写真立て

僕の部屋の中には装飾品の類が全くない。
額に飾ったポスターや写真など。
あるいは世界各地で買った民芸品。木彫りの人形とか。
本とCDが多すぎて、気の利いた飾る場所がないってのと、
それら本とCDを買うのにお金を使い過ぎるために
他の物を買う余裕がないってのが理由。
別に装飾品の類が嫌いなのではない。
LPのジャケットとか飾りたいんだけどね。
でも、スペースというスペースに
CDラックを積み重ねているためにどうにもならない。
はぁぁ・・・


昨年末、大学の先輩の結婚式と披露宴に出たとき、
引き出物の中に小さな写真立てが入っていた。葉書サイズ。
(それにしてもなんで、引き出物の中に写真立てが多いのだろう?
 2人の写真を入れて飾れってことなのだろうか?
 僕の場合、自分の写真や両親の写真すら飾ってないというのに)


いつもなら、せっかくもらっても捨ててしまうのだが、
この先輩から受けた恩は限りないのでなんとか使うことにした。
テレビの上に積んでいたCDの山をどこか別の場所に移して、
そこに置くことにした。


置くのはいいけど、中に入れるものがない。
そもそも写真が手元にない。
ここ何年か人から現像した写真をもらった記憶がない。
デジカメで撮った写真って画像データしか持ってないし。
自分が撮ったのも、友人が撮ったのも。


どうしたもんかと思案しているうちに
一時期集めていた映画のポストカードがいいのではないかってことを思いつく。
でもそこからが大変で、じゃあ一枚だけ選ぶとなると
あれこれ手にとって「あーでもない」「こーでもない」と1人で悩みだす。
「2001年宇宙の旅」か?「タクシー・ドライバー」のデニーロか?
1枚じゃ決めきれない。だめだ。もっと写真立てが必要だ・・・
という結論になりかけて、冷静になってなんか本末転倒だってことに気付く。
あほか、オレ。


ちょうどそのとき、フェデリコ・フェリーニ監督の「道」のポストカードが
全く同じの2枚持ってるのを見つける。
ジュリエッタ・マシーナ扮する、薄幸のジェルソミーナが
ピエロに扮して木に登って笑っているところ。
「あ、これでいいのではないか?」と即決。
一枚はコレクションを綴じているバインダーへ。
一枚は額の中へ。


そんなわけで、毎日毎日朝起きたり夜寝る前に
ジェルソミーナの笑顔を僕は見ているわけである。
休みの日、机の上のPCに向かっているとすぐ目の前にある。
これだけ頻繁に眺めているとジュリエッタ・マシーナに恋をするかといえば
さすがにそれはないのだが、
僕の中で「道」の評価は上がっていく。
「いやあ、あれは素晴らしい作品だったなあ」と
「ジェルソミーナの無垢な笑顔がよかったなあ」と。

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映画というものは所有することができない。
見たときの記憶、心に抱いた風景・感情が全てである。


なので心動かされた作品について、
その記憶のよすがとなるものを人は求める。
それはサントラかもしれないし、ポスターやパンフレットかもしれない。
(DVD を買ったけど見ていない、持ってるだけで満足する人が多いのはそこに由来する)


ポストカードもその1つだ。
そんなわけでポストカードを集めるのって
その映画に対するリスペクトを捧げる行為のようで僕は好きだ。
飾ったりはしない。
だけど時々バインダーを手にとってはゆっくりと眺めて、
1つ1つの映画について思い出すということをする。
そういう時間の使い方ってよくないですか?