドレイク」
2本とも銀座だったので移動が楽。銀座は歩行者天国だった。


ライフ・イズ・ミラクル」もそれなりに混んでいたが、
「ヴェラ・ドレイク」はかなりの混雑ぶり。
これはロングランするのではないか。40代・50代の男女が多かった。


「秘密と嘘」で96年のカンヌでパルムドールを獲得したマイク・リーの最新作。
ヴェネチア国際映画祭で最高賞である金獅子賞と、主演女優賞。


1950年、イギリス。貧しい労働者階級の地区が舞台。
ヴェラ・ドレイクは身の回りの体の不自由な人たちの世話をするなど
心優しい人として周りからは思われたいたが、知られざる秘密があった。
それは妊娠して中絶費用を払えない若い娘に対して堕胎処理を行うこと。
当時のイギリスでは重い罪に当たる。
娘の結婚が決まり、アパートの小さな一室でのささやかなパーティーが開かれている最中、
警官たちがヴェラ・ドレイクを捕らえる。裁判が行われ、禁固刑が決まる。
そんなときにもヴェラの家族たちはヴェラのことを信じ、
慎ましい生活をそれまで通り続ける。


ヴェラ・ドレイクを演じたイメルダ・スタウントンが何よりもすごい。
幸薄くても日々の暮らしのささやかな出来事に安らぎと幸福を見出す、
ちっぽけな初老の女性を演じきって、
というかヴェラ・ドレイクその人になりきっていた。
その一挙一動、指の先一本一本に至るまで細やかな情感が込められている。
他の役者たちとのアンサンブルともなると
ピンと張り詰めた緊張感がビリビリと伝わってくる。
ここまで役者の演技の質の高い映画も珍しい。
マイク・リーの演出方法ってのが役者に脚本を渡さず即興劇で場面を作り出していく、
それを完璧なものとするために長い時間をかけて役作りを行っていく、
というタイプであるがゆえに可能なものなんだろうけど。


そんな演出スタイルを超えて、
ヴェラ・ドレイク=イメルダ・スタウントンの存在感はとんでもなかった。
後半の、問い詰められ、告白を迫られる緊迫した場面となると
顔のアップばかりになるんだけど、
たいして美人ではない50代近い女性のアップが
正視に耐えうる云々の底の浅いレベルの話では一切問題とならない。
見ている側がその表情の1つ1つと向き合い、
すっと素直に受け入れてしまうぐらいの強さがあった。
商業映画でこういう場面に出くわすことは、実はあんまりない。
(言うまでもないが、再三顔のアップが映るのは美男美女の特権だ)
貧しい人たちを助けるために自分にできることを
これまでずっと何十年にも渡って信じて続けてきた。
それが今法律に触れるとして逮捕され、尋問を受けている。
心の支えとなるものは、夫と息子と娘、その存在だけしかない。
その寄る辺なさ、様々な当惑と混乱と、
何か根源的なものに対して本能的に向けられた悲しさ。
それらが全て、声震わせて音にならなくなった声と表情と小さな体から伝わってくる。
この演技だけでも、イメルダ・スタウントン
「ヴェラ・ドレイク」は映画史に名前を残すと思う。
今年のアカデミー主演女優賞にノミネートされていた。
確かに「ミリオンダラー・ベイビー」のヒラリー・スワンクもすごかったが、
「ヴェラ・ドレイク」を見てしまうと断然イメルダ・スタウントンだ。
女優の魂というか、それを越えた何かの問題だ。


そもそも自分の母親の年代に近い女性が窮地に立つという映画は
もうそれだけで見てる側としては弱くなってしまう。
やられてしまう。
ただでさえ切ないのに、余計切なくなってしまう。


大人の映画。
何よりも演技や演出、脚本や照明といったトータルの完成度を味わうための映画。
地味で暗くて退屈という人も大勢いると思う。
それはまあ、仕方ないか。

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見終わった後、3人で飲みに行く。
クリス君が映画に出てきたギネスが飲みたいというので、そういう店を探す。
三丁目のガス灯通りにイメージに合う店があったので入っていく。
これから手がけたら当たりそうなIT関連のアイデアの話を熱くなって議論する。