メキシコ(9/6)その19 フリーダ・カーロ博物館

「General Anaya」という駅で降りる。
人の流れについていって出口を出る。出口には自動改札はなくて、警官が見張っていた。
「レオン・トロツキー博物館」を目指す。
地図を見ると駅から北に進んで「Rio Churubusuco」という大通りに出たら
ひたすら西へ進んでいけばいいようだ。
(今思い出したんで書いとくんだけど、メキシコシティの通りのいくつかは
 川の名前にちなんでつけられている。「Rio Misisipi」とか)
Rio Churubusuco」に入って、西へ西へテクテクと歩く。
かなりの距離を歩く。「地球の歩き方」の地図の縮尺に寄れば2kmはある。
途中、歩いててどこかの国の学生旅行っぽい集団と一緒になるも、彼女たちは途中で諦めたようだ。
僕も本当にこれで合っているのだろうかと不安になる。
メキシコシティの恐らく中流階級の集まっている地区を歩く。
ほとんど人は歩いていないが、なんとなくのどかな住宅地っぽい雰囲気。
ボンネットを開けて車の修理をしている人がいる。ブラブラと通りがかった警官が暇そうに話し掛ける。
大きな家か何らかの施設の前に警備員が立っているが、彼らもまた暇そうだ。
公園の脇を通り過ぎる。今日は歩いててあちこちで公園を見かけた。
いくつかは中に入ることができた。概してメキシコシティは緑が多いように感じられる。
ただし元からあったのではなくて、計画的に植えたような。
レフォルマ大通りも木々が街路樹のように植えられているが、これも人工的なものだろう。


10時過ぎ。とにかくまっすぐ歩いた末に「レオン・トロツキー博物館」に到着。
建物の周りにトロツキーの四角いペナント(というのか?)がはためいていてすぐわかった。
トロツキーが婦人と共に晩年を過ごした家。
ディエゴ・リベラの招きでメキシコを終の住処としたが、スターリンの命により暗殺される)
大学入ったときの第2外国語がロシア語。その後大学院でもロシア語。
なのでトロツキーとかロシア革命ってのはたぶんにミーハー的な意味で心の奥底で常に関心あり。
日陰の革命家全般に関して憧れすら抱いていると言ってもいい。
中に入る。入場料30ペソにカメラ持込でプラス10ペソ。
せっかく払ったのだからと写真を撮りまくる。
最初の部屋は晩年の写真やロシア革命を宣伝するポスターが飾られ、
晩年を中心とした生涯の解説がなされる(スペイン語の解説しかなかったので実際はわからず)。
手紙や日記のような遺品もガラスケースに収められている。
この部屋を抜けると、トロツキーの家。
その前にトロツキーの墓。婦人と一緒に埋葬されている。
細長い墓石には鎌とハンマーが刻まれ、ソ連の赤い国旗が掲げられている。


12時、13時にはビデオの上映もなされるようであるが、時間が合わない。
というか上映されててもスペイン語と思われるのでまず間違いなく見ない。
オープンカフェもしまっている。並んだ椅子やテーブルが寒々しい。
観客は僕1人だけ。最初から最後まで。


トロツキー晩年の家へ。
当時の雰囲気が感じ取れるようになっている。
孫の部屋、トロツキーの書斎、ダイニング、キッチン、浴室など。
非常に慎ましやか。赤と茶色と灰色が全ての基調にある。
このタイプライターをトロツキーは叩いて、同志たちにその思いを託したのだろうか。
この本を手にとってロシア革命の理論的側面についてその考えを新たにしたのだろうか。
メキシコの地図が寝室に飾られている。
ロシアではなく、メキシコという国がトロツキーにとっての現実となったのだろうか。
トロツキーの孫は何を思い、考えながら日々を暮らしていたのか。
トロツキーはただの優しいおじいさんだったのだろうか。
トロツキーはアイスピックで刺されて殺されたのだという。
この穏やかで、不吉な空気の渦巻く部屋の並ぶ中で、それはどこだったのか。


