きみみたいにきれいな女の子

Pizzicato Five を何枚か友人に貸すことになって、棚の中を探す。
後期の、ということになっていたので
Pizzicato Five 」「プレイボーイ プレイガール」「さえらジャポン」この3枚。


今年の春に15枚いっきに再発。
毎月ちょっとずつ買い集めて、そろそろ全部揃ってきた。


「きみみたいにきれいな女の子」という曲があって、僕はとても好きだ。
オリジナルは「プレイボーイ プレイガール」に入ってたのかな。
後期のベスト、あるいは活動期間全体のベストが何枚かあるけど
どれもこの曲が入っている。
毎月1枚ずつ買っていくと、毎月のようにこの曲を聞くことになる。
この1年、そんな印象がある。錯覚に過ぎないんだろうけど。


「きみみたいにきれいな女の子が どうして泣いてるの
 きみいたいにすてきな女の子は どこにもいないのに」


歌詞を通じて言ってることはただこれだけ。
聞いてて物悲しい気持ちになる。
手のひらにほんの少しだけ差し出されたメランコリック。
Pizzicato Five って言ったら90年代前半、いわゆる渋谷系を代表するグループ。
おしゃれで、踊れて、キラキラしてて、
キッチュで、グラマラスで、フェイクな音がすぐにも思い浮かぶ。
だけど真骨頂はこういう極にあるんじゃないかな。
単純で、悲しい歌。
パーティーの後だったり、何もない休日の午後だったり、
人はみないろいろな寂しかったり悲しかったりする瞬間を迎えたりするものなんだけど
Pizzicato Five はそういうのをさらりと描くのがうまかった。とてもうまかった。


寂しさと、その裏腹にある華やかさ。
何かが始める、ワクワクした気分。
今思うと Pizzaicato Five は普通の人が普通に暮らして抱く
いろんな感情や憧れを描くための引き出しをたくさん持っていた。
だからこそ渋谷系のブームが終わった後も一定の人気を保ち、
質の高い活動を続けてこれたのではないか。


パーティーの始まる前。あるいは、パーティーの終わった後。
パーティーそのものは描かない。
渋谷系の周辺のグループは当時、
パーティーそのものの音を出そうとしていたように思う。
そこに違いがあった。


Pizzicato Five は突き詰めると
退屈な日常生活とそこから脱け出すためのパーティー
そのささやかな「余韻」を鳴らしていた。
きらびやかなポップ・ミュージックという姿を取りながら。