空間という概念の進化について、メモ

WEB2.0 について最近あれこれ考える。
周りの人たちもちらほらと考えている。
でも僕は基本的に技術に疎いので、全然別な方向性でモノを考えることになる。


以下、最近思っていること。例によって取り止めもなく。
素人が考えたことのなのでとっちらかってます。
むずかしいです。すいません。


「空間という概念の進化について」


石器時代近辺】
・今、ここという概念しかない。
(そもそも概念というものがないか。感覚と言い換えた方がいいかな)


・空間を時間に結びつけるという発想が、原始的なものでしかない。
 例)*寒くなると、○○にて××が獲れるようになる。
   *狩の最中に死んだものを原始的な墓に埋葬し、
    その位置を記憶して定期的に訪れる。



【文明が生まれる】
・文字や絵文字と、それを書き残す媒体(メディア)が発達したことで、
 どこの国(地域)に何があるかという情報が書き記されるようになる。
 ただしそれは元々が口伝えであるため、嘘や幻や勘違いなど多々含まれ、
 情報としての精度は低い。
 しかし、ここではないどこか遠くについて人々は思いをめぐらすようになる。



【文明が発展する】
・この「世界」というものを図にして記録するための「地図」が生まれる。
 しかも村の見取り図というレベルのものではなく、
 まさしく、この世界を知りうる限り包括的に記述するものとして。


・想像に基づく「物語」が語られるようになる。
 それまで人から人へ、親から子へ語られていたことって
 あくまで「史実」「事実として伝えられてきたもの」だったのではないか?
(すいません、この辺精神発達史的な経緯よくわからず)
 それが歴史上のある段階から、想像力によって生み出されるものにも
 市民権が与えられるようになったのではないか?


→ 架空の世界の地図が描かれ、物語が語られるようになる。
  それは全てが虚構の「天上の世界」かもしれないし、
  誰も足を踏み入れたことのない地域について想像をめぐらして
  地図を補完するというものかもしれない。
 (時代は異なるが、マルコ・ポーロなりコロンブスのような人が
  今のアジアについて記述された文献を読んだときのことを思い起こすとよい)


→ 想像力により虚構を生み出すことと
 「世界」とが必ず結びつかなくてはならない理由はない。


 歴史上のある段階からこの「世界」は認識の対象となり、
 その全体像を把握し記述することが当時の西洋人や中国人にとっての課題となる。
 その一環として「地図」というツールが生まれたわけだ。



【さらに文明が発展する】
・人々はさらに遠くを旅するようになる。航海術の発展など。
 地図の空白が埋められていく。


・測量術も発展する。情報は「正確さ」を求められるようになる。
 恐らく、情報の価値が「物珍しさ」から「正確さ」に
 取って代わった転換点がどこかにあるはずだ。


・今で言うところの「文学」の誕生。
 「記述」という行為がフィクションとして成立するようになる。
 現実の合わせ鏡ではなく、
 あくまでこれは物語なのだという共通認識の上で読み込まれる書物。
 (恐らく、文字として記すものは真実や出来事でなくてもいいんだ、
  という発想の転換も歴史上のどこかであったはず)


・天動説から地動説へ。
 そして、この世界は「地球」という天体の表面なのだという発見。
 象や亀の上に乗っかっているだとか、
 平面が続いてて世界の端で海水が滝のように流れ落ちるというものでもない。
 天体観測の技術は文明の端緒より発展し続け、
 *太陽系における地球の位置、
 *銀河系における太陽系の位置 というものを計測できるようになる


→ この世界とされていたもののサイズを知る。
  地図上の空白が残り少なくなってくる。
  ただ単に誰も訪れたことのない箇所でしかなくなる。想像力の入り込む余地はない。
  南極や北極の一番乗りを文明国家が目指すようになる。


→ この世界は無限の広がりを持つのではなく、
  広大ではあるが有限なのだということを人類は知る。
  有限というか、計測により導き出される点の集合として
  どの場所も絶対的に / 相対的に表せるものだということに気付く。



【近代から現代へ】


・世界地図が完成する。
 そこに地勢図以上のものを人は求めるようになる。
 そこに何かを見出せないか考えるようになる。


・地図の普及が始まる。もはや一握りの特権階級のものではない。
 印刷 / 複製技術の発展と共に、庶民が手に入れることも可能となる。
 

 人それぞれ、手にした地図に知りえたことを書き込むようになる。
 この地域はこの果物がこれだけ獲れるとか。人によってその内容が異なる。


→ 地図と、自分の知っていることとを関連付けて考えるようになる。
  人々はそれを交換し合う。



(このペースで続けていくとキリがないのでかなり話を先に進めてはしょります)


・地図そのものではなく
 地図化(平たく言うとマッピング?)という行為の方が重要となってくる。
 具体的な地点だけではなく、あらゆる出来事に対して。
 その具象に対してどのように意味や価値を持たせるか、
 そしてそれが他の具象と接したときに
 どのようなプロセスを経てその意味や価値が変化するか。
 いかに情報の重み付けを行うか。


 Aという視点からの重み付けにより描かれた地図と
 Bという視点からの重み付けにより描かれた地図とがあって、
 地形図としては全く一緒であるが、
 塗られる色や概念としての境界線が異なるようになる。
 例)アメリカのとある州の地図があって、
   *Aは各地域ごとの共和党民主党の支持者の数を表している
   *Bは各地域ごとの世代(あるいは人種構成や年収)といったものを表している
 AとBのそれぞれが情報として存在していて、
 それらを重ね合わせることでさらに別な情報が生み出される。


→ つまり、「情報」というものが事実の積み重ねた足し算であった時期が終わって、
  掛け算をすることでさらに価値のある情報となる時期へ。
  連鎖が連鎖を生んで情報は爆発的に増え続ける。
 (もしかしたらそれを処理するためにコンピューターというものが生まれたのかもしれない。
  コンピューターが情報量を増やしたのではなく)


→ 現実的な「地点」がどうこう、
  という事実だけを語っているだけでは足りなくなってくる。
  いつ誰がその「地点」に関して何を言っているか、というのを
  何を語るにあたっても考慮に入れる必要が出てくる。
  何事も文脈 / コンテキストの網に絡め取られて、ってやつ。
  我々は個人として目の前の状況に関してマッピングを続け、
  個人の寄り集まって形成される社会ってヤツの中でも
  その社会の価値観に基づいてマッピングを続ける。


・どの地点 / 場所も常に「情報」というものがまとわりついている。
 いつかそれは具体的な地点 / 場所を不要とし、
 「それに関する情報」だけが一人歩きするようになる。


・情報は具体的な事象について語るもの、であったのが
 その具体的な事象とやがて等価となり、いつの日か逆転現象が生じる。
 現実の世界は情報の総体にとってのオルタナティブでしかなくなる。
(例えば、この世界に存在する全てのデータ量が、
 この世界を百科全書的に余すところなく記述したデータ量を
 上回る日が既に来ているのかもしれない)


→ 話をさらにはしょって、WEB2.0ってのは、この
 「現実の世界は情報の総体にとってのオルタナティブでしかなくなる」
  そんなSFの中で語られていたような未来社会の入口のように
  僕には思えた、と。


→ 虚構の世界は紙の上に記された想像力によって形作られるのではなく、
  実際のデジタルなデータとしてどんどん増殖していくのである。
  インターネットの向こう側の世界に構築されて、
  その世界のほうが現実の世界よりも広がりを持つようになる。
  なぜならばそれは理論上は無限となるからである。
  (ゲーデル的に、実は有限なのかもしれないが)


  そこでは地図は常に書き直されていく。
  この世界に関する記述が絶えず更新されていく。
  世界は常に変容し続け、具体的な形を失っていく。