メキシコ(9/6)その20 カルメン博物館/カリージョ・ヒル美術館

大通り沿い。客のいない靴磨き(たくさんいる)が暇そうにしていて、
キオスクでは売り子のおばさんたちがおしゃべりしている。
車がひっきりなしにクラクションを鳴らす。警官が笛を吹く。
そういう喧騒の中に修道院の跡が建っている。入場料は33ペソ。
受け付けに座っている男性と向かいの手荷物預かりのところに座っている女性がおしゃべりをしている。
敬虔な修道院跡、という印象はない。
警備の人たちもキリストの像の前でなにやら下世話そうなおしゃべりをしているし。
掃除のおばちゃんらしき人たちもいろんな部屋を出入りしている。
こういうところがメキシコ人はおおらかというか、なんというか。
美術品が並んでいる部屋があるんだけど、中国の陶器があったり
江戸時代の日本女性が描かれた絵が飾ってあってタイトルは「Geisha」だったり。
そんな中にグアダルーペ修道院聖母マリア像を描いた皿が無造作に置かれていたり。
エジプトっぽいものがあってみたりギリシアっぽいものがあってみたり。
なんかよくわからん。
ここの本来の見るべきものは
17世紀・18世紀の修道女たちの信仰していたあれこれってことになるんだろうけど
それだけじゃ観光客が呼べなくて迷走しているのか。
(だから中で働いている人もモチベーションが低い?)


カトリックの聖人たちの肖像画イエス・キリストの生誕を描いた絵など、
宗教画のあれこれがいくつもの部屋に渡って連なる。多大な価値のあるもののはず。
十字架に掛けられたイエスの像や聖母マリア像もある。
人が全くいなかったら、僕も魅入ったことだろう。だけどなんか落ち着かなくて見てられない。
ここで有名なのは地下の修道女のミイラ。12体ある。
なぜミイラとして残ったのか・残されたのかわからないが、皆苦痛に顔を歪めているように見える。
写真を撮ったんだけど、怖くなって消してしまった。


2階から中庭に面したポーチに出たとき、警官が立っていた。
僕が写真を撮ろうとすると、怒ったように「ノーフォトグラフ」と言われた。
僕は慌ててカメラをしまってポーチから出て行く。
2階の廊下を歩いていると警官が追いかけてきて、何かを言う。
カメラと写真のことについて言ってるのはなんとなくわかるが、よくわからない。
だけどその後の表情や身振りから、「見逃すから撮ってもいいぞ」ということだとわかる。
僕はありがたく撮らせてもらう。「グラーシアス!」と感謝しながら。


次に向かうのは「カリージョ・ヒル美術館」
これは同じ通りを北に向かっていくだけなのですぐ見つかる。15ペソ。
地球の歩き方」には
メキシコ壁画運動の3大巨匠オロスコ、リベラ、シケイロスの油彩画を多数収録した美術館。
 重労働の壁画制作の合間に描かれた作品にはそれぞれの個性が伝わってくる」とあるが、
行ってみたら見つかったのはオロスコだけ。しかも小さいのが2枚。
建物の真ん中が緩やかなスロープになっていて、
そのスロープを取り囲むように展示室が作られているというユニークな構造。
2階は改装中。3階はなぜか都築響一の写真展で、4階はメキシコの今現在の若手の作品が並んでいた。
1階のエントランスには巨大な壁画(?)「Space Station」と名付けられていて、これは見る価値がある。
作者はわからなかったが、「Space Station」という言葉について浮かんだ壮大なイメージを
抽象的に(ここがポイント)黒と白を中心に描いたもの。
下手な例えになっちゃうけど、「マクロス」の変形シーンを僕は思い出した。
それを様々な角度様々な瞬間から切り取ったと言うか。
メキシコと言えば壁画(なのだということが今回の旅行でわかった)。
新しい世代の芸術家たちも自らの時代に自らのテーマで壁画に立ち向かいたくなったということか。


そのメキシコ現代の絵画なのだが、全然好きになれないものばかりだった。
近代美術館で見たような民衆的かつグロテスク(マジックリアリズム的)な絵の
中途半端な、小手先だけの継承という感じに僕には感じられた。
ごちゃごちゃしていて、シュールで、悪趣味なだけ。
唯一これは、と思ったのは German Venegas という画家による
裸婦像を描いたキャンパスを壁いっぱいに連ねたもの。
無数の裸婦像というのではなく、いくつかのモチーフを何バージョンも描いていく。
細かく丹念に描いた基本形の横に、
筆を荒くしてデフォルメしてディゾルヴしたようなバリエーションを並べ、
その横はさらにぼかしたものを並べる、といった具合。
その意図がわかるかと言えばわからないが、なんだか面白い。
あと、百歩譲って「うーむ」と思わされたのは Jose Luis Sanchez Rull の
Napalm Death というか Extreme Noise Terror のジャケットのような絵(わかるひとはわかりますよね)。
他はとにかく奇抜なだけ。
床に直接、こぼれた液体とハンバーガーと彩色されたオレンジを蝋かなんかで作成したものがあったりする。


自分が日本人ってこともあるんだろうけど、都築響一の写真はとてもよかった。
まさかメキシコで写真展を見ることになろうとは思ってもみなかった。
写真展のタイトルは「HAPPY VICTIMS you are what you buy」
各作品のタイトルを並べてみると「Ana Sui」「Vivienne Westwood」「Zucca」「Gucci」「Missoni」
などなど、いわゆる、ブランド。
これらブランドの服や靴を買い漁って部屋がそれでいっぱいになった人の写真ってとこか。
それがスタイリッシュにカラフルに描かれる。
興味深いのはそういうブランドの製品をたくさん買った人が金持ちかというとそうではなくて、
その人の住む部屋は四畳半ぐらいの狭さで畳だったり、服はカーテンリールに吊り下げてたり、
ワンルームの壁に作り付けの白いエアコンがくっついていたりとかそういうものだということ。
東京に住む若者たちの十人十色な部屋を写真集にした「Tokyo Style」で話題になったとき、
「いいアイデアだな」と僕は思った。あくまで、アイデアの勝利。
でも、こうやって大きなサイズになった写真を眺めてみるとそこには確かに何かがある。
「すげえな、これ」と思わされた。
日本で大々的に個展が開かれることがあったらぜひ見に行きたい。
それにしてもメキシコで写真展が開催され客が入るってのはたいしたもんだ。
メキシコが親日的なのか、それとも純粋に海外で受け入れられているのか。
他には誰が、メキシコで個展を開いただろう?


フリーダ・カーロの家へ。これも近くにある。
途中、ノートがないことに気付く。無印良品のA6サイズのノート。
これをカーゴパンツの右太もものポケットに入れて、事あるごとにさっと取り出してメモを取っていた。
(昨日のティオティワカンでは盛んにそういうことしていて、ガイドのNさんが言うことを
 いちいちメモを取っていたから、変な人と思われただろうな)
慌てて引き返し、道々落ちてないか目を皿のようにして早足で歩く。
今、その瞬間においては命より大事(日記として全部PCに打ち込んでしまえばどうでもよくなるが)。
最後に書いたのはいつか?「カリージョ・ヒル美術館」だ。
頼む、あってくれ!と思いドアを開ける。
受け付けに座っていた女性が僕の姿を見るとさっとノートを机の中から取り上げて僕に向かって差し出す。
僕は大きな声で「Thank You! Gracias !!」とお礼を言う。