キャンドルランド

僕は常日頃「世界の終わり」「世界の果て」などと言ってますが。
そんな僕が最近考えている長編小説。


主人公である「僕」は世界の果てを目指して旅に出る。
「北」へと向かう。
今の生活に虚しさを感じた、意味を感じられなくなったとか、そういう理由で。
途中、様々な都市や町や村を通過する。そこで様々な人々と出会う。
もちろん、世界の果てに近づけば近づくほど、
人々の住む地域は規模が小さくなっていく。寂れていく。
また、物語の最初の頃の都市は現代の現実的な場所であるのに対し、
物語が進むにつれて、訪れる町や村の帯びる雰囲気はどんどん寓話的になっていく。


やがて「僕」は「最果ての町」へとたどりつく。
ここより先、人は住んでいないことになっている。
そこには海辺があって、動物園があって、謎めいた研究所があって、
農場があって、学校があって、高い塔があって、エトセトラ。
僕はしばらくの間滞在することに決める。
なのに、ほんの少しだけのつもりだったのが、
僕はそこに自分の居場所を見出し、定住してしまう。
なにしろその町の人口の半分は僕と同じような、
「その先へと進むことができなかった」旅人が居ついてしまったものなのだから。
似たもの同士。それが居心地のよさを生むこともあれば、
時としてやり場のない嫌悪感を生むこともある。
僕は仕事を見つけ、恋人と共に暮らし始め、やがて家を建てる。
凡庸ではあるが、それなりに喜怒哀楽のある生活を送る。
そこで過ごす日々はあっという間に過ぎ去っていく。
1年が2年になり、5年が10年になる。


時々、僕は1日かけて町の外れへと遠出して、境界線の前まで行く。
その向こうには雪原が広がっている。見渡す限り、何もない。
地平線の彼方を越えた人間は死んでしまったのか、
楽園を見出したのか、二度と戻ってくることはない。誰一人として。


「僕」は変わり果ててしまった。
その先へと足を踏み入れる勇気を失ってしまった。
時としてその境界線を越えてしまいたいという衝動に駆られる。
だけどどうしてもそれはできない。
吹雪の中を僕は立ち尽くす。
僕は「世界の果て」を心の中に思い描く。


最果ての町での毎日は同じことの繰り返しとなり、また僕は虚しさを感じ始める。
僕はある朝旅支度をして住み慣れた家を出ると、町の外れへと向かう。
僕はそれで何度目かの境界線の前に立つ。
僕は世界の果てへと歩き始めるのだろうか、それとも・・・

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書けそうだ。結末も、たった今思いついた。
今書いている小説は行き詰っているけど、これは最後までスムーズに進められるだろう。


だけどこういう地味で暗い小説って、他の人は読みたがるだろうか?


一介の素人は「商品性」ってやつを考えるべきなのだろうか?
それとも自分の書きたいことを追求すべきなのだろうか?
難しい。本当に難しい。いつだってジレンマだ。
こういうの書いてもまず間違いなく新人賞は取れない。
31歳男性ならば特に。
13歳の女の子が書いたのならば評価されるんだろうけど。

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いや、書くべきだ。書こう。