「THE BEATLES IN TOKYO 1966 浅井愼平・写真展」

昨日の昼、客先での打ち合わせの合間に数寄屋橋ソニービルで行われている
THE BEATLES IN TOKYO 1966 浅井浅井愼平・写真展」を見に行った。
ソニービルの正面入口前は今、大きくこの写真展のデコレーションがなされ、
「Yellow Submarine」なんかが流されている。
(不思議と、僕が通りがかるたびに「Yellow Submarine」のように感じられる)


http://www.sonybuilding.jp/campaign/thebeatles/
http://ascii24.com/news/i/topi/article/2006/06/26/663088-000.html


浅井慎平って言えば僕からしてみれば
往年のクイズ番組「ヒントでピント」の男性軍キャプテンの印象が強く、
「確かどうも写真家らしいんだけど」ぐらいの印象しかなかった。
入口でもらったパンフレットには次のように書いてある。
「来日時日本側唯一の公式カメラマンとして
 当時新人フォトグラファーであった浅井愼平
 ビートルズに密着し撮り続けた100時間の奇跡は、
 その後の写真スタイルを一変させるほど大きな意味を持つものでした」


ってことでスゴイ人なんだなあ。
ものすごくうらやましい経歴。
僕ならその余韻に浸って残りの生涯を送ってしまうかもしれない。


今から40年前の1966年。
真夜中、羽田空港に到着した専用機から降り立つビートルズ。JALのハッピを着ている。
東京ヒルトンの「真珠の間」で行われた記者会見。
(そのときのコメントのいくつかが掲載されている)
ホテルに閉じ込められてつまらなそうにしている、フラストレーションを持て余す4人。
おかめのお面をかぶったポール、
ひょっとこのお面をかぶったジョン(リンゴかジョージかも知れない)
三味線を弾こうとするリンゴ、笛を吹くポール。
ジョンが暇つぶしに書いた絵など。(今なら高い値がついてだろう)
もちろん6月30日と7月1日の武道館での公演も。
そうか、ちょうど40年前の今の時期、
ビートルズは日本で演奏をしていたのだなあと感慨深いものを思う。


平日の昼ってこともあって、50代・60代のおばさんばかりだった。
当時、熱狂的なファンだったんだろうな。

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これまでに何度か書いてきたことだけど、
僕は中学高校とビートルズにどっぷり首まで浸かった生活だったので
大学進学で上京して以後はパッタリと聞かなくなった。
他にも面白いロックはいくらでもある。
そこにはたくさんの扉があって次から次に開いていった。
今もまた開き続けている。
まだまだビートルズに戻ることはなさそうだ。
最後に自ら聞いたのは「Let It Be Naked」が発売されて聞いたときかな。
「Naked」も結局1回しか聞いてない。


何が懐かしいかって、ビートルズそのものじゃなくて、
ビートルズに熱中していた、
ビートルズがアイドルだった頃の自分のこと。
青森の片田舎で。手に入るものを片っ端から読んで。
借りられる音源は借りて。万引きまでしてCDを集めて。
だけどその頃にはビートルズはとっくの昔に過去のものとなっていて、
ジョン・レノンは死んでしまっていた。


ああ、これが40年前の世界か。
その頃僕はまだ生まれてもいなかった。
なのに妙に懐かしかった。
当時全速力で走り続けて、
本人たちも気がつかない間に世界を変えてしまった4人の、若々しい姿。