静止画像

夜眠っているときに見る夢を夢足らしめているものは
その流れ行く変化の有様なのだと思う。
常に様々な断片が現れては消えていく。
様々な背景、様々な人物、様々な小道具。
どうしてこうも、と思うぐらい目まぐるしく落ち着きなく変わっていく。


人は眠っている間の全ての時間で、夢を見ているわけではない。
しかもREM睡眠の全てでもない。
僕が聞いた話では、夢というものは目覚める瞬間になって形作られるのだという。
REM睡眠の間にうごめいていた潜在意識の動きが、
目覚める瞬間になって人間の日常生活にとって理解しやすいように組み立て直される?
そんなところだろうか。
(だから人は目覚まし時計の鳴る前後数秒の間に途方もなく長い時間を扱った夢を見る)


こんなことを思った。
もし夢というものが移ろいやすいものではなく、
人によっては固定したものであったならば。
夜、眠っている間、静止画像だけがその脳裏に浮かび上がっている。
変化は訪れない。
これは地獄ではないだろうか?
夢を見ている永遠に近い間の時間、一つの光景の前から逃げ出せないのである。
目を閉じてもその映像だけが広がっている。


しかもそれが見る当人にとっては意味を成す写真のようなものであったり、
毎晩その光景ががらっと変わるというようなものならまだ多少いい。
もしそれが幾何学的に意味のない図形であったり、
毎晩毎晩全く同じ映像を見続けるのなら。
そしてそこに固定した「音」まで加わるなら。
恐らく発狂するだろう。


REM睡眠時に発生した不定形なイメージの断片を
目覚める瞬間に再構成するにあたってのプロセス。
もしもここに障害が発生したら。
そう、途中で中断してしまったら、見る側には静止画像が続いているように思えるだろう。
あるいは別の障害で、音と映像が際限なくループするとか。
これはこれで別種の地獄だ。
その人は夢の中に陥って、二度と目が覚めないように思う。


色のない夢を見る人、音のない夢を見る人。
現実世界で文字通り悪夢のような体験を送って、それを夢の中で再現する人。
夢を全く見ない人。
様々な形態があって、どれもこれもデリケートな物事のように思える。


夢というものは興味深い。
僕の場合、年々関心が深まっていく。