心の鳴らし方

あなたの心は、鳴らすと、どんな音がするだろうか?
誰かと額を触れ合ったとき、誰かがあなたの心臓に耳を押し当てたとき、
どんな音が伝わってくるだろうか?


「サラサラ」だろうか?「ポコポコ」だろうか?
北極圏の夜空でオーロラが織り成す、衣擦れの音だろうか?
子供の頃に母親が歌って聞かせた、子守唄だろうか?
川のせせらぎ、真夜中の冷蔵庫が発するノイズ、様々な人々の積み重なった声。
レーザーの音、工場の音、水族館の音。
遠くで何かがかすかに聞こえてくるだけの、柔らかな静けさ。


普段普通に生活しているだけでは、決して聞こえてはこない。
発することもできない。
だけどふとした弾みに名もなき音が誰かと共鳴し合うことがある。
そのとき「何かが聞こえた」と思う。
それがなんなのか、どこから聞こえてきたのか、不思議に思う。
だけど目の前には、笑いあった、言葉や視線を交わした、
「誰か」がいるだけである。


僕には僕の音が聞こえない。
僕の心がどういう音を鳴らしているのか、聞こえたことはない。
たぶんこれからもずっと、わからないままなのだろう。
「聞こえた」という誰かを探して、教えてもらうしかない。

    • -

都会では、日々、様々な音が重なり合っている。
雑踏の音や交通機関の音だけではなくて、
人が人と出会うことによる喜びや悲しみや痛みが
声なき声として無数に飛び交っているはずだ。


彼女は自らの声を無くしていた。
心の中ではもう何も動かなくなっていて、
1人きり、小さな部屋の中で、うずくまっていた。
初めて過ごす都会の夏、果てしない声の網に絡め取られて
いつしか自分というものを見失っていた。
包み込んだ音、襲い掛かった音、彼女の心の中に消えない傷を残した。


彼は大声で叫んでいた。
身をよじり、派手に打ち鳴らし、思いつく限りのメロディを歌った。
真夜中を駆け抜けて、朝、どこか見知らぬ場所で死んだように眠った。
人々は彼の存在を「聞く」ことができた。
彼の体を貫いた歓喜を、震えるような寂しさを。


僕はそれらの「声」を聞いたように思った。
彼女や彼の声を。
すれ違いざまに、突き刺さるように聞こえた。
僕はそのまま通り過ぎた。
交差点を渡って駅に着くと、改札をくぐって階段を上った。
ホームに出て電車が来るのを待った。
そこには様々な人がいた。
ある人は独り言をつぶやき、ある人は沈黙を貫いていた。
僕は僕の声がを聞こうとした。


ホームに電車が入ってきた。
ドアが開いて、人々が乗り込んでいった。
僕もその後に続いた。