赤い服、キティちゃん

これまで人生のどの時期にどこに住んでいたとしても、
必ず精神のバランスを崩した人たちがそこにはいて、街をフラフラと歩いていた。徘徊というやつ。
今、荻窪にも僕の知っているだけで3人、そういう人がいる。
そのうちの2人が女性。どこから手に入れるのかよくわからない奇抜な格好をして、
うわごとを言ったり言わなかったりしながら、歩いたり佇んでいたりする。
床屋で髪を切っていたらそのうちの1人、大柄な方が通りがかって、
床屋の店主は「あの人なんなんだろうね。いつも見かけるけど気持ち悪いね」と言った。
その街の片隅に居を構えて年がら年中その街の人を相手にしている床屋ですら知らないのだから、
彼女が何者でどこから来たのかは深い深い謎のベールに包まれたまま。
「彼女」はガラス越しに僕らをじっと見つめていた。
やがてまたふらっと歩き出した。


家族の人たちってのがいるんだろうな、と思う。
悲惨なことになってるんだろうな。
そして長い年月の果てにいろんなことを諦めきってしまったから、
外に出たり変な格好をしたり、好きにさせてるんだろうな。
(その家族の人たちも変人で、無頓着なのかもしれないが)
このことに思い至るとき、やるせない気持ちになる。ぞっとした気持ちにもなる。
彼女たちの姿を見かけるたびに、いたたまれない気持ちになる。
そして僕はもちろん、目をそらす。


もう一人の方は小柄。必ず赤い服を着て、
下にはパジャマのようなものを穿いていることもあれば赤いスカートを穿いていることもある。
左胸には煤けて汚れて灰色になったキティちゃんの頭部をつけている。これが怖い。
年齢は不詳。まだ20代なのかもしれないし、40代なのかもしれない。
あるときを境に成長が止まってしまった、という印象を受ける。
昨日会社を休んで、渋谷で映画でも見るかと10時ごろにアパートを出たら
近くの道路にじっと立っていた。
何かを見ていた。あるいは、待っていた。
見ないようにしようと思っても、つい見てしまう。
そして視線が合ってしまった。
首を折り曲げるぐらい強引に、緯線をそらした。
16時ごろ戻ってくる。
そしたら同じ場所にまだ立っていた。
何をするでもなく。ただ、立っていた。
僕は足早に通り過ぎる。


今日の朝午前6時。会社に行こうとアパートを出たら、彼女はまだ、立っていた。
昨日と同じ格好で。同じ場所に。雨が降っているというのに。
さすがに怖くなってきた。
そばを通り過ぎる誰もが彼女のことを「視界に入らない」ように扱い、
そのまま彼女は一晩中そこに立っていたのか。
僕が近づくと彼女はトコトコと歩き出した。
背中の毛が逆立つ。
も、も、も、もしかして、僕のことを待っていたのか?


・・・それで初めてわかったのだが、
彼女が立っていた場所の背後にある家に彼女は入っていった。
そこの家の娘だということだ。
鉄柵を開けて、鍵のかかっていないドアを開けて、彼女は中に入っていった。
そういうことだったのか。


それまでその家の前を毎日のように行き来していた。
だけど視界には入ってきても意識することは無かった。
どんな形をしていて、壁が何色に塗られているか、
今思い出そうとしても記憶が覚束ない。
でもその家の中には何かが閉じ込められていて、隠されている。
彼女はそこから飛び出して、抜け出して、外の世界に触れようとする。
僕らの住む世界に接点を持とうとする。
だけど彼女はその接点を持つ術を知らないから、僕らにはひどく奇妙に見える。


何をどうすることもできない。
彼女に対して、その状況に対して、
どのような感情を抱いたところで、不適切なものとなってしまう。


小学校の頃にもそういう人がいた。
初老の男性。
古ぼけた同じ服を夏も冬も着て、いつもニコニコとしていた。時々、自転車に乗っていた。
僕らの住んでいた町の最も大きな工場を経営している一家の親族であるとか、
家の金を持ち出して1万円札をばらまいたとか、
そういう噂を僕らはことあるごとにしていた。熱心に。一大事であるかのように。
放課後にどこかで遊んでいて見かけたとき、何人かは彼に対して石を投げていた。
石がぶつかっても、彼はニコニコとしたままでいて、
そして現れたときのようにフイッとどこかへと消えた。
今考えるに、ただ単にいわゆる認知症(痴呆症)の人だったのかもしれない。
その当時はそういう言葉が無かった。


もう20年近く前の話だ。
既に死んでしまっているのだろうと思う。
どんなふうに死んだのだろうか。
葬儀ではどういう扱いを受けたのだろうか。普通の人として扱われただろうか。
僕に関係の無い物事だ、と言ってしまえばそれまでだ。
故郷を思い出すとき、時々彼のことが思い浮かぶ。


今から30年後には、僕もああなっているのかもしれないのだ。