22日。映画部、10月の鑑賞会。
午前は渋谷のユーロスペースで「空中庭園」を見ることにした。
何よりも話題は「公開直前に覚せい剤でつかまった豊田利晃監督の作品」ということになるか。
角田光代の小説を映画化、小泉今日子4年ぶりの映画主演とかいったことよりも。
僕も正直そういうところが気になって見に行った。
もしかしたら幻の作品になってしまうのではないかと。
完全なお蔵入りとならずに、都内と言わず日本でも上映はここだけでひっそりと行われていて、
だとしたら機会のあるうちに見ておかなくては。
(でも今調べてみたら、都内だけじゃなく日本各地のミニシアターで上映されていることが分かった)
日本映画の秀作が残念な事件により、陽の目を見なくなる。
それはもったいないんじゃないかと。
「空中庭園」というタイトルがそもそも秀逸。
崩壊しつつもいつも通り役割を演じ続ける擬似家族というテーマも好き。
豊田利晃監督の映画はこれまで見たことがなかったが、前から気になってはいた。
なので今回の事件が無くてもタイミングが合えば見に行ったのではないか。
・・・が、実際見てみるとそれほど面白いものでもなく。僕にとっては。
もし今回の事件で公開規模が縮小されているのだとしたら、
事件が無かったところでこれぐらいの大きさが適切だったのではないか。
老若男女見たところで仕方がない。
描かれている内容とか役者の演技とか素材はいいのに、
「なんだこの演出は」と思わせる場面が結構あった。
現実と過去や幻が工作する場面が特にそう。
B級ホラー映画から手法をぱくってしかもうまく使いこなせてない、そんな感じがして興ざめ。
そういう実験的な撮り方・繋ぎ方をする豊田監督の姿勢が
功を奏している部分も確かにその一方ではあるんだけど。
美しい映像は随所に出てくるんだけどね。
さびれかけたニュータウンに聳え立つ観覧車が夕日を浴びて輝いている、だとか。
それにあのパーティーのシーンのとってつけたような小泉今日子を巡る関係性の破綻や、
血の雨の中を絶叫する箇所の「それまでにこういう演出をしたのでこの見せ場をやってます」的な
作為性のぎこちない露呈の仕方。ストーリーテリングがうまいでしょう?と言ってもらいたいかのような。
こういうのが全部表に出ることが無くて、
全ての場面がなんてことない日常生活の断片だけで淡々と描かれていたら、
そして裏に潜む緊迫感を漂わせることで様々な物事を暗示させるような演出をしていたら、
「すげえ!この映画」ってことになったように思う。
(最初の方、そんな路線で進むのかと僕は思いながら見ていた)
役者の演技はたいがいよかった。
大楠道代はいいね。この人がいたから引き締まったんだろうな。
それに小泉今日子。ソニンも。
しょうもない役をしっかり演じていた永作博美もうまいへたを超えて素晴らしい添え物に徹していた。
音楽もいい。ZAK が音楽監督で、dip のヤマジカズヒデが曲を書いていた。
ZAK が豊田監督の音楽を担当するのは今回が初めてではないようで、僕としてはノーマークだった。
UA の主題歌もフツウによかった。
それにしても、豊田利晃監督に次回作はあるのか。