技術と感性

新宿西口のヨドバシカメラで DVDのオーサリングソフトを買おうどうか迷った後、
月に一度 HMV で CD を大量に買う日ってことで南口の高島屋に向かって歩く。
その途中で取り留めのないことを考える。
取り留めなさ過ぎて形にならないイメージや言葉の群が浮かんでは消える中で、
ふとした瞬間にとある考えというか事実がくっきりとした像を結ぶ。
いきなり回路が繋がるような感覚。
何気ない風を装って交差点を渡りつつも、
「そうか!そうか!!」とビックリマークが頭の中の空に次々と打ちあがる。


たいしたことではない。僕以外にとっては。
こういうこと。
これまで全く次元の違うものだとして切り離していたものが、実はリンクしていた。


僕は表向きIT業界でSEとして働いているわけであるが、
「技術」とされるものには大変疎い。
Oracle のなんたらかんたらであるとか、
Webアプリケーションの開発環境のなんたらかんたらであるとか。
長いことこの業界でメシを食ってるのでたいがいのだいたいのことはわかる。
お客さんだろうとメーカーの技術者だろうと
相手の言わんとしていることは「雰囲気的」にわかる。
だけど深いところの知識、体系的な情報は何もない。
誰かが困っているときにその分野における技術的な助言ってできた試しがない。
(むしろ僕が困ることばかりでそれぞれその分野に詳しい人にその都度聞きに回ってる)
何も知らないわけではない。
経験則で知っていて「ここはこうした方がいい」という助言ならばいくらでもできる。
7年もやってるので何もないほうがおかしい。
そしてそれだけで全てをこなしている。こなしていけている。良くも悪くも。
技術に関する体系的な知識がなくてもプロジェクトはいかようにも進めていくことができる。
スケジュール管理とか、懸案管理とか、関係各所との調整とか。
(もちろん、客観的に見てこういうSEがいいわけないのはわかっている。
 裏づけがないから何事もその場しのぎとなる。明日の保証はない)


つまり、技術と呼べるものに興味なし。
これは「基礎体力」と言い換えてもいいかもしれない。それもない。
あるのは7年間に蓄積して、磨いていったなんらかの感性だけ。
それが全て。


これって「映画を撮る」ってことにおいても同じだった。
自分でカメラを回して監督するに当たって、
技術力を要する要素はことごとく排除していった。
より正確に言うと見向きもしなかった。
構図/アングルの決め方、照明の配置、
被写界深度といったもの、録音作法、挙げていったらきりがない。
ビデオカメラのピントを合わせたり、明るさを調節することすらしない。
理由はただ単にめんどくさいから。
最近のビデオカメラの性能がいいことに
ピントも露出もホワイトバランスもみんなオート。
手持ち。カメラにつけたマイクで同時録音。
暗いところから明るい場所に出て
ホワイトバランスがふらっと一瞬狂ってもおかまいなし。
背景に不要な音が入っても無頓着。手持ちでぶれてても全然気にせず。
基本的な技術力によってプラスになる物事にちっとも目がいかない。
大学の映画サークルでは近い年代では僕1人だけ、
8mmの露出計の使い方覚えられなかったもんな。


技術とか練習とか学習とか、そういうの全部無視して映画を作り続けて10年以上。
開き直ってそれを「スタイル」と呼んでみたりする。
プロになって商業映画を撮ってみたいわけでもないし。


で、結局のところその代わりにどこが伸びていくかといえばやはり
経験則に基づくある種の感性だったりする。
自分の作りたいと思うイメージを思い描く方法、
そしてそれをフリーフォームのカメラで撮る方法。
撮り方の制約の中で何を実現させるか、というのと
本来の詩的感受性を調整するバランス感覚。


それ以外だったら段取りとか仕切りの能力(抜群ではないが)。
全体的な状況を察知して、問題があったらそれをどうにかしようと動き出す能力。
目的とする地点があるのならそこに向かって最短距離をとろうとする本能。


僕の作る映画は技術的にイマイチな映像が多いが、
その分僕は確実に映画を完成させる。
無理のない撮影日程を組んでそれを着実に終わらせていく。
投げ出さず、絶対終わりに持っていく。
「壁にぶつかって投げ出してしまった」
「撮りたかったこととイメージが合わないんでやる気がなくなった」
なんてことは絶対言わない。


これって自分が映画でやってることと
会社での自分の仕事の仕方とが重なり合っている。
お互いがお互いに影響しあっている。
実は一緒だった。
1度気が付いてしまうとなんてことないが、自分の中では大きな発見だった。
まあ、周りの人にしてみれば「だから何?」って話ですが。


(映画と違って仕事の方は「モチベーション下がった」って言いまくって
 何ヶ月もウツウツイライラしてることがとんでもなく多いけど・・・)

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映画を撮ることと小説を書くこととどっちを取りますか?と聞かれたら
「小説を書くこと」と即答する。


なぜって、小説は「技術」ってものがなんなのかはっきりしてなくて、
感性だけでやってけるから。
映画はこの時代、技術がないのはさすがにつらい。
本当に映画がやりたくてそれを職業にしたいのなら
映像の専門学校に行って基本的なことを学ぶのは当たり前のことだ。
素人に潜り込む隙間はない。


でも小説ってそれがないんだよね。
小中高で作文の時間ってのがあっても作法として学ぶのは曖昧なことだし、
体系的な技術ってものはない。
カルチャーセンター以外に具体的に文章力を学習できる場所はほとんどないし。


これがまた映画のように、文章の専門学校ってのがあって
そこを卒業した人が作家になっていく世の中になったら
僕はたぶん小説家を志すことを諦めてしまうと思う。
でもまあ、何がどうあろうとそんな世の中にはならないのだろうと思っている。

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今日は自分というものを肯定したかったので、
こういう文章を書いた。