最近知り合った人が詩を書いていて、
その人の詩をどう思うか、感想を教えてほしいと頼まれた。
「いいっすよ」とすぐにも引き受けたものの、ハタと困る。
よくよく考えると僕は詩というものを、語れるほど知ってるわけではない。
今回はただただ思ったことを素直に感想として伝えればそれでいいんだろうけど、
僕だって昔はあれこれ詩を書いていた。
「そもそも、詩ってなんだ??」と考え始めてしまった。
この土日もことあるごとに悩んだ。
寝ながら、ハンカチにアイロンかけながら、
家でビール飲みながら、バーでウオッカ飲みながら、
高校野球見ながら、電車に揺られながら、ふとした拍子に思い出して、考えてみた。
で、結果として「やっぱ、ようわからんわ」ってことに落ち着いた。とほほ。
先日も先輩と話していて、
「オカムラ君、なんかいい詩人か詩集知らない?」って聞かれて返答に困ってしまった。
翻訳ものに手を出したこともあるが、どこがどういいのかさっぱりわからない。
20世紀初頭のアメリカ人であったり、19世紀末のイギリス人であったり。
一応は手を出してみた。
でも、元々が難解なのかなんなのか日本語の限界なのかちっともわからなかった。
翻訳で読んでも「こりゃすげえ」と思ったのは唯一、ランボーだけ。
日本人の詩人も読まないしなあ。
今思い出して「あれはよかった」とすぐ浮かぶのは萩原朔太郎ぐらいか。
洋邦問わず「歌詞」はよく読んでて、好きなものは多いけどね。
小説の良し悪しはだいたいのところわかる。
短歌や俳句もなんとなくわかる。短くて、鮮烈だから。
しかし、詩は、・・・なんというか、非常に難しい。
何をもってして「詩」なのか、「詩」と呼ばれるのか。
いまだによくわからない。
例えば中世のイギリスを代表する形式にソネットがあって、
なんていう教科書的なことはいくらでも世の中に転がっている。
だけど、「詩」を「詩」足らしめる魂のようなものをどう定義すべきか?
文学における永遠の課題であるように思う。
以下のようなことを僕はまず考えてみた。
「現代詩手帖」とかそういう雑誌を読んでるわけではないので
論点がかなりずれてるかもしれないけど。
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詩を語るにはいろんな切り口があるはずで、
僕が思うに例えばこういう分け方がある。
①メッセージ性を重視するもの。
つまり、書き手が読み手に対して働きかけを行うもの。
具体的な行為へと至らしめることを目的とするものもあれば、
ささやかな心の交流を求めるものもある。
具体的な誰かを想定した愛を囁く詩もあれば、
不特定多数に向けた自らの孤独に対する SOS のような詩もあるだろう。
人を励ましたいとかハッピーな気持ちにさせたい、
という類の詩は世の中にピンからキリまで転がっている。
そこにあるものは主として、コミュニケーションのための言葉である。
突き詰めると、魂の叫びである。
行為としての「詩」
②言葉を素材にした表出・表現を重視するもの。
メッセージ性のないもの、
というかその大小や有無が全然視野に入っていないもの。
「いや、結局は言葉は多かれ少なかれコミュニケーションのツールである」
と言われたらそれはまあ、もっともだ。
だとしたらそれは、書き手が自分自身に対して向けた言葉、としてもいい。
読み手がそれをどう受け止めても構わない。
これらの詩は絵画や彫刻がたまたま言葉の連なりという形を取ったに過ぎない。
それゆえに、言葉遊びに過ぎないかもしれない。
イメージ、調整、リズム。そういったものが描き出す、なんらかの世界観。
描写としての「詩」
どっちがいいも悪いも無くて、その人の好みの問題でしかない。
僕はどっちかというと②の詩を書いていた。
というか、①の詩を書いてみようという気持ちになったことはこれまで1度も無かった。
言葉による言葉のための実験。それ以上でもそれ以下でもなかった。
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うーん。あれこれ話が広がりそうなんだけど、
とりとめなくなりそうなので今日はこれまで。
詩とは何か、という以前に「言葉とは何か?」
ってとこまで考えが広がった。
(大学院まで行って考えてたことって僕、そういうのだったんですよ)
もしかしたら、続く。