別室にはロシア革命に関する様々な写真とスペイン語の解説が掲示されている。
レーニンが熱狂的に演説する演台の脇でトロツキーが立っている、
有名な写真が引き伸ばされて小さな壁いっぱいに貼られている。


帰りに晩年のトロツキーの絵葉書を買った。15ペソ。
大学の文学部教授のような顔をしている。
しかしよく見るとその眼光は鋭い。


フリーダ・カーロ博物館はすぐ近く。通りの裏。
11時近くで、昨日食べたのは昼の14時頃が最後。
どこかで何かを食べようと思ったところに、「Restaurante」の文字が。
アットホームな外見と内装から庶民的な家庭料理を出すような店と見当をつける。
中を覗き込むと地元の人で1階はいっぱい。
中に入ってみる。今となってはどういう身振り手振りだったのか思い出せないが、
とにかく2階に上がって2人掛けの席に座る。
小太りなおばちゃんが2階の担当で、メニューを持ってくる。
「Enchiladas」エンチラーダスの単語が目に付く。これは知ってる。
トルティージャで鶏肉を挟んでサルサソースをかけたもの。60ペソ。
これにアメリカンコーヒー、15ペソ。
おばちゃんはスペイン語で僕に何かを熱心に質問する。
恐らくコーヒーは食前か食後かを聞いているのだと思うんだけど、
食前や食後を表す言い方がわからない。お互い肩を竦める感じ。
困っているとコーヒーが出てくる。
久しぶりにコーヒーを飲んで、うまいなあと思う。
生き返ったような心地。死んでたわけではないんだけど。


コーヒーもすぐ飲み終えて、チップはいくら払えばいいんだろうと数えたりする。
「旅の指さし手帳」で「おいしい」は何て言うんだろうと探してみる。
おばちゃんがグラスに入ったオレンジジュースを持ってきて何かを言う。
別料金だとやだなと思って「ノ」と断る。
そんなこんなで待っているうちに40代ぐらいの料理人が自ら皿を運んでくる。
エンチラーダと、パンと、サワークリーム。エンチラーダの付け合せには
豆を形がなくなるまで煮込んで固めたもの。
トルティージャをナイフで切ると中には細かく裂いた鶏肉が。サワークリームをつける。
おいしい。おいしくないわけがない。
ガツガツガツガツとどんどん食べる。無心になってすぐにも食べ終わる。
パンのお代りは?と聞かれてそれはさすがに断る。
アメリカンコーヒーの2杯目が出てくる。ゆっくり味わって飲む。
あー最高だ。


「旅の指さし手帳」で実際に指さして発音しながら、
「お勘定お願いします」(La cuenta, por favor.)と伝えると、
「ああ、初めてスペイン語で会話してくれた」とおばちゃんが満面の笑みを浮かべる。
しばらくしてトレイに伝票が乗っかってくる。60ペソ。飴も乗っている。
どうもアメリカンコーヒー、しかも2杯分は店の好意となったようだ。
(ただのランチセットかもしれないけど)
飴を舐めながら店を出て行く。
僕が「グッバイ」と言うと店の人みんながそれぞれ「グッバイ」と言う。
料理人のおじさんが「アミーゴ!」と言うので、僕も「アミーゴ!」と返す。


店を出て、「フリーダ・カーロ博物館」を探す。
またしても、この通りじゃない、1本向こうだ、いや違うというのを繰り返す。
さっきよりもかなり激しく。
ロンドン通りにあるようなのだが、パリ通りやベルリン通りやウィーン通りに出てしまう。
ヨーロッパの首都シリーズ(その後ブリュッセルマドリッドもあった)の範囲内にあれば
必ず見つかるはずと信じてグルグル回る。
結局グルグル回っていたその中心にあった。