小説を書くという行為

1月から書き始めた小説が難航している。かなり難航している。
前作「海辺の記憶」の比じゃない。
前のは内容的に、書きながら考えるってことができたけど、今回はそうは行かない。
考えて方針を決めてから書き進めていかないと途中「だめだ、違う」ということになる。
書いては消して、1歩進んでは2歩下がっての繰り返し。
難易度が高い。というか、書いていくうちにどんどん難易度が高くなっていった。
単純に「こういうストーリーがあってそれを書きました」ってだけじゃすまなくなってきた。
小説というものを形作る様々なレイヤーのそれぞれについて
隅々まで神経が行き届いていて、かつテンションの高いまま、結びついていくというか。
うまく言えない。


とにかく、これまで直線的・平面的だった文章を立体的にしなきゃいけないと感じた。
立体的とはつまり僕らが日々暮らしている世界に直結していて、
非常にリアルなものだということ。
それをあるがまま描きたい。この世界を動かしているルールについても描きつつ。
こんなことできるのだろうか?
・・・やらなきゃいけない。
ここで今できないのなら、小説家になることは諦めた方がいい。
凡百の「小説家志望」の人たちと一緒のままだ。
今の僕の文章は、深みと奥行きに欠けている。
このままだと作者の頭の中で形作られた文章の域を出ない。
何かもっと大きなものがあって、それは1つの世界であって、
それは現実の世界と虚構の世界とが複雑なレベルで絡まりあったものだ。
それが描けるようにならないといけない。


一言で言うと読者への確固たる「世界観の提示」そこに尽きる。
それができないのなら単なる言葉遊びに過ぎない。
今の僕は言葉遊びだけで小説を書いている。
今書いている小説はその世界観というやつを構築できずにふにゃふにゃしたまま書き始めて、
書いていくうちに構築できるかなと思っていたけど、それは甘かった。
「違う、なんか違う、とにかく違う」の繰り返し。
どうにかこうにか形にはなってきたけど、それでもまだまだ薄っぺらい。


その世界の中を僕が生きている、ぐらいのリアルなものにしなきゃいけない。
僕がそこで見たもの、漂っていた匂い、出会った人々との会話。
その体験を1つ1つ掛け替えのない言葉で綴っていく。
キチガイじみている。
果たして、こんなことできるのだろうか?


少なくともこれだけは言える。
作者がリアルに感じてないものを、読者がリアルに感じることはないだろう。
そして僕が「違う」と思ったものを人に読ませるわけにはいかない。
ここでいうリアルとはもちろん「現実に即している」という意味ではなく、
一部の隙もなく臨場感に満ち溢れているということである。


今の僕にできることは、それが完全にリアルなものではないにせよ、
1つ1つピースを拾い上げて組み上げていって
なんとかその近似値に近づいていくというただそれだけである。


天才ならば、文学に限らず映画だろうと音楽だろうと絵画や演劇だろうと
その作品の世界観というものが先にあって、自らそれに語らせる。
残念ながら、僕にはその才能はないようだ。


だけど、続けるより他なくて、そこにどこまで近づけるかというのが
恐らく僕にとって永遠の課題となるのだろう。


その裏に何かとてつもなく大きなものが広がっていることを感じさせる、
すぐそこに潜んでいていることを予感させる、
そしてその断片の息遣いの1つ1つが手に取るように分かる、
そういう小説が書けるようになりたい。
優れた長編や短編はみな、そういうものじゃないですか。