「ザ・ロイヤル・テネンバウムス」など

年末年始の休み4日間にしたことは
大掃除・箱根駅伝・小説を書く・DVDを見る、きっちりこの4つだけ。
あとは寝る・食べる・飲む・風呂に入るの繰り返し。


見た DVD 7本について、感想を。
クリス君から借りた3本(夏に借りてようやく見た)と、
冬のボーナスで買った4本と2回に分けて。


まずは前者、
「ザ・ロイヤル・テネンバウムス」「マイノリティー・リポート」「ファイト・クラブ
この3本。
はっきり言って、自分が買った4本よりもこの3本の方が見てて面白かった。
何事も明快で、メリハリはっきりしてて、年末年始にふさわしい。
自分が買ったものはゲージュツ的で暗いものばかり・・・。


本当は年末年始、大晦日や元旦に映画館で映画を見るつもりだった。
そういうのもオツかなと。
でも見てない DVD がたくさんあったのでまずはそれを片付るのが先だと思った。

    • -

「ザ・ロイヤル・テネンバウムス」


(実はこれだけ年末年始に見たものではなくて、その2・3週間前に見たもの)


先日、映画部の後輩から「ライフ・アクアティック」見ましたか?面白いですよ。
と言われて、「いやー、見てないわ」と答えた。
あれ見たかったんだけどな。
なんとなくタイミング合わなくて公開時に見に行かなかった。
今改めてこの「ザ・ロイヤル・テネンバウムス」を見て後悔した。
「ザ・ロイヤル・テネンバウムス」を見てたなら、
絶対ウェス・アンダーソン監督の次作「ライフ・アクアティック」は見に行ったと思う。
はー、残念だ。


このウェス・アンダーソンって監督は才能あると思う。
ポップで楽しくてヒットする映画を作る一方で、
ちゃんと自分なりのものの考え方や世界観がにじみ出ている。
両者が不可分の統一体になっている。
ポール・トーマス・アンダーソンの映画を思い出した。似てると思う。
全くもって独創的な脚本なんだけど、奇をてらい「すぎる」ようなところはなく、
ちゃんと「こちら側」から映画を作る。
一歩間違えばわけがわかんなくなるような独りよがりな芸術性は
無いか、あるいはしっかりと押さえつけてて、
「映画とは何よりも多くの人たちとのコミュニケーションである」という理念に徹する。
ってとこかな。


3人の「元」天才兄弟姉妹たちと
それを育てたんだか育ててないんだかとにかく奇っ怪なオヤジ、
その「失われた」家族の風景を取り戻すという設定がそもそも秀逸だと思う。

    • -

マイノリティ・リポート


普通に面白かった。
さすがスピルバーグ。これからは公開される作品全部映画館で見ようと心に決めた。
エンターテイメントであることをどこまでも突き詰めていくことで
他に並び立つもののない芸術性に至る、
そこにスピルバーグ本人の(これまでも隠し味的にまぶされてきた)芸術性が加わる。
現存する最高の映画作家の1人だ。少なくともアメリカという国では。
映画サークルの後輩たちに聞いた話では
ミュンヘン」はどうもすごいことになってるらしい。見に行かなくては。
(この後輩たちも浮世離れしたところがあるので
 どこまで真に受けるべきかってのがあるんだけど)


これ、ディックの原作からかなり飛躍してるね。
ディックの原作も今手元にないので正確に言えないんだけど、
30ページか50ページぐらいしかなかったはず。
単純なプロットがあるだけの短編。
予知能力者によって犯罪を防止する社会で、
その防止局に勤めている主人公が身に覚えない殺人犯として予知され、逃亡を企てる。
いや、ほんと原作というよりは原案。
それがここまでグレードアップするのか。
なんで「宇宙戦争」は同じように膨らませなかったのだろう。


未来社会を描写するに当たって、奇妙奇天烈なガジェット(小道具)が
全編に渡ってあれこれ出てきてそれを見てても面白い。こういう映画の楽しみ方の1つですよね。
それにしても思うのは、こういうガジェットの方向性を定めた
ブレードランナー」って映画はほんとたいしたもんだ。
どれだけテクノロジー(撮影技術上のテクノロジー、現実の生活におけるテクノロジー)が
発展したところで、どこまで行っても「ブレードランナー」の延長線上にあって
斬新な未来社会の描写ってもう何年・何十年も出ていないような気がする。
そんな画期的な未来のビジョンを描いたリドリー・スコットが近年は
ハンニバル」だの「キングダム・オブ・ヘブン」だの撮ってるのはいったいなんなのだろう?
退化してるのか?あれと「エイリアン」が突然変異だったのか?
(前にも書いたことだけど)いつも気になってる。
僕にとって映画の七不思議のひとつ。

    • -

ファイト・クラブ


はっきり言って今回見た中ではこれが一番面白かった。
何がどうなるのかよくわかんなくて、興味津々で見てたというか。
見終わったあと冷静に思い返してみるとものすごくどうでもいい話で、
ヒロインのヘレナ・ボナム・カーターの役どころも
はっきり言って「いらないんじゃないの?」ってなものなんだけど、
見てる間全然そういう疑問がわかない。
見終わった後もあえて口を差し挟む気にならない。
有無を言わさず襟首を掴んで見てる人をグイグイ引っ張っていって
それだけで十分「いいものを見た!」という気分にさせられる。


実はデヴィッド・フィンチャーってすごい監督なんじゃないか?
「エイリアン3」でなんじゃこりゃって思って
「セブン」ブラッド・ピットモーガン・フリーマン
あと何気に重要な役で出演してたケヴィン・スペイシーにばかり目がいっていて
その真価がわからなかった。
ファイト・クラブ」の次の「パニック・ルーム」ってのはよくわかんないんだけど、
その後何年も撮ってないってのは気になるな。どうしてんだろ。
(調べてみたらソダーバーグ監督の「フル・フロンタル」に「出演」しているらしい)


あと、ブラッド・ピットの出てる映画って不思議と見ててハズレがない。
(これまた前にも書いたことなんだけど、少なくとも僕が見た限りでは、)
どれ見てもブラピが浮いてて、他の人はきっちり役を演じてるのに
ブラピは奇人変人を演じてるブラピでしかない。
そこにばかり目がいってしまって
どうにも映画そのものの出来をどうこう語る気持ちにさせなくするようだ。
ブラピをけなしているのではない。むしろ好き。
でも「今回はどんなふうに映画をぶち壊してんだろうなー」って見方を
どうしてもしてしまう。心の奥底のどこかで、こっそりと。
意外と器用な役者ではあるんだけどな。体の動きとか。