オハイオ旅行を振り返る

早いもんで、オハイオ旅行から一ヶ月近く経過。
遠い昔の出来事のようだ。
つうか別の世界の出来事っていうか。
その後怒涛の忙しさで仕事してたし。


今回の旅行のよかったところはやはりこの2つ。
①友人たちと出かける旅行ってのが初めてだった
②ツアーでは見ることのできない、普通のアメリカが垣間見れた


友達と一緒だと、いやー、楽でいいわ。
例えば、空港でうろうろしていても
終始「なんとかなる」「聞いてみっか」ってお気楽なムード。
一人旅だとどうしてもあれこれ不安になって落ち着かないんだよなー。


というかそれ以前に
そのとき思ったことを日本語でポンポン会話できるって、いい。
きれいな景色を見たとか、面白いものをみつけたとか、これうまいね!とか。
普通そういうのが旅行の楽しいところだよな。
今回も「すげー」「でけー」「うめー」の連発。
かなりプリミティブな感想ばっかり。
そしてそこからしょうもない冗談につながっていく・・・
ずっとそんなだったなぁ。


という中で見たアメリカ。
中西部、といってもかなり東の方。
ロスからもニューヨークからも遠い、普通のアメリカ。
郊外の住宅地、ハイウェイとドライブスルーばかりのアメリカ。
ファーストフードとチェーンのレストランとどでかいスーパー。
これが全土に広がっていて、
タコベルだとか K-Mart だとかどの州に入っても同じ店ばかり。
恐るべき画一化。少なくとも外見、店構えはどこも一緒なのだろう。
どこまで行っても、マック、マック、マック。西海岸から東海岸まで。
ボブは「シンシナティもマイアミも風景は変わんない」と言っていた。


旅日記にも書いたけど、それぐらいの圧倒的な力がなければ
チェーン店としての存在感を確立してのし上がっていけないんだろうな。
州ごとの様々な差異(気候かもしれないし、気質や嗜好かもしれない)
をいったん全て飲み込んで目立たなくしてしまう。
たった1つの強固な意志に全てを集約する。
それが「ブランド」の力ってもんだ。
初めて皮膚感覚で分かった。
日本だとあくまで製品に対するブランドという関係性に思える。
あるいはその製品を集めた店に対する、ブランド。
アメリカだともっと大きなものでくくっている。
まず存在感があって、そこから製品が生まれてくる。
日本だと逆かな。個々の製品のイメージの積み重ねがブランドになっている。
とにかく、ブランドの「意思」を感じたわけですよ。
日本のような「イメージ戦略」みたいなヤワなものではなく。


なんかそういうののせめぎあいというか
微妙なパワーバランスの上に日常生活というものが成り立っている。
大勢の人たちがそのブランドを確固たるものに保つために日夜黙々と働き、
そのブランドを消費するためにお金を使っている。
一見安定しているように見えて、意外と不安定かもしれなくて、
それをスパッと描いて見せたのが
ボウリング・フォー・コロンバイン」だったりするのかもしれない。
そう、僕はかつてのマイケル・ムーア
「ロジャー・アンド・ミー」で描いていたような素のアメリカを垣間見ることができた。
貧困層に足を踏み入れたわけでもないし、たった3日で何が見れる?ってもあるけど、
これはとてもいい経験になった。


海外から来た観光客が東京や京都といった、
観光地としての心構えがあって体裁が整っていて
いつでもプレゼン可能な土地を訪れるのではなく、
青森や盛岡を訪れるようなもんだよな。
観光スポットはあるものの、
ふらりと訪れた異邦人の受け入れに当たって都市としての総意はあやふや、みたいな。
東京を見ただけではやっぱ日本は語れなくて、
そのまま車に乗って熊谷だったり木更津まで行かなくては見えてこない日本もあるわけですよ。
そしてそっちの方が圧倒的大多数なわけですよ。
アメリカだって、そう。


もっともっと見てみたくなったし、
少なくとも3ヶ月ぐらいどっか滞在して
さらに深くて細かくて微妙なものを見聞きしてみたくなった。
日々の生活を肌で感じてみたい。


あと、英会話学校通いたくなった。毎度のことですが。
帰国して成田空港からの京成線乗ってると、NOVAの広告が貼ってるんですね。
あれってうまいよなーと思った。
なんかもうその足で入学の申し込みをしに行きたくなってしまう・・・

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なお、最近知ったのだが、Air Force Museum を見に行ったオハイオ州デイトンは
80年代より長らく活動してきて数年前に惜しくも解散した
Guided by Voices の出身地なんですね。