人にやさしく

以前、新しい環境に飛び込むことに不安を感じている友人と
やり取りしていたときのこと。


自分はただ頑張れって言ってほしいだけなのに、
どうしてオカムラ君は素直に「頑張れ」って言ってくれないのか?
ってことで話がこじれてしまった。
ただ一言言ってくれるだけで元気になることだってあるのに、
どうしてそういうちょっとした気遣い・優しさがないのか。


僕としての理屈はこういうこと:
頑張る人は、人に言われなくても頑張るし、頑張ってる。
僕がそういう状態のときに「頑張れ」って言われると余計なお世話っぽくて腹が立つ。
逆に精神的にへばっていて頑張れないときは何を言われようが頑張れない。
なので「頑張れ」と言われることは非常に嫌。「わかってないなあ」って感じで。
一番言われたくない言葉なのかもしれない。
その裏返しで、人にも言いたくない。
当たり障りのない発言を求められているときに当たり障りのないことを言おうとして
「ま、頑張ってください」って言うときぐらい。
(あと、会社で「頑張れ」って言われると「結果出せ」みたいで嫌なんだよな・・・)


その後友人と話し続けて「そうか」と思ったのだが、
世の中には例えば「頑張れ!」という発言と
その裏に込められた優しさに勇気付けられる人もいれば、
僕みたいに「そういう気分の話じゃなくて、
具体的にどうしたらいいかはっきり言ってくれよ」という人もいる。
どっちが多いのかよくわからない。
だけど、普通に考えて前者の方が多いのではないか。
そして僕はこれまで「世の中そういうもんだ」
という可能性について全然考えずに、日々生きてきた。
いや、わかってはいたつもりだ。だけどピンときていなかった。
だから僕は「冷たい」「優しくない」「ドライ」と言われることがこれまでに何度もあった。
ようやくわかった。


相手の優しさを受け取るのが下手で、それを返すのが下手。
つうか、相手の優しさを感じ取れないような無感覚な人間ではない。そこは違う。
相手の優しさを受け取ったことを「表現する」のが下手なのだ。
無表情なまま「あ、そ、ありがと」だけで何事も済ませていたり。
もうちょっと笑ってみるか。
でもそれって、思うのは簡単だけど、果たして実践は出来るのか。
今の僕にはものすごくハードルが高い物事のように思える・・・


最初は「ありがとう」って思ったとしても次の瞬間、
「割と当たり前のことされただけだよなー」って考え出して
めんどくさくなって口に出さなかったり。言い方がぞんざいだったり。
ちゃんと口に出して相手に伝えなきゃいけないよな、と思った。
好意を受け取ったその瞬間に。素直に。
せめてそこから。

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「頑張れ」と言われるのは嫌だとして、
じゃあ何を言われても嫌なのかというとそうでもない。
「大丈夫だよ」とか「なんとかなるよ」ってのは言われてほっとする。
なので僕もそういうことは周りに言ってるつもりだ。
顔つきがドライなまま言ってるんだろうけど。


歌を聞いててもそうだなあ。
「Baby, it's alright」って歌詞に出てくるのはたいがい好きだったりする。
今とっさには思い出せないけど、U2「Achtung Baby」の中の曲だったり、
Talking Heads の「Road To Nowhere」だったり。


夜1人で聞いていて、ほんの少し気分が軽くなることがある。


その内容がなんであれ、他人に対して言葉を投げかけるということは
やはり大事なことなのだ。