ポチが行く

今日は61回目の終戦記念日
小泉首相は午前10時前に公式参拝を行う。
5年前に掲げた「公約通り」なのだそうな。
僕はニュースを熱心に見ている方ではないので記憶が間違っていたら申し訳ないが、
以前、靖国問題に関して中国から非難された際に小泉首相は「心の問題」と片付けている。
つまりは一個人の姿勢のあり方に全ては帰着するということなのだろうか。
ならばそれを一個人が実現するのはさほど難しいことではない。
その程度のことを「公約を守った」とするのは僕としてはなんかピンと来ない。
中国や韓国からの直接的・間接的な非難をものともせず、
そうは言っても首相として一個人としてあれこれ世人の思いの寄らぬところであれこれ悩み、
結果として、断固たる決意を元に信念を貫いた、ということなのだろうか。


そもそも公約ってのは「誰かのために何かをする」ための宣言ではないだろうか?
今回の靖国神社公式参拝小泉首相以外のいったい誰のためになるものなのだろうか?
奉られている人たちのため?
61回目の終戦記念日を迎える日本国民のため?
それとも、小泉首相と意見を同じくする人たちのため?


これが、一方ではブッシュ大統領と共に
エルビス・プレスリーの家でサングラスしてはしゃいでいるのだから、
なおさらピンと来ない。
ま、いいんだけどさ。本人がやりたかったことなんだから。
ブッシュ大統領小泉首相のことを「ポチ」と呼ぶのは本当なのだろうか)


この2つの訪問は彼の中でどれほどの重みを持つものなのだろう?
同列の出来事なのだろうか?

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これが、「将来のアジア外交を見据え、靖国神社参拝を取りやめることにしました」
としおらしく発言していたとしたら。
「国民の皆様の声に耳を傾け、総意ではないにせよ、
 一部にそのような声があることを重く受け止め、取りやめることにしました」とか。
なんてのが出てきたりしたら。
それはそれで「なんだかな」という気分になる。
いっそのこと、貫くのなら貫いてくれ。
いいよもう、この人は。こういう人なんだから。


郵政民営化も、当時の雰囲気からし
ごく一部の人以外にはトッププライオリティではなかったのに
改革だのなんだの言って強引に最優先で進めちゃったしな。
他にやるべきことはいくらでもあったと思うのに。
有限実行はいいことなのだが、やっぱ僕はいまだに腑に落ちない。
なんつうか結局は全てがこの人の自己満足だったというか。

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この人がこれだけ長続きしたのは、
90年代と比べて政治そのものが盛り上がらなかったからだよね。
公私共にいろんな話題を提供して、常に自分自身に注意をひきつけて、
マスコミをうまくコントロールした。小泉劇場ってやつか。


10年後、100年後の人たちはこの時代をどのように評するのだろう?