メキシコ(9/5)その13 ティオティワカン遺跡

農業地帯まで来るとほんと田舎。ようやくティオティワカン到着。
ティオティワカン」とはアステカ語で「神々の住む都」を意味する。
後に「ティオティワカン人」と呼ばれることになった先住民族は150年〜750年にかけて
人口20万の都市を築きあげたが、これが放棄される。
(その理由は、一部の人間が反乱を起こし、全ての富を独り占めにしようとして
 火をつけたことによるものだというが、
 この文字なし・絵文字のみの文明についてはまだまだ不明な物事が多い)
その後13世紀になってアステカ人がこの都市を発見し、替わりに住むようになる。
アステカ人は「太陽と月の神話」を信仰していて、
この古代遺跡に残された2つのピラミッドはそれぞれ
「太陽の神殿」「月の神殿」と呼ばれることになった。
ティオティワカン人たちが自ら、この遺跡のことをティオティワカンと呼んでいたわけではない。


まずは住居跡に入っていく。
壁はティオティワカン人によるオリジナルのものと、アステカ人が復元したものとに分かれる。
オリジナルは地味な赤茶けたような、赤紫のような滑らかな岩であるが、復元した方はカラフル。
石灰の白い地に紺に赤にオレンジの鮮やかな岩がはめ込まれている。
大きさはこぶし大から大人の頭ぐらいまで様々。
それらの岩の間には小さな濃い色の小石が模様を描くように隙間を埋めている。
オリジナルの方が外側で復元した方が内側という時間の順序を逆にしたような形状となっている。
(その理由は忘れてしまった・・・。壁を強化するためだったらしいが)
オリジナルの壁の赤い色は食用サボテンにくっつく虫コニチールの卵をつぶすことによって得られる。
卵からは赤・黄・緑の3色が取れるが、赤を利用する。
この赤をティオティワカン人は半年に1度塗り替えたのだという。
この塗料・顔料は敷石にも塗られ、よってツルツルとした肌触りを得られた。
ティオティワカンに住む人は裸足で生活し、他の地域に出かけるときのみ靴を履いた。
建物は「タルー・タブレロ」という手法で建造されている。
これは壁の上部を90度の垂直にし、下部を68度の斜めにして上部に差し込むというもの。
現代の建築学においても68度という角度は最も耐久性のあるものであるされているのだが、
それを古代のティオティワカンの人たちは知っていた。科学技術力の高さが伺える。
壁画が残っている個所があって、ジャガー神が描かれている。
上半身が人で下半身がジャガー。神ケツァルコアトルを描いたもの。
神はほら貝を持ち、祈りを捧げている。ほら貝からはひらがなの「し」ような線が延びていて、
これは当時のト音記号であるという。


ピラミッドの中へ。西暦150年、1番最初に作られた神殿。
緑色のワシが黄色いトウモロコシを前足に掴んでいる。豊作を祈っている。


そしてまた外に出て、神官の部屋へ。ここもまた床はツルツル。
神官たちは昼は太陽暦の観測を行い、夜は天文学の観測を行った。
そして異変がないかを探した。この部屋でティオティワカンとしての、全ての意思が決定される。
別名をケツァルコアトルの部屋とも言う。
柱に刻まれたケツァルコアトルは上半身が蛇で、下半身が蝶。
古代はこれらの柱は一本の岩で作られていたそうなのだが、全て反乱者により持ち去られた。
現在残っているのは復元であるが、岩を組み合わせて作られたもの。
埋められていた黒曜石も全て持ち去られた。


この部屋にいる間、鳥の鳴き声が聞こえた。
日本では聞いたことのない、澄んだ、鋭い鳴き声をしていた。


歴史の時間も終わり。
ここから先は自由行動となる。
月のピラミッド、死者の道を500mほど歩いて、太陽のピラミッド。
まずは手近にあった月のピラミッドに上ってみる。中には入れない。外側を上るだけ。
高さ42mで横は150m。太陽のピラミッドと比べて低い。
急な階段を上って行く。半端じゃなく急。
そもそもが2000mの高さにある場所だし、すぐ息が切れる。ハーハー言う。
上っているのはもちろん各国から来た観光客ばかり。
途中からその急な階段もなくなり、表面に突き出た岩を足がかりに上っていく。まるで登山。
サンダルで来たことを後悔する。
頂上へ。ま、実質は5分もかからず上れる。
風が気持ちいい。超気持ちいい。
まっすぐ「死者の道」が伸びていて、その先には太陽のピラミッド。
そして四方八方に広がるメキシコシティ郊外のパノラマ。
遺跡は森林や山岳地帯の中にあるのではなく、村?の中にあって割と開けている。
サバンナのように木々が点在していて、その向こうに山があって・・・。
それが360度広がっている。素晴らしい眺め。
素直に「来てよかった・・・」と思う。
頂上に埋まっている石に世界各地の観光客が白や黒のポスターカラーで名前を書いている。
僕も書きたくなった。
新婚旅行のカップルが上ってきたので、2人の写真を撮ってあげた。


下りていき、「死者の道」を歩いていく。
「死者の道」と言ってもただの砂利道。ティオティワカン遺跡を南北に貫く。
古代の人々は儀式の際にここを恭しく歩いたのだろう。


道々、小さな神殿跡に上れるので上ってみる。
学生と思しき日本人観光客の集団に日本語で話し掛けられる。
「ツアーの集合場所はどこですか?」
「違うツアー、違う旅行会社なのでわからないんですよ」と答えるしかなくて、
ごめんなさいと付け加える。


物売りがのんびりと近付いてくる。
麦わら帽子をかぶったおじさんたちがワラワラと近付いてくる。
鳥笛?とでも呼ぶべきものや工芸品。黄色のタオルに包まれていて、それが目印。
ロッコのときのように嫌でも買わせて買うまで離れない、ということはなく
無視しているとすぐにも離れていく。純朴なところがいい。


太陽のピラミッドへ。高さ65mで横幅225m、段数は248となる。
世界で3番目に大きなピラミッド。敷地面積では世界一。
京都では金閣寺銀閣寺になんだか似ていて、趣があるのは銀閣寺−月のピラミッド、
その存在そのものでとにかく圧倒するのは金閣寺−太陽のピラミッド。
大きいですね。側から見ても上ってみても。
日が出てきて暑くなる。
着ていた、というよりほとんどずっと手に持っていただけのネルシャツはガイドのNさんに預ける。
同じように急な階段を上っていく。ヒーヒーハーハー言いながら。
頂上へ。風が心なしか月のピラミッドよりも冷たい。もっと気持ちいい。
この頂上でビールを、あるいは百歩譲ってコーラを飲めたらなあ!!
空は抜けるような青く、くっきりとした白い雲が浮かんでいる。
他のツアーの日本人たちも上ってくる。白人たちも多数上ってくる。
足元に積み上げられた岩の数々。
古代の人たちはなんでこういうものを作ったんだろう、と素直に不思議に思った。
これだけの高さと広さを持つものを造るとして、どれだけの時間がかかったのだろう。
どれだけの人を必要としたのだろう。
タイムマシンがあったら、そのときの様子を見てみたい。
ここで行われた儀式を、見てみたい。
これだけ大きいものを造るってのはただ単に
当時の為政者の圧倒的な力を指し示すためだけの理由でなされたのだろうか?
遺跡は多くの物事を語っている。
その内部の絵文字であるとか、そもそもその存在であるとか。
しかし僕ら現代の人間が知りたがっている俗世間的なことは何一つとして教えてくれない。
遺跡自体が1つのメッセージであって、その解釈はそれぞれの人間に委ねられている。


時間の関係上、川を渡った先にあるケツァルコアトルの神殿までは行けず。
だけどちょっとだけ時間があったので土産物屋を覗く。
幅の広い道の両側に市場のように小さな店が並んでいるのであるが、
ほとんどがシャッターを下ろしている。土日は全て開くのかもしれない。
どれも同じようでいて、笛の店、帽子の店、置物の店、仮面の店、衣類の店と扱っているものが異なる。
端まで歩いていって清涼飲料水の店を見つける。コーラを買う。10ペソ。
2つのピラミッドを制覇した後、空は晴れていて日が出ているのに標高が高いためそんなに暑くはない、
そして風が冷たくて気持ちいい。こんな状況で飲むコーラは最高にうまかった。
こんなうまいコーラは久々だ。