ゲルハルト・リヒター回顧展 ④

見てて心奪われるのはやはりフォト・ペインティングにより製作された絵画。
「蝋燭」もその中の1枚。
初めて現実の作品を見て、「なんだこれは!?」と笑い出したくなった。
リヒターの一連の作品を写真で見ると全体的に細部がぼけている。
ピントがずれているかのように。
これって、そのままピントがずれているかのように描かれているものなんですね。
写真をひたすら大写しにして
それを模写しているのだからピントがずれるのも当たり前か。
近付いて眺めると細部をぼかすように緻密な筆遣いで描かれているのがわかる。
でもそれだと全体像が掴めないし、その細部の位置づけもよくわからないので
次はかなり離れた場所に立って眺めてみる。
1つの絵を鑑賞するのに何度も何度も前後の位置を移動するってのは
これまでなかった経験。
そしてもちろん、どんなに離れて立っても、絵はぼんやりとした光景のまま。
でもそんなふうにして描かれる雲や草原の風景、日常生活のひとコマは
普遍的に美しい。
構図、描かれるテーマとその背景の組み合わせとその形象、色彩の美しさ。


この手法により描かれた別な代表作、
「ベティ」と「1977年10月18日」が見れたら、もう言うことなかったな。
「ベティ」は現代アートが好きな人ならどこかで写真を見たことがあると思う。
http://www.athens.co.jp/sp/0510_richter/ 参照)
白地に赤の花模様の服を着て、ブロンドの髪を結った「ベティ」が
体はこちらを向いてはいるものの、捩じらせて背後を見つめているので
その顔が、その表情がどうなっているのかわからない。
「ベティ」はそのとき何を見つめ、何を思っていたのだろう?
「後ろを向いている女性の絵」でしかないのに、
あれこれ気になって想像を掻き立てる。
これは背景が何もない黒だというのもひとつのポイントなんだろうな。
素晴らしい絵だ。


「1977年・・・」はこの日起こった
「バーダー・マインホフ」事件の一連の記録として描かれたもの。
テロリストの死体、生前の姿、活動の拠点となった部屋、広場に集まった人々。
同じコマを描いた作品が並んでいても、それぞれにおいて
「ピントの合い方」が少しずつ異なっている。
画集の中の写真で見ていても背筋が寒くなるのを感じる。
記録/記録すべきもの、記憶/記憶すべきもの
そこに立ち向かうときの冷徹な姿勢というか眼差し。
実物をいつか見てみたい。
ピカソの「ゲルニカ」と並んで、僕にとっては
その作品を見ることを第一の目的としてその国を訪れたいと思わせる、永遠の憧れだ。


記憶と記録って書いたけど、僕が感じた印象として、
リヒターの描きたいことの中心は常にそこにあるのではないかと思った。
記憶というものはいかにして意識の表象に上がってくるのか、
というのがフォト・ペインティングにより描かれた作品。
http://www.dic.co.jp/museum/exhibition/richter/
  ここの「モーターボート」や「バラ」を参照)
記憶であるからこそ、当人にとっては鮮明に感じられていても細部はぼやけている。
夢の続きのようなものとなっている。
その一方で抽象的な絵画の方は
それを実際にストアしている頭脳の中を断片的に捉えたものなのではないか。
(同じく、「アブストラクト・ペインティング」を参照)
切り刻まれたイメージの不安定で不定形な群れ。
人間にとっての「意味」というものを剥ぎ取られている。
リヒターの絵は何か重要なことを示唆しているように僕には感じられてならない。
ものすごく明確なコンセプトを有している。
なのにそれをうまく言葉では言い表せない。
でもその作品を前にすると、直感的に伝わってくる。


あと面白かったのはガラスを素材にした一連のシリーズ。
単純に大きなだけの鏡に始まり、
ガラスに自ら銀色を塗ってみたものもあれば、深紅で塗られた鏡もあり。
そこに見つめている自分の姿が映る。
作品を通して、奇妙なフィルターをかけられた自分の姿を目にするわけだ。
その意味は何か?この現象や行為の意味は何か?と問われると
やはりこれもまた言葉では難しい。
1つ言えることは、これらの鏡が提示しているものはなんらかの答えではなくて、
あくまで「問いかけ」なのだということ。


リヒターじゃないけど、マーク・ロスコの部屋ってのがあって、
薄暗い照明の部屋の壁一面に、マーク・ロスコの巨大な絵が飾られていた。
例の赤、紫、オレンジ、茶色、黒で四角形を描くというやつのバリエーション。
マーク・ロスコだけで一部屋。
こんなに並んでると無言で押し寄せてくるようでちょっと気味が悪い。
とはいえこれはこれで絵画的な体験。

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美術館の外に出ると大きな池があって、取り囲むように散策路が続いていた。
せっかくだからとバスの時間を遅らせて一渡り歩いてみることにした。
広い原っぱやテニスコートがあって、その向こうに林。
林の中を歩く。夕暮に差し掛かった光が木々の間から差し込んでくる。
リヒターの絵画を見た後だったからというのもあるんだろうけど、
風景がやけに優しく、美しく感じられた。
自然の中を歩くことに安らぎを見出す。
冬ですらこれだけ感銘深いのだから、
新緑の季節や紅葉の季節ともなるともっと美しい場所となるのだろう。


ここはとても良質な美術館だ。
遠くて大変なんだけど、次に何か面白い企画がなされたときはまた来てみたいと思った。

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帰りのバスはほぼ満席。
美術館にいざ入ってみると閑散どころか、多くの美術ファンで賑わっていた。
みんな遠くても来るものなんだね。