下世話な手段

荻窪駅北口、青梅街道沿いの商店街。
銀だこが閉店すると跡地に携帯電話の店ができた。
これが土日ともなると朝から晩まで爆音で音楽を鳴らしている。
(店の入り口の上にはわざわざスピーカーが設置されている)
オレンジレンジとかケツメイシみたいなやつとか、
トランスっていうの?詳しくは分からないけどそういうやつ。
ものすごくうるさくて、通り掛かるたびに正直、不快に感じる。
非常識じゃないか?
高校を出たか出ないかの若い女の子のバイトの店員が何人かいて
行き交う人相手に大声張り上げていて、それはそれでうるさい。
こういうところではとてもじゃないが買う気がしない。
でも、若い人たちはこういう店構えに惹かれるのだろう。
意味もなく拒否反応を示したくなって、
「ああ僕も年寄りになったもんだ」と思う。


荻窪駅周辺にはこの手の同じような携帯電話の店が何軒も何軒もあって、
でかでかと「新規¥0」などとアピールしている。
よく商売が成り立ってんなあ・・・と感心する。
10年前のPHS全盛時代から相も変わらず
キャリアからの報奨金制度が幅を利かしてて、
それだけで十分やってけんだろうな。


キャリアとメーカーは新しい機種、新しいサービス、新しいデザインの開発、
日本全国どこにいても途切れないといったようなインフラ面の整備など
日々奮闘が続いている。
日本の最先端技術の粋の表れ、その1つが携帯と言っても誰も異存はないだろう。
(今年の春、新書ばかり読んでいた頃に
 光文社新書の「ドコモと au」というのを読んでとても勉強になった)


しかしその一方で、販売/普及という面では非常に下世話なばら撒かれ方をしている。
この落差は非常に大きい。冷静になって考えてみるに、なんだかとても変。
いろいろな物事がよじれている。そしてそれを誰もが普通に受け入れていてしまっている。
どうしてこういう構造になってしまったのか?


・・・まあ、はっきり言って今の僕にはわからない。
どこをどう調べたらどういう答えが導き出されるのか、見当もつかない。


1つ言えるのは、最先端の技術が下々に行き渡るには下世話な手段が必要だということだ。
とにもかくにも相手は人間なのだから。


例えばSFの世界にてよく見かけるテーマとして、
高度に発展した整形外科手術により
自由自在に肉体の改変ができるようになった未来社会において、
その技術は結局のところ性的な欲望のゆがんだ充足のために用いられる。
ありえない場所に皮膚があり、さらにその裂け目があるというようなやつだ。


そこまでいかなくても例えば、(前にも書いたような気がするけど)
80年代のVHSの普及にあたって決定的だったのは
売店側がこっそり、購入した客にアダルトビデオを配ったという
今となってはほんとなのか都市伝説なのか真偽のほどの分からない
裏のキャンペーンが功を奏したわけで。
インターネットもそうだよね。
学術的な利用という当初の高邁な理想そっちのけで
全世界の人々はアダルトなコンテンツの蒐集に走った。
少なくとも男性たちは。


そういう「下世話な手段」の最たるものが戦争となるのかもしれない。
テクノロジーは軍事目的と結びついたとき
最も発展するというセオリーが自明のものとして世の中にまかり通っている。
たぶん、正しいのだと思う。
人間的な生々しい欲望が触媒となることで、
象牙の塔の中で育まれた純粋理論は現実的な活路を見出す。
そこから先、全ては市場の経済にゆだねられる。
兵器だろうと、携帯だろうと。
経済的価値。根源的な欲望。


話を広げすぎた。


それにしても気になるのは Vodafone の行方。
どんなふうに巻き返すのだろう?
機能ではなく、奇抜な「サービス」で世の中をあっと言わせそうに思うのだが。
例えばこういうニュース。
http://www.nikkei.co.jp/news/sangyo/20060820AT1D1809N19082006.html


果たして孫正義はどんな未来が見えていて、どんな仕掛けをしてくるのか?