「サラエボ旅行案内 史上初の戦場都市ガイド」

Gazz ! のレビューで取り上げてた人がいたので、
サラエボ旅行案内 史上初の戦場都市ガイド」という本を amazon で取り寄せて読んでみた。
日本での発売は94年。当時話題になったのを覚えているが、買わずじまいに終わった。
もちろん現在は入手不可。中古で倍の値段がついていた。


これまで住んでいた街が突如戦場になる。
それまで仲良く暮らしていた人たちが政治や宗教で対立して、殺しあう。


舞台は92年から始まった内戦で荒廃したサラエボ
(94年の NATO による空爆まで、戦闘状態にあった)


ミシュラン風のガイドブックという体裁を取りながらも、実際は
閉じ込められてそこで生き抜いていかざるを得なかった人たちの貴重な記録。
ここまで的確に、簡潔に、「当時の状況」というものを瞬間パックした作品はないのでは。
寓話的でありながら、何もかもがリアルだ。
(戦火の中での日常生活の1コマを切り取った無数の写真もリアルだ。
 路上に残る血痕、炎上する車両、破壊された建物、ベンチに佇む老人、笑いあう子供たち)


例えばこんな項目がある。
「市内郵便:
 サラエボは分断されているので、手紙が別の地区に住む人々に着くには、
 国外郵便と同様の経路をたどることになる。
 分断された地区から別の地区へと手紙が届くのに45日以上かかることもある。
 伝達手段は赤十字だけという地区もある。
 そんなときはわずか数百メートルの距離を行くために、
 手紙はジュネーブまで飛ぶのである」


この本が何よりも素晴らしいのは
「平和への祈り」だとか「明日への希望」というのが
素直に、そこはかとなく折りこめられていて、
しかもそれがユーモアという手段でなされているところである。


池澤夏樹氏が解説の一部で以下のような指摘をしている。
「3日間の砲撃は悲劇だが、1年を超える砲撃は日常であり、時として喜劇に転化する」


そう、戦火のさなかにありながらも人々の「日常」の暮らしは続いていた。
食料や生活物資に乏しく、電気も止められ、水の入手すらもままならない。
そんな中でも知恵を絞り、人々は
「映像をつくり、本を書き、新聞を発行し、ラジオ番組をつくり、
 カードをデザインし、展覧会や公演を催し、街の再建のための青写真を描き、
 新しい銀行を見つけ、ファッションショーを企画し、
 写真を撮り、祝日を祝い、生活の体裁を保って」いた。
池澤夏樹氏の解説ではなく、本文より抜粋)


死と隣り合わせの、窮乏の中ただただ生き延びるためだけの悲惨な生活ではなく、
そこにはこれまで通りの生活を続けたい、取り戻したい、再建したい、
そんな人間として当たり前の希望があった。
それを支えたのがユーモアだった。
そこのところまでを描けている、記録として残している、
というのはものすごいことだし、とにかく、素晴らしいことである。


今から5年ぐらい前かな、やはりサラエボの内戦にて
ボスニアセルビアの中間地帯に取り残されたそれぞれの軍の兵士たちの
悲喜劇を描いて話題となった映画「ノーマンズ・ランド」
これも強烈なぐらいのユーモアに満ち溢れていた。
明るいからっとしたユーモア、どす黒いブラックユーモア。
これら渾然一体となって
平和とは何か、民族の対立とは何か、人はなぜ生きるのか、殺しあうのか、
一生懸命になって問いかけていた。
この映画のことを、思い出した。


僕らの住んでいる国が交戦状態、あるいは内戦状態となって
それが日常の生活として入り込んできたとき、
僕らはユーモアを保てるだろうか?
周りの人たちと、悲惨な状況をくだらない冗談で笑い飛ばせるだろうか?


笑い飛ばせなくなったときが、全ての終わりなんだろうな。
集団の中の人間として、1人の人間として。


最後にもう1項目引用します。
「動物園:
 動物園はピオニルスカ・ドリナにあるが、閉園している。
 この動物園で生きているのは2頭のポニーと数羽のクジャクだけ。
 ほかの動物たちは、すぐ近くの前線にいる勇敢な狙撃兵たちの標的にされた。
 残った動物たちも飢えと渇きのために徐々に死んでいった。
 飼育係は怖くて動物のそばに行けなかったという。
 サル、ラマ、ラクダ、トラ、オオカミ、ライオン −−− みんな死んだ。
 11月3日最後の1頭が逝った。クマだった。
 その無垢な死は世界中に報道された